- 484 名前:Ryu [2006/11/28(火) 23:25:16 ID:4dkQAaaX]
- >>483
ピンポン玉の例みたいに概念を用いた図式的説明というのは、 わかった気にはなるけれど、実際の行をするときには、そういう図式や概念が邪魔になってしまうということ。 例えば、「自我を落として意識としてあるのが小悟である」という説明があると、 そうあろうとしちゃう読者がいるでしょ。「意識としてあるのが行である」とか。 または、「自我と同一化しちゃって失敗した」とか。 実は、こういう風に、自分を計る物差しを持って、あれこれ自分を測ったり、 それに合わせて自分を変えていこうとするのが、誤った行のやり方であって、 ほんとは、そういう物差しを捨てる、自己を修正しようとする自己そのものを捨てるのが修行なんだよ。 あれがいいこれがわるいとか、ああしようこうしようという大騒ぎを止めるのが修行。 それに対して、概念的説明というのは、物差しを与えちゃうからミスリーディングだということ。
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