- 24 名前:日本丸太郎 ◆9WpalLXkro [2016/04/18(月) 18:19:29.79 ID:47Roqd9r.net]
- >>23
>併合当日の状況 ==================================================== 韓国日報(韓国語)(2007/08/28 18:00) news.hankooki.com/lpage/opinion/200708/h2007082818000124390.htm 1910年8月 22日、大韓帝国純宗皇帝が臨席した形式的な御前会議で、 総理大臣李完用(イ・ワニョン)は朝鮮と日本の強制併合案を可決させた。 日帝はこの事実を1週間も極秘にして おき、8月29日に純宗皇帝の玉璽を捺印させて併合条約を布告した。 庚戌の年に起きた恥辱ということで「庚戌国恥」と呼ばれる。 97年前のことだ。この呆れた知らせを聞いて、錦山郡守の洪範植(ホン・ボムシク)は山に登って首を吊って自決し、 梅泉黄ヒョン(訳注:「ヒョン」は王へんに玄)は「絶命詩」を残して毒を仰ぎ殉国した。その後も幾多 の憂国志士が自決の道を選んだ。 今まで、教科書でそう学んだ。このため、当時の全朝鮮人が当然に悲痛な思いで嘆いたと 思っていた。ところが、必ずしもそうではなかったようだ。 3・1万歳義挙の際に民族代表33人中の1人として活動し、 後に主張を変えた崔麟(チェ・リン)は、韓日併合が公布されたその日の鐘路通り(訳注:京城の中心街)の 朝鮮人らはまるで「何事も無かったかのように」賑やかに商売をしたり飲食する「日常」を失わなかった、と述 べている。 これを信じがたいと思ったある歴史研究者は、「俄かには理解できない。もしかしたらこの 日は29日ではなく、李完用と寺内正毅との間で秘密裡に条約が締結された22日の風景 なのかもしれない」と述べた。 (続く)
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