- 360 名前:回想774列車 mailto:sage [2010/11/18(木) 22:31:27 ID:AFdhC6EA]
- >>351
まぁ俺も当時の事情についてあれこれ妄想したことはあるが、 >「走ルンです構造」 今のようなステンレスは価格的に当然無理。 都電8000のような超軽量・低寿命構造なら考えられなくもないが、 当時はいっぺんに腐食が進んだ10系客車の状態が深刻で、結局43系よりも 先に廃車が進められていた状況にあったから、寿命を短くする方向の設計は 採りにくかっただろう。 >「60系を再鋼体化改造する」 旧車の再利用はもっとやって良かったと思うが、さすがにオハ61はもう無理。 あの台車は本来17m車体用で、鋼体化後はだましだまし使っていたような 感じもある。 >「改造名義であちこちから集めた車体や台車、廃車発生品を流用」 これは同意だが程度問題。車体が再利用できるのって残ってるか? 台車についてはTR23あたりはコロ軸受化・コイル枕バネ&オイルダンパ化 で、まだかなり継続使用できたように思う。 また電車のTR48も潰さず再利用すべきだった。 >「モノコック化、自動ドア以外は最低限の接客設備」 冷房化を考慮してなかったことで既に最低限だったような気もするが、 デッキに仕切戸までつけたのは無駄。北海道以外はデッキ無しで良かった。 >こんな短命車両の製造のせいで、 車輌製造費がどの程度国鉄経営に打撃を与えたかは知らんが、50系は無駄と までは言えない。当時の稼働率からすると14系座席車の方がよっぽど無駄。 製造費対稼働率で槍玉に挙げるとすればまずDD54、 次に青函の空知丸・檜山丸・石狩丸の3貨物船だな。
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