- 238 名前:文責・名無しさん mailto:sage [2021/03/14(日) 07:11:52.87 ID:Ld9jPHCl0.net]
- 産経抄 3月14日
東京やその近辺で育った人が、関西に来て首をひねるのが「けーへん、きーひん、こーへん」だという。「なんぼ待ってもけーへん(いくら待っても来ない)」。大阪周辺にお住まいの方なら、耳に口になじんだ表現だろう。 ▼京都なら「きーひん」、神戸から西は「こーへん」となる。「来ない」の意味を保ちながら、現代に受け継がれているのがおもしろい。京都ゆえか「きーひん」の語感に気品が漂うのは偶然として、各地の地味(ちみ)に合わせて根を下ろし、枝葉を広げる言葉の生命力にはたくましさを覚える。 ▼口から口へ、相伝の物語がしのばれるからこそ、言葉の変異には味わいがある。同じ相伝でも、こちらは外見が毒々しい上に、変わり身があまりにも早く、憎さしか覚えない。新型コロナウイルスの変異株が、日本で目立ってきた。 ▼感染力が強く、致死率も高いとされる英国型などに加え、新手のフィリピン型が確認されたという。ワクチンの効き目を鈍らせる恐れもあると聞けば油断ならない。流行の主流はいずれ変異株になるとみられる。水際対策や検査体制で受け太刀になってはいけない。 ▼ワクチンや治療薬開発の先をゆく変異速度は、過去のウイルスとは段違いだろう。そこには人類への敵意さえ感じるが、どんな変異株であれ、元をたどれば「口から口」に行き着くことに変わりはない。日々の暮らしで経路を断つことが焦眉の急である。 ▼変異といえば、若者言葉にも思いが至る。一例を挙げると、「レベチ(レベルが違う)」。横文字と日本語の掛け合わせに略語をからめるなど、変異を生み出す発想の飛躍にこちらの理解が追い付かない。おじさん世代より上への感染力に乏しい分、ウイルスほど憎めないのが救いではある。
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