- 435 名前:おさかなくわえた名無しさん mailto:sage [2009/02/22(日) 12:49:11 ID:mkfkGAP/]
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曖昧ではない。環境によって「許容値」が違うだけ。 「人間にはなぜコミュニケーションが必要なのか」「そもそも人間はなぜ社会を作って生きるのか」 端的に言うと、「人間は安心したい生き物だから」 飢えるのが怖い、病気が怖い、一人が怖い、死ぬのが怖い。 自分が食料を入手できなくても、他人がいれば分けてくれる。 病気になっても世話を焼いてくれる。 まあ、死は避けられないけど、人に看取られるということは安らぎを得られる。 では人間にとって一番の恐怖とは何か? それは「理解できないこと」「未知の存在」これが一番の恐怖。 「かまいたち」という現象がある。今は科学的に解明されているけど、昔は意味の解らない現象だった。 「突然手足が切れる」とかマジ怖い。だから「妖怪かまいたち」の仕業にしたわけ。妖怪なんて誰も 見たことないのに、「意味わからんけど手足が切れる」より「かまいたちの仕業で手足が切れる」と 理解した方が怖くないから。 「いじめられる奴」って言うのは、「理解できない奴」「得体の知れない奴」なんだよ。 ただ無口とか根暗というのとは違う。「あの人は無口な人」と理解されていればいじめられない。 「無口で何考えているか理解できない人」はいじめられる可能性が多いにある。 いじめっ子が弱い人間というのはその通りで、得体の知れない奴が身近にいる恐怖に耐えられない。 だからいじめる。ちょっかい出して反応見て、正体を見極めようとする。あるいは殴る。殴ってみて反撃 しないのを見て「得体の知れない奴だが、とりあえず俺よりは弱そうだ。安心」と確認するわけだ。 いじめられる要素自体は全員が持っている。ただその許容値は環境(属する集団)によって異なるが。 ここで「理解しない周囲が悪い」と考える奴はイジメから抜けることは出来ないだろう。 「理解させない自分が悪い」と考えなければ、どの環境に移っても大差ない。
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