- 221 名前:220 mailto:sage [2016/01/18(月) 11:35:39.02 ID:gaOsVnWQ0.net]
- 田代には元湯と新湯の2つの温泉がありますが
青森5連隊が目指したのは田代新湯です 田代新湯は冬には小山文次郎という住民一家が山篭りをして 湯治場を守っていた 当時は冬場の交通は途絶えてしまうため 3ヶ月分の食料が蓄えられていたという記録があります 田代元湯の建物は4〜5軒との記録あり しかしこちらは冬季も住人が住んでいたかどうかは記録がありません 青森5連隊では >田代には番人の家族3人と炭焼き職人15人住居してありて米5〜6俵と >濁酒5樽と酒 1本を貯えてある と聞き取りによる調査済みで 210人の仮泊する施設の能力も備えていたと都合よく上申していますが 聞き取りした人物が現地を実際に調査したという記録はありません 特に 番人の家族3人+炭焼き職人15人住居との情報が 210名が宿泊出来るかのような錯覚を生んでいるように思えます しかし上記の炭焼き職人15人住居とは 夏季期の田代元湯の住居者であり青森5連隊の勘違いではないかと私は考えます その理由は @ 2月2日、田代元湯で村松伍長1名生存・死者1名が発見救出されるが この2名は村人の救護を一切うけていない件 A 同日、平沢の炭小屋で長谷川貞三特務曹長を含む4名が救助されていますが 無人の炭小屋で救助を待つ間、村人には一切出会っていない件 つまり、山深い多くの炭小屋は冬季は常に無人ではないかと想像するのです いずれにせよ青森5連隊は明治23年1月23日 田代新湯を豊かな宿泊地と勘違いしたまま筒井の営舎を出発するのです・・・・・
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