- 427 名前:名無しの車窓から mailto:sage [2010/11/15(月) 19:39:40 ID:mfIVK4g1.net]
- >>426
第2次世界大戦中に仏領インドシナ(ヴェトナムなど)に攻め込んで進駐、 折からの飢饉に食料調達を強行して100万人余の餓死者を出していて、 占領期間は短いが被害は大変大きかった。 但し、再進駐してきたフランス軍を追い出すための第1次ヴェトナム戦争に、 連合軍に対して降伏した日本軍将兵が大量にヴェトミン側に加わり、軍事指導、戦闘を行って、 勝利の礎を築いたことで、公式にはあまり責められては居ない。 日本軍将校としては、下手に捕虜になると戦犯に問われかねないことと、 軍事侵攻の理念としては「欧米植民地からのアジアの解放」なんで、インドネシアも含め各地の独立戦争に参加している。 連合軍も日本軍も「植民地解放」を言ってアジアに攻め込んでるのだが、 戦争が終わったら、ナチに降伏してしまい「亡命政府」しか無かったフランスまでが、旧植民地に再進駐して植民地を再建。 オランダがインドネシア、イギリスがインドというわけで、植民地解放はどうなった!と激しい独立運動を引き起こしたのは当然だった。 インドネシアなど、スカルノの独立宣言の日付は天皇紀である「皇紀」で書かれているほどである。 西欧列強にとって「植民地解放」は勝つための味方を増やすスローガンではあったが、全然本気では無かったようだ。 全地球的に強まった植民地解放独立の動きにより、国連発足当初の加盟国数51が、今や192ヶ国となり、そのほとんどが 植民地から独立したのだが、その辺の事情を総括して「第2次世界大戦の真の勝者は、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの独立を求めて闘った人民だ」 と不破哲三氏などが述べている。 大戦後、傀儡政権を担いでのこのこフエに進駐してきたフランスに対しては誰もが「フザケルナ!」と思ったことは想像に難くない。(第1次ヴェトナム戦争) ディエンビェンフーの闘いでフランスが敗れて休戦、1年後の統一選挙を約して17度線で兵力分離をしたのだが、 この合意をアメリカが踏みにじり、南の活動家の不当な死刑などを強行、第2次ヴェトナム戦争となる。日本で一般に意識されているヴェトナム戦争は このアメリカ相手の第2次ヴェトナム戦争のことである。 日本のアジア侵略も酷かったが、西欧米列強も輪を掛けて酷かったというのが実態評価として正しいと思うが、 一部ウヨに掛かると、「西欧米と同じことをして何が悪い。大東亜戦争は聖戦である」となってしまうのが困ったもんだ。
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