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大久保利通 其の七



1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2020/01/03(金) 09:50:22.49 ID:wc5EHOD50.net]
大久保利通 其の六
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1284097711/

2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2020/01/03(金) 10:09:11.27 ID:wc5EHOD50.net]
大久保 利通 

文政13年8月10日(1830年9月26日) - 明治11年(1878年)5月14日) 
贈 従一位勲一等

3 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2020/01/03(金) 16:24:18.59 ID:qnO3CFx10.net]
現代の日本に必要な理想の指導者は、大久保利通でも田中角栄でもない。
それはムッソリーニである。

4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2020/01/06(月) 10:44:35.46 ID:F483R2mU0.net]
薩摩勢は討幕後のビジョンがまるでなかった

洋行にて大久保はそのビジョンを持った
洋行にいってなければその後の日本はどうなっていたかわからん

大久保自体が守旧派のカシラとなって抵抗勢力になっていたかもしれん

5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2020/01/06(月) 12:30:42.05 ID:2pBalA5U0.net]
>>4
ハッキリとビジョン持ってたのは薩長土肥で大久保くらいだったんだろ
司馬は肥前の江藤新平も大久保みたいに江藤なりの青写真持ってたって書いてるが

6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2020/01/06(月) 13:57:10.22 ID:F483R2mU0.net]
>>5
もっていたのは第一に土佐
これはもう海外のいろいろな国の政体を研究していた

第二に政府首脳に組み込まれた江藤や大隈、大木、副島などの佐賀勢

第三に早くから廃藩置県を提唱していた長州勢

薩摩はまるでないから薩土盟約にて土佐を引き込んだという

7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2020/01/06(月) 15:25:35.99 ID:TLwaGF230.net]
国家建設できるのが大久保と江藤くらいしかいなかった
で大久保が国家建設した
大隈重信とかは大久保をアイドルのように尊敬してて、会いたくて出待ちみたいなこともしてたらしい

8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2020/01/06(月) 17:03:33.98 ID:2pBalA5U0.net]
伊藤博文も大久保をすごい尊敬してて四賢堂っての作って自分の藩じゃない大久保を祀ってた

9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2020/01/06(月) 17:26:51.67 ID:2pBalA5U0.net]
逆に板垣退助は西郷のほうを尊敬してて「オレのオヤジに顔がソックリだった」
って人に自慢してたらしい

10 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2020/01/06(月) 20:50:43 ID:rZfQHVPy0.net]
西郷、江藤のタッグと大久保の新国家作り争いで西郷、江藤が下野した



11 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2020/01/06(月) 21:25:42.77 ID:rZfQHVPy0.net]
大久保たちが旅行ってる間に西郷がやったこと
徴兵制
法治主義の導入
地租改正
学制公布
鉄道、電信の開通
太陽暦の採用
旧幕臣の登用

ちなみに廃藩置県の混乱を抑えるのは人気がある西郷一人のほうがいいと思って大久保たちは洋行に行く
不平士族抑えたのは西郷

以外と大久保たちがヨーロッパ行ってる間にかなり沢山やってる
大久保はそれは気に入らなかったかもしれん
あんまりイジらないでって言って洋行に行ったらしいから

12 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2020/01/06(月) 23:42:24.31 ID:t6w9BdAe0.net]
外国人顧問から地方行政や中央官庁の仕組み、徴税の問題と憲法の話題まではすでに洋行前にかなり知識を得ていたみたいだからな
色んな選択肢がある中でどれを取るのかを実際に各国を見て決めていこう
だからそれまでは決めるなというのが留守政府と洋行組の話し合いがあったかもしれん
ただ現実に新政府が毎日のように課題を突き付けられていくのでそれに対して留守政府が何も手を打たないっていのは無理な話で結局留守政府が色々決めていくことになる

そして洋行組が順次帰国してくるとなんで勝手に話を進めとんねん!となった
幕末の政治抗争を乗り切ってきた連中だけに感情論で文句言い合うだけで済まず寝技込みの政争に発展
そんなところじゃないかね

13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2020/01/06(月) 23:55:46.14 ID:Bj1AviF20.net]
西郷内閣

14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2020/01/07(火) 10:38:53.80 ID:Ezc+UH960.net]
そして朝鮮使節派遣が帰ってきたタイミングで巻き返しを謀る洋行一派の一番の政争の道具として運悪く使われた挙げ句
政府首脳で散々時間をかけて何度も議論しつくして出した決定事項をこうも簡単に覆されるとは会議、合議、公議とは一体なんであり、いかなるものかと西郷がブチぎれる

その後の国家運営みると大久保も正しかったと言えるが、西郷の朝鮮使節派遣が実行されてたら韓国併合における現在の軋轢やら、それに付随してくる請求権問題、慰安婦、徴用工などなかった

15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2020/01/07(火) 12:52:12.61 ID:nNbPpOiC0.net]
そりゃその外交が上手くいけばという話
しかもその後の朝鮮内の泥沼政争劇は日本の介入なくても発生していた

朝鮮併合までの流れは明治15年以降の状況によって決まっていったことであるし、西郷の使節が云々は根本的な違いを生まないと思うぞ
朝鮮併合に最も影響のある要素は清、ロシアとの関係だよ

16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2020/01/07(火) 13:17:48.40 ID:Ezc+UH960.net]
そこまで説明せんでも理解してくれるかとおもったが説明がたりんかったな

西郷がいくことで当初より言われてた殺されるということが実際になれば大いなる大義になったし
交渉がまとまらなくて決裂してもそれはそれで後の介入、併合の理由になった

そもそも西郷がいくことで、現在の朝鮮との軋轢の源泉を併合ではなく当初の明治維新における新政府の成立と天皇に論点焦点をもっていける
韓国の土俵でなくこっちの土俵で進められるのだ

17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2020/01/07(火) 15:19:33.10 ID:nNbPpOiC0.net]
そんな都合良くいくのかどうかw
まあ、居酒屋でのネタぐらいに聞いておこう

18 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2020/01/07(火) 17:17:30.68 ID:Ezc+UH960.net]
小林よしのりも俺と同じこと言っとるぞ

まあ、小林よしのりなんだがw


当時の留守政府の朝鮮交渉はあくまで対等の立場での交渉だった
これがポイント
共存共栄共防にあった

当時の世界秩序だった近代国家でない国は非文明国もしくは半文明国として不平等な扱いを受けて当然の時代にそのセオリーを破った外交を展開しようとしてたのが日本

洋行派に覆され居残り組は政府から離脱
朝鮮も態度を更に硬化
再び朝鮮外交が動きだしたのは数年後の江華島事件からだ
あとはご存知のとおり、洋行派による相手の不備や失策につけいるのが当然とされる当時の近代世界秩序にならい不平等な扱いをすることになり現代にいたる

19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2020/01/07(火) 20:56:29.76 ID:E+v9hjBg0.net]
よしりんは西郷好き大久保一派あんまりすきじゃないだよな
大隈重信とか大村益次郎とか西郷嫌いの人物もたまにいるが一万円札になった福沢と渋沢から西郷が好かれてたのは面白い、福沢は明治政府のほうを痛烈に批判してるし

福沢諭吉
>「明治政府が西郷率いる士族の暴発を未発に留めることができなかっただけでなく、
かえって暴発を促したのではないか」と指摘し、「政府は、西郷の死を防ぐための手立てをもっと積極的にすべきだった」と、西郷の死を憐れんでいます。
加えて福澤は、「政府が西郷を殺したんだ」と繰り返し訴えます。
西郷を「天下の人物」と呼び、「いくら日本の領土が狭く国法(国の法律や掟)が厳しいと言っても、
どうして西郷一人を日本に置いておく余裕がなかろうか」と、西郷を死に追いやった明治政府の狭量さを嘆いています。
https://news.livedoor.com/article/detail/13658761/

渋沢栄一
>西郷隆盛公は一言で言えば、とても親切で同情心が深く、どうすれば他人の利益になるかと、そのことばかりに気を使っていたように思う。
はたから見たところでは、公が賢い達識の人であるか鈍い愚かな人であるか、はっきりとわからなかったものである。
ここが西郷公の大久保公と違ったところで、西郷公は他人に馬鹿にされても馬鹿にされたと気づかず、
その代わり他人にほめられても嬉しいとも思わず、喜ぶこともなく、それと気づかないように見えたものである。
いずれにしてもとても同情心の深い親切な御仁で、器ならざると同時に、また将に将たる君子の趣があった。
明治維新の英傑の中で、偽り飾ることのなかったのは、やはり西郷隆盛公である。
そのため西郷公は、思慮の足りない人々からは、誤解されたり、真意を理解されなかったりしたこともある。これは、西郷公が至って無口だったことによる。
結論のみを語って、そこに達するまでの思想上の経緯などはあまり語らなかったためであろうかとも思う。

西郷隆盛公は、たしかに大人物であったが、適材を適所に置くことについては、優れた人物鑑識眼があったとは言いかねるようだ。
元来まったく私心がなく、孔子の言う 「過ちを観てここに仁を知る」 方で、
その深い優しい情に端を発するところが西郷公の過失ともいえるのだが、
一方それが、公の仁心が深かったことを示すものでもある。
したがって、他人を見誤ることがあっても、他人に陥れられるようなことは絶対になかった。

「現代語訳 経営論語   渋沢流・仕事と生き方」

20 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2020/01/10(金) 01:26:28.94 ID:2sUnEwEG0.net]
大宰相








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