- 1 名前:login:Penguin [2008/03/23(日) 19:03:22 ID:A4H7cIf/]
- Damn Small LinuxはKNOPPIX(Debian)ベースのライブCDです。
小さくて軽いOSとして十分な仕上がりで、1CD LinuxとしてもHDD やUSBメモリにインストールしてもどっちでもおkの優れものです。 本家 ttp://damnsmalllinux.org/ ライブCDの部屋 ttp://2.csx.jp/livecdroom/#damnsmall 前スレ 【live CD】 Damn Small Linux 【Linux】 ttp://pc11.2ch.net/test/read.cgi/linux/1162825934/
- 676 名前:666 mailto:sage [2009/05/13(水) 01:00:03 ID:TvquBH62]
- >>667
以下、>>649の記事のRSの4つ目の発言の全訳 私がDSLの仕事をやめたのには多くの理由があります。 私に対する個人攻撃や非難が最高潮に達したことや、意見の不一致、和解のできない不和などがその理由です。 実のところ、私はそもそも辞めてすらいないのです。私は実際にはJohn Andrewsによって追放され、開発から締め出されたのです。 私の投稿した全ての記事を含むDSLの公式ブログは削除されました。 機能追加に対する協力者として私の名前が多くを占めていたDSLの全カスタマイズ箇所のリストも削除されました。不快でした。 tiny core distributionというJohnが幾度も却下した発想は、私がDSLの開発を行う傍らで取り組んできたものです。 Johnは私が他の所で新しい取り組みを立ち上げたのを快く思いませんでした。そこで彼は私のアクセス権を全て無効にしました。 そうして、私はこれ以上DSLのプロジェクトに協力することができなくなったのです。 ここで、なぜ私が最新のプロジェクトを他の所で立ち上げたのかという疑問が浮上します。 これには多くの理由があります。それは「ラクダの背を折った藁」の話(※1)と似ています。 あまりに多くの争いや応答・参加の欠如。要するにプロジェクトの放棄です。
- 677 名前:666 mailto:sage [2009/05/13(水) 01:01:29 ID:TvquBH62]
- Kent PorterはDSL開発チームのメンバーでした。彼のMyDSL extensionsに対する貢献はすばらしいものでした。
彼は何百もの提案を処理し、仕様書に纏め上げ、新しいユーザーたちを私がDSLにもたらした新しい概念によって助けました。 彼の協力への参加はDSLの前進の助けとなりました。Chris LivesayもまたDSL開発チームのメンバーでした。 2005年にKentとChrisはJohnが開発面において私に協力できるように彼を"DSL Store"の仕事から解放する手助けを行いました。 DSLへの寄付の用途に関する意見の大きな不一致があったのはそのときでした。KentとChrisはたちまち解任されました。 がっかりしたことに、私はそれでも必要としていた協力を得られなかったばかりか、Kentの仕事を押し付けられました。 しかしこれは始まりにしか過ぎませんでした。 アクセス権の剥奪といえば、私は"The Official Damn Small Linux Book"を執筆していたとき、 私はKentの貢献について謝意を示すための項目を本に含めようとしたことがありました。 しかし、Johnは私にKentの名前を本から削除するように求めてきたのです。 私はそうすることがどうしても出来ませんでした。Kentの名前を何らかの方法で本に残したいと思いました。 そこで私は彼の名前の表示されたスクリーンショットをあえて本の中で使用しました。
- 678 名前:666 mailto:sage [2009/05/13(水) 01:02:25 ID:TvquBH62]
- 時がたつにつれ、Johnとの連絡は取れなくなっていきました。
彼はもう私との品質についての取り決めを履行しなくなりました。 私が拡張機能に関する助けを求めたときも、彼からの返事はありませんでした。 彼は拒否するのではなく、ただ無視を続けました。 健康状態によって私が出来ることは影響を受ける(※2)ので、私は彼に再び助けを求めました。 しかし、私は拡張機能に手を加えたり、拡張機能を"testing"から適切なカテゴリに動かしたりといった 仕事への助けをしてもらうことが一切出来ませんでした。 Johnは公式サイト内の"Milestones"の更新をやめました。 彼はDSLの公式ブログを削除し、元に戻す予定であると投稿しました。1年経ちましたが…何もありません。 彼は公式サイトの更新をやめ、"notes"の更新も取りやめました。 私は求めていた助けを得られないばかりか、DSLの開発だけではなく、 公式サイトの管理や拡張機能の処理といったあらゆる仕事とともに取り残されました。 仕事の量は私がこなすことの出来る量を超えていました。 あるとき、DSLの公式フォーラムがエロ広告であらされたことがありました。 Johnは新規の登録に承認を必要とすることにしました。 しかし、彼は新規のアカウントをほとんど承認しませんでした。 私はその間に承認待ちのユーザーがどんどん増加しているのを見ていました。 私はユーザーたちが他のサイトでスレッドを立ち上げてアカウントが承認されないことに不満を言い、 どうすれば承認されるのかと質問するのを見かけるようになりました…彼らはどうやれば発言できるのでしょう? 承認待ちのアカウントのリストは23000ユーザーを超えました。 承認されるまで1年間以上待ったユーザーもいました。
- 679 名前:666 mailto:sage [2009/05/13(水) 01:03:12 ID:TvquBH62]
- このときからJohnは完全に音信不通になりました。これは悪化の一途をたどりました。
私はフォーラムのスレッドに発言を行ったのですが、Johnは答えませんでした。 私は彼の留守番電話にメッセージを残し、何通ものメールを送りました。 私は、フォーラムの多くのユーザーと同様、彼は休暇をとっているのではないかと思いました。 後に、DSL公式サイトのドメイン名の登録すら失効しそうになりました。 そして、またDSL storeの問題が浮上しました。 私は通販の運営による収益について全く関与していませんでしたが、 それでも、購入した商品が届かないという苦情が私に届いていました。 私はそれらに対し、 「私は開発者に過ぎず、通販の運営に関してなんら関与していない」 という内容をJohnへのCC付きで返信しました。 私はJohnの事業の従業員であったことはありませんでした。 最初は収益分配の取り決めがあったのですが、 収入から通販の従業員への給与を引くと利益が出なかったと言われることがあまりに多かったのです。 後に私はGoogleの広告と寄付による収入のみを対象とした収益分配の取り決めを提案し、それは受け入れられました。
- 680 名前:666 mailto:sage [2009/05/13(水) 01:04:01 ID:TvquBH62]
- さて、もうお分かりでしょう。明白なことです。
そんな環境で私が自らの単独の努力の成果を公開したいなんてことがあるでしょうか。 言うまでもなく、多くの他の人々もJohnに無視されてきました。私だけではありません。 私は自分の努力の成果に対する新たな本拠地を求めました。このことをさまざまなフォーラムに投稿しさえしました。 Kent PorterとChris Livesayは新しいプロジェクトを立ち上げ、開発チームのメンバーを選ぶことを親切にも勧めてくれました。 私は彼らの勧めを受け入れ、「夢の開発チーム」を選びました。 最終的には、トンネルの出口で明かりが見えました。最終的には、助けがありました。 最終的には、私の努力を正しく評価し、Linuxの動作に関する私の考えを理解してくれるチームが集まりました。 最終的には、私のデザインを拡張し、起動時間を短縮し、 私の拡張機能に関する概念を改良することが出来るようなチームが集まりました。 私の行った最良の決断は他の所で新しいプロジェクトを立ち上げたことです。 DSLに関しては、このような最後を迎えることになったことが残念ですが、 私はこれで一番良かったのだと思っています。 ※1)「忍耐の限界を超えた」という意味のことわざでディケンズの寓話『ドンビー父子』に由来 ※2)Robert Shingledeckerは眼筋咽頭型筋ジストロフィーを患っている
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