- 163 名前:名無しさん@京都板じゃないよ [2009/08/21(金) 04:35:29 ]
- 誰のことを言ってるのかしらないが
密教では数々のパンテオンが創作されるが、それらは経典において それぞれの法(つまり大日如来、この世の全て)の各要素の象徴として論じられる。 そして密教とは、悟りを得る修行論として、儀式や様式といった行をも瞑想に加える宗派であるが その際に観想瞑想し、そのパンテオンと一体化するというロジックを修行論として説く。 つまり拝んだら願い事かないますよ〜ってのは密教ですら本来無いわけ。 密教はその法の各要素をビジュアル化した存在であるパンテオンを目指す境地とし、行や瞑想をもって一体化を観想する。 密教の瞑想論である観想瞑想というやつだ。 密教を験厨が群がる民間信仰のようなものと理解しているのなら、 それこそ密教を知らないと言えよう。
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