- 323 名前:名無しさん@実況は実況板で [2017/08/15(火) 21:52:03.67 ID:BNGrCs+e.net]
- >>309
ちなみに当時の上杉の領地は刈田郡の白石それを政宗たちが奪還して桑折・伊達・簗川を占領。 そして今の信夫山の南岸に流れていた松川まで進軍(今でいう福島県庁あたり)。 そこで直江兼続が、伊達領に攻め込まないから国見まで引いてくれといい 政宗は南部が伊達領に入り込むとの情報もあり(関ケ原前夜は、戦国時代に戻ると思われていて、南部も伊達領に進軍、伊達も南部領に双方進軍していた) 和睦を結ぶ。 政宗は、三成が勝つ可能性もあるので、兼続と南の相馬とは戦をやめ、同族の相馬とは、どちらに転んでも大丈夫なように連絡を取り合う。 また、佐竹義宣は政宗の従弟なので、上杉に加担するなと義宣の叔父(政宗の叔父でもある)伊達(国分)盛重と連絡を取ったり 政宗の叔母である義宣の母親にも連絡している。 政宗がいなければ相馬も佐竹も岩城も三成方に付いたことにされ取りつぶされることになった。 ちなみに清正の一族・同郷の大名は全部、秀忠や家光(土井利勝ら)に取りつぶしされているけどね。
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