- 1 名前:きつねうどん ★ [2019/11/18(月) 12:20:13 ID:CAP_USER.net]
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町田明広さん ★歴史学者・町田明広さん『新説 坂本龍馬』集英社インターナショナル新書 900円+税 11月15日は、坂本龍馬の命日(慶応3=1867年)だ。日本史上のスーパーヒーローのひとりとされてきたが、本書によれば、ドラマなどで描かれる龍馬像は史実とかなり違う。「薩長同盟の仲介役」でもなく「亀山社中」も存在しなかったって。えっーーーっ!(文・南勇樹) ◇ ■大河ドラマの影響大 −−生まれた日と死んだ日が同じ(11月15日)点も怪しい 「龍馬が生まれた日は曖昧です。はっきりしないことを後世の人間がよりドラマチックに仕立ててしまう傾向はよくあるんです。幕末の出来事を何でもかんでも龍馬や西郷隆盛がやってしまったことにしてしまうことなんかそうですね」 −−維新後、龍馬は忘れられた存在だった 「龍馬は2回復権していると思う。1回目は明治の日露戦争のとき、皇后の夢枕に龍馬が立ったというエピソード。これは薩長に権力を握られていたことを苦々しく思っていた土佐系の人間が流した話でしょうね」 「2度目が明治百年(昭和43=1968年)のころです。これは司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』(37年〜産経新聞連載、43年NHK大河ドラマ)の影響が大きい。小説か史実か曖昧で、いつの間にか境界線がなくなっていった。(司馬が)作品を書くためにトラック1杯分の文献を集めたとか、断定的に書く文体もあいまって、多くの日本人が『史実』だと思い込んでしまったのです」 −−龍馬が「薩摩藩士」だったというのは驚き 「これまで流布していたのは、龍馬が何の藩の後ろ盾もない一匹オオカミの立場でありながら、薩長同盟や大政奉還の道筋をつけたという話です。だが実際には土佐藩を脱藩後、龍馬は薩摩藩士として活動していたし周囲もそう見ていた。それは長州藩の重役の日記などにも残っています。薩摩は、龍馬の政治的な素養や長州藩とのパイプを買っていた。龍馬も薩摩というバックがあったからこそあれだけの活躍ができたのです」 ■伊藤博文が証言 −−日本最初の商社という触れ込みの「亀山社中」も存在しなかった 「亀山社中は、(幕府ににらまれていた)長州藩のために、薩摩藩名義で軍艦(ユニオン号)や武器を買い、運搬したとされてきました。実際は、『社中』というのはグループという“一般名詞”で使われたに過ぎないし、『亀山』は明治以降の創作です。長州の伊藤博文は明治になって、亀山社中など存在しないし、(軍艦・武器購入に関して)何もやっていない、などと苦々しく証言しています」 −−「薩長同盟」も… 「これも、薩摩の西郷と長州の木戸(孝允)との会談場所に龍馬が乗り込んでゆき、西郷を怒鳴りつけた、などとされていますが、当時西郷は龍馬の直属の上司ですよ。そんな行為はあり得ません。そもそも薩長同盟なるものは、倒幕へのターニングポイントになったほどの重要なものではなかった。特に薩摩にとってはそうです」 「実体は、木戸と(薩摩藩家老の)小松(帯刀)による『覚書』程度のものでした。だから龍馬は薩長同盟の周旋などしておらず、たまたまそこへ来て立会人として覚書に裏書きしただけ。つまり木戸に龍馬は政治的に利用されたんですよ」
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