- 662 名前:マンセー名無しさん mailto:sage [2007/01/28(日) 22:23:01 ID:xKRH7NCN]
- この映画の本当の主役は見ている李さんではなく私達日本人なんだと思う。
マスコミや社会による李さんと関根さんの「命の使い方」に対する扱いの違いを 分かりやすく示したのだ。 この映画のストーリーは「醜い罪人の日本人」を「どこまでも善良な韓国人」 が助けるというものだ。「道徳的な李さん」「許しを請う日本人の彼女」「差別主義者の父親」 「見殺しにする日本人」そしてラストは「嫌な思いをさせた、日本人を道徳的で立派な韓国人が その身を挺して助ける」のだ。そしてこのストーリーに「一緒に助ける日本人」はいない。 にこれらは全て韓国人の間に存在するいかにもうそ臭い「立派な韓国人、汚い日本人」と言う幻想だ。 そしてこの映画を見た多くの観客はその幻想に醜い人種差別主義を感じる。 それは事実を知っているからだ。関根さんは「韓国人の日本人差別」にとっては 不要で邪魔なのだ。 この物語は「善の韓国が悪の日本人を助ける」=「差別するべき者が差別されるべき者を助ける」 という韓国人の幻想に私達日本人は真っ向から糾弾しなければならないと訴えている。今、関根さんが 忘れられた者のようにされている日本マスコミを糾弾している。 この映画のフィクションが醜悪なように韓国人の日本人に対するフィクションも 醜悪なのだ。 私達日本人は醜悪なフィクションを決して受け入れてはならない。 私たちは関根さんを忘れずにノンフィクションを広めなければならないのだ。
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