- 328 名前:brown [2006/11/19(日) 15:03:03 ID:lMQQqfBH]
- ちなみに,自我と客体を包摂する何者も存在しません。なぜなら,それが
全てだから。つまり,それは「全て」に包摂されるのです。「全て」という 何物かが存在するのではありません。それは全てとしてあるのです。 ある現象に対し,自我が対立するという認識を持ち続ける限り,この謎が 解けることはありません。「全て」に対して,未だそれを観る「主体」を 観念するのでしょうか?その思考形式で観る限り,何も得るものはないでしょう。
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