- 114 名前:☆ [2024/04/12(金) 22:13:32.19 ID:Z/m3E0EV0.net]
- >>107 (続き) (耕論「教育勅語という亡霊」)
林恒子さん 元高校教員 子ども 素直に染まる怖さ 私が現在の小学校にあたる国民学校に入学したのは1942年です。学校教育は戦争と共にあり、その象徴の一つが教育勅語です。 教育勅語は「畏れ多い」存在でした。入学式や「旗日」に、モーニングを着た校長が教頭からうやうやしく捧げられた勅語を広げて 奉読する。子どもたちは直立不動で、頭を下げてじっくりと聞く。書き写す「謹書」も一生懸命やりました。 今でも印象に残っているのは、学校の2階の廊下の壁一面に掲げられた教育勅語の「絵解き」です。十数枚あったでしょうか。 徳目などを書いた日本画が、一枚ずつ額に入れられて並んでいました。「内容も分からずに覚えた」と振り返る人もいますが、 私はあの日本画を見て自分なりに意味を理解していました。 一方で違和感も抱いていました。「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」の絵解きには「天孫降臨」が描かれていました。 天照大神が地上に送った神々が雲の上に乗っている。「雲は水蒸気なのに、あんたにたくさんの神様が乗れるだろうか」と疑問を 抱いたものです。「常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ」は、選挙の投票風景なのですが、男しかいない。「日本は天照大神の国なのに、 どうして女の人は投票できないんだろう」と思ったことは、我ながらいささか感心します。 (続く)
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