ラテン語訳のCogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム、cogito = 私は思う、ergo = それゆえに、sum = 私はある)との標題が有名だが、これは第三者の訳による『真理の探求』で用いられたもので、デカルト自身がこのような表現をしたことはない。 『方法序説』の幾何学部分以外は、神学者のエティエンヌ・ド・クルセル(Etienne de Courcelles)がラテン語に訳し、デカルト自身が校閲し[1]、Ego cogito, ergo sum, sive existo との表現がされている。 デカルト自身がラテン語で書いた『哲学原理』(Principia philosophiae)ではego cogito, ergo sum 、『省察』では、Ego sum, ego existo と表現されている[2]。
解説 一切を疑うべし(De omnibus dubitandum)という方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない。 「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。―“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。コギト命題といわれることもある。 哲学史を教える場合の一般的な説明によれば、デカルトはこれを哲学の第一原理に据え、方法的懐疑に付していた諸々の事柄を解消していった、とされる。