- 211 名前:地震雷火事名無し(家) [2016/09/27(火) 02:02:56.69 ID:LoPrWty/.net]
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難病「全身性強皮症」で53歳で急逝したノンフィクション作家 最期の日々を編集者が明かす デイリー新潮 9月26日(月)13時10分配信 難病「全身性強皮症」で53歳で急逝したノンフィクション作家、衿野未矢さん zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160926-00512802-shincho-soci.view-000 追悼 衿野未矢さん 「新潮45」編集部 土屋眞哉 ノンフィクション作家の衿野未矢さんが、この9月17日に亡くなった。53歳。 「私はいつまで生きればいいのかな」との手記を頂戴し、小誌「新潮45」10月号 で掲載したばかりだった。 膠原病のひとつ「全身性強皮症」で、昨年の秋から闘病生活にあった。この 病は厚生労働省の指定難病なんですよ、だから保険もきくんですと、この夏、 病床で、衿野さんから教わった。 新潟県の魚沼は、米のブランドで有名だ。その魚沼に衿野さんが結婚を機に 移り住んだのが4年前の春。48歳のときだった。それ以前は新潮社まで2駅の ところにお住まいで、衿野さんはマラソンランナーでもあったから(ホノルル マラソンなどにも出場していた)、打ち合わせにはよくジョギングしながら やって来た。汗をかきながら。 ずいぶん前になりますね、そんな会話をベッド脇の椅子に座って交した。 7月のことだ。衿野さんから電話をもらったのが6月。声が幾分くぐもっていた。 病室なんです、と衿野さんは言った。 5階のその部屋からは、青々とした稲田が見えたことを今、思い出す。衿野さん は元気そうに見えたが、もう何も口にしていないと言った。 衿野未矢さんの手記「私はいつまで生きればいいのかな」が掲載された「新潮45」10月号 zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160926-00512802-shincho-soci.view-001 〈この2か月の間に食べたものが、ごく少量のヨーグルトとプリンのみという私は、 胸に埋め込んだCVポートという器具を通じて送り込まれる、点滴の栄養だけで 生きている〉(「新潮45」10月号、以下同) ベッドの傍らにはキャンディーの袋が置いてあった。ときどき飴を舐めるのが 楽しみだと、衿野さんは笑った。 ところがこの打ち合わせのすぐ後、その「CVポート」から感染症を起こし、抜去 手術を受けている。 〈いったん抜去して、再び埋め込んだから、現在のは2代目である。病気で血管が 弱っているため、3代目の設置は難しいそうだ〉 執筆は、こうした状況の下で進められた。 〈2代目ポートの寿命イコール私の命だ。まだ時間があるうちに、この体験を 書き残しておきたい。/ベッドに寝たまま、スマートフォンで原稿を書き始めた 直後に、また39度の発熱と寒気が襲ってきた〉 さらには激しい腹痛。痛み止めを点滴しながらの作業となった。 衿野さんから第1稿が届いたのは、8月4日の午前1時過ぎだ。10章、50枚。 そして校閲済みのゲラを持って、再び魚沼を訪ねたのは8月29日だった。 衿野さんの手元に刷り上がった「新潮45」10月号が届いたのは、9月16日。 記事を確認出来たという。亡くなったのはその翌晩、午後10時14分だった。 *** 衿野未矢(えりの・みや)1963年、静岡県生まれ。立命館大学卒業後、出版社 勤務を経て書き手に転じる。著書に『十年不倫』『セックスレスな女たち』 『“48歳、彼氏ナシ”私でも嫁に行けた!』など。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
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