- 555 名前:login:Penguin mailto:sage [2013/02/02(土) 11:48:28.86 ID:Mja0oGyT]
- LFSを越えて、全て自分でビルドオプションや採用するライブラリーを独自に判断する独自ディストリ段階へ到達すれば、
精神的面での自由度が通常のディストリとは別次元となる。 通常のディストリでも、システムの一部を独自に構築することは可能だが、それは精神的にハードルを感じる。 たとえばArch Linuxは現在SystemDだが、これを旧udevへと置き換えることは可能だし、Gentoo主導で開発されてるeudevへと置き換えることも可能。 しかし、ディストリの提供するソリューション以外を選択することには精神的ハードルを感じるので、結局SystemDのまま使うこととなるだろう。 一方、独自ディストリのレベルになれば、もはやSystemDも旧Udevもeudevも、どれを選択・採用するのも等価と感じる精神性へと至ることができる。ここが重要。 それどころか、自分で新たなUdev代替を1からプログラミングして使うことすら、(それのシステムへの導入の点のみならば)等価と感じるようになる。 また、基本だが、アプリの機能に不満があった場合にソースレベルで修正して独自ビルドして使うことも、デフォルト状態で使うことも、どちらを選択するのも等価となる。 (通常のディストリを使っているならば、独自パッチを施したアプリをシステムに導入することは、精神的面でハードルを感じるはず。 独自ディストリならば、デフォルトソースもパッチ後ソースも、どちらをシステムに導入することも等価と感じられる。ここが独自ディストリの最大の利点)
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