- 1 名前:マトリョーシカ [2006/01/26(木) 09:25:08 ID:EJT4kFFG]
- レフチェンコ事件
元KGB将校、スタニスラフ・アレクサンドロビッチ・レフチェンコ ソ連のニュース誌「新時代(ノーボエ・ブレーミヤ)」の東京特派員 として在日中、多くの日本人エージェントを獲得して操作し、また 日 本の各地で「積極工作(アクティブ・メジャー)」を遂行した。 コード名 「身分・役職」 カント 「サンケイ新聞編集局次長(後の編集局長)。社長と親しい」 デービー 「サンケイ新聞東京版勤務。カントを“補強”しうる人物」 毎日新聞(現:産経新聞)古森義久記者が1982年12月スクープ、 1983年4月エージェントの名前が一部判明、 編集局長だった産経新聞Yは4月22日に 辞任しますた。 前スレ society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1101102613/
- 2 名前:マトリョーシカ [2006/01/26(木) 09:27:20 ID:XG2MvBta]
- 昭和59年 警察白書
第6章 公安の維持 1 変ぼうするスパイ活動とその取締り (1) レフチェンコ証言問題 >この種の工作においてKGBが成功した例としては、 >ねつ造した「周恩来の遺書」を某新聞に大きく掲載させたことがあった。 www.pdc.npa.go.jp/hakusyo/s59/s590600.html 国会会議録検索システム kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_srch.cgi?SESSION=2087&MODE=2 期間指定 昭和57年01月01日〜平成15年03月27日 検索語指定 レフチェンコ 結果33件ヒット 昭和58年05月25日 衆議院 法務委員会 発言者名 山田英雄(後の警察庁長官) それから、レフチェンコ証言におきます周恩来の遺書、 にせの遺書をマスコミに書かせたということは―― 現にサンケイ新聞の昭和五十一年一月二十三日の朝刊に 明らかに周恩来の遺書が掲載されております。
- 3 名前:マトリョーシカ mailto:sage [2006/01/26(木) 09:28:26 ID:Qc7wdFXo]
- ★★花岡信昭メールマガジン★★ NO.078<2005・9・29>
より 話が飛んで恐縮だが、筆者は後藤田官房長官の「番記者」を務めた。 カミソリ後藤田の名をほしいままにしていた時代だ。話をするのもこわかった。 あの当時、レフチェンコ事件というのがあった。ソ連KGBの工作員が ソ連紙の特派員として日本で暗躍し、筆者の属していた新聞社の上司が 巻き添えを食って、辞職に追い込まれた。飄々とした古武士のおもむきのある その上司を筆者はひそかに敬愛していたのだが、社の大ボスの「万死に値する」の 一声で退社がばたばたと決まってしまった。辞職の釈明記事をたしか夕刊に 掲載したほどだから、いかにあわてていたかが分かる。 そのとき、もう1人、社から犠牲者が出る、という話が流れていた。 筆者は誰の指示を受けたわけでもないが、いてもたってもいられず、 後藤田氏に単独で会った。 「もう1人出るといわれているようなんですが」 「大丈夫だ。1人で食い止める。安心しろ」 やり取りはそれだけだった。筆者は「ありがとうございます」と深々と頭を 下げて退室したのを覚えている。それくらいの権力を保持していた存在であった。 メルマガ お申し込みはこちら www.melma.com/mag/68/m00142868/
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