- 438 名前:lKPkLjq00 mailto:sage [2010/01/29(金) 09:47:43 ID:D9jzBi8n0]
- >>395が少し舌足らずだったかもしれないが、私が言いたかったことは「細かいことに拘るな。」ということ。
学部生ではなく受験生なのだから、効率よく学習することが不可欠。 質問者のBに対してはまず「文脈で判断すればいい」と答えている。それを踏まえた上で、 (1)「形式的」にはいずれの解釈も可能 (2)そもそも質問者の解釈のひとつ「来週私に合いにくると言っている友人からの手紙」という日本語自体が 厳密に考えれば二義的である と書いたわけです。(2)については「日本語を読むときも文脈判断の部分がおおきいでしょ。」ということ。 (1)については、やはり「形式的」には2つの解釈が可能だと思う。 >>434氏が書いているように、「定型的な表現」として存在しているので「共起する語句や文の意味内容に依存する。」ので、 結果として「a letter ← saying 〜」というのが正解だろう。 携帯氏は(1)について、最初は sayingは進行形⇒進行形が可能なのはa friendではなくa letter(*1)⇒したがってa letterのみ可能 という論法だった。ところが*1について>>402で誤りを指摘されたので、 a letter←動作動詞ではない a friend←動作動詞 という論法になった(*2)。しかし、おそらく携帯氏自身気無自覚だと思うが、「動作動詞/動作動詞ではない」の区別方法については、 ノーコメント。a friendの場合は「who saidになる」と書いているが、それは「a friendの場合は動作動詞である」という結論を導くものではなく、 逆にそこから導かれる結論に過ぎない。 「a friendの場合は動作動詞である」ということを説明することも可能だとは思う。しかし、>>433の例からもわかるように、 結局、その説明は「形式的」なものではなく「文脈」「定型表現」「文意」に依るしかないはず。 それなら、最初から「文脈判断でOK」と考えれば足りるし、効率的だと思う。少なくとも、Bに対する回答として、 *2はあまり意味がないような気がする。
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