- 21 名前:Ψ [2018/08/22(水) 12:10:22.53 ID:mRndCvax.net]
- >>1
バチカンを通じた外交ルートからの和平が模索されており、実際に米政府経由から外交的な働きかけがあったのは バチカンルートとされる crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000075495 1945年(昭和20年)5月、バチカンのローマ法王庁ヴァニヨッチ(Vagnozzi)司教は、日本公使館嘱託の 富沢孝彦師に対して、「一米人」より和平問題について日本側と接触するための橋渡しをしてほしいとの 申し出があったと明かしました。この申し出の内容は、ソ連の極東進出への警戒感から、米国側が日本に 複数の休戦条件を提示しているというものでした。原田健駐バチカン公使はこれに対し、素性・目的とも 明確でない人物とこのような交渉を行うことはできないとの観点から、消極的な回答を先方に伝えました。 この回答を受けた「一米人」は、再度ヴァニヨッチを通じて、今後日本側から米国側に伝達希望があれば 取り次ぐ準備があることなどを伝えてきただけで、その後具体的な交渉にはつながりませんでした。
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