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邪馬台国は四国徳島だった!3



1 名前:日本@名無史さん [2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ]
引き続きマターリ語りましょう。

過去スレ

【新説】邪馬台国は四国徳島だった?!【浮上】
mimizun.com/log/2ch/history/1206513695/

邪馬台国は四国徳島だった!2
mimizun.com/log/2ch/history/1310298227/


関連スレ

【阿曇氏】海人族【宗像氏】
awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1317289551/l50

【海賊】 水軍スレ 【安宅船】
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【隼人司】畿内隼人【隼人舞】
awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1343569437/l50

【葛城氏】葛城王朝と丹後王国【海部氏】
awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1321981690/l50

淡路島
awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1333271573/l50

2 名前:日本@名無史さん [2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ]
根拠1

2007年3月、徳島県鳴門市に、日本最古の前方後円墳が発見された。
「萩原2号墓」といい、石積式の前方後円墳。年代測定によると西暦200年前後と
なり、時代的には卑弥呼・邪馬台国の時代となる。当時、徳島に力のあった豪族がいた証拠となる。
解説は徳島文理大学教授 石野博信氏で、
「卑弥呼が登場するのに大きな役割を果たした一族の墓である」と語り、邪馬台国四国説を推す。
また、国史研究家・高校教諭 林博章氏の解説によればこのあたり一帯は古墳だらけだということ、
八人塚古墳は全長60mもあり、付近一帯には1000基の古墳がある。
古墳密集地だということ。

根拠2

邪馬台国があったとされる場所については様々な説があるが、有力なのは「近畿説」と「九州説」の2つ。
だが、ともに矛盾点がある。「魏志倭人伝」によれば、近畿説(一般的には畿内説というが、
番組では近畿説となっているので、近畿説で以下統一)は「方向が違う」、
九州説は「距離が合わない」といわれる。
そこで、古代史研究家 大杉博氏の研究によれば、朝鮮から出発した使者は、
上陸地が高知県宿毛町あたりではないかと推測(ここが投馬国)、
そこから距離的に見て、徳島に至ったのではないかということだ。

3 名前:日本@名無史さん [2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ]
根拠3

魏志倭人伝によると、邪馬台国について「その山には丹がある」と書いてある。
丹とは水銀のことで、邪馬台国に中には水銀丹(朱)の出る山があると、
書き残している。邪馬台国時代の水銀鉱山跡というのは、
徳島阿南市の若杉山遺跡でしか見つかっていない。水銀を生産している遺跡は、
他の場所から発見されていないので、ここだけらしい。よって「丹がある」という
一文からすれば、四国説はかなり有力となる。

根拠4

邪馬台国の時代から続く1800年続く一族「阿波忌部一族」がいる。
この一族は、古代から現在まで続く天皇家の宮廷の祭祀をしていたという。
儀式の中で、(大嘗祭のことか)、麻で作る織物(アワタエ)を献上する役割である。
現在の当主は三木信夫氏であり、番組内でインタビューに答えている。
その中身は「阿波には大きな先進文化をもった部族がいたことは確かで、
その後、この部族は阿波から近畿へ移動して日本の礎を築いた」と語っていた。

根拠5

近畿と四国の地名の一致。山城、伊賀、大阪、河内、勝浦など近畿にある地名は、
徳島にもある。
徳島や香川で作くられた壺などが、同じようなものが近畿でも出土している。
徳島と近畿に何らかの関係があるということか。

4 名前:日本@名無史さん [2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ]
古代豪族の氏姓に関連した苗字の現代人
awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1326776604/l50

5 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/23(火) NY:AN:NY.AN ]
>>1
乙です、前スレでは色んな知識や新たな発見もあって面白かった。
殆ど思考停止してるスレが多い中で結構貴重なスレかもしれない。

6 名前:日本@名無史さん [2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ]
オオヒルメが卑弥呼なのか?

7 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ]
違う

8 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN ]
いや、関係はあるだろうな。天照大神の別名なら。

9 名前:日本@名無史さん [2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN ]
北部九州の不弥国から水行20日で鞆(=投馬国:福山)、
鞆から水行10日で小松島か阿南、
そこから那賀川沿いに剣山まで陸行1月。

10 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
徳島ではないが高知の旧波多国部分に佐賀という街あるよね?
これなんかそのまま九州からのルートなんじゃないかという気がする。



11 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
土佐には最大級の弥生後期の遺跡が存在してるからな。
そういうのを無視して邪馬台国問題を語ってる奴はどうかと思う。

12 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
土佐の長宗我部氏も秦(波多)氏を祖とする豪族だよね。

13 名前:日本@名無史さん [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
>>10 スレ的には、高知佐賀→九州佐賀かも。

14 名前:日本@名無史さん [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
スレ的には、居徳遺跡→田村遺跡という流れかも。

15 名前:日本@名無史さん [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
南四国における縄文から弥生一高知県居徳遺跡群一
ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/13567/1/KJ00005461719.pdf

16 名前:日本@名無史さん [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
南四国における弥生集落の成立と展開
https://ir.kochi-u.ac.jp/dspace/bitstream/10126/4563/1/59dehara.pdf

17 名前:日本@名無史さん [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
弥生時代の鉄器ルート
kunitokotachi.tosalog.com/Date/20091111/

下記に居徳遺跡・上ノ村遺跡・田村遺跡の連続性を示します。

***********************************************************************
居徳遺跡(縄文晩期)→国内最古の戦傷人骨→権力闘争始まる

上ノ村遺跡(弥生時代中期末)→鉄製品約250点
→弥生文化の一部が北部九州よりも早い段階で土佐に伝播していたことを考えると鉄器伝播ももっと遡る可能性がある。
権力闘争が一段落し、鉄器を媒介とした王権が発生し始めた可能性がある。

田村遺跡(弥生後期)→約850棟の建物跡・半径6-7kmが同じ文化圏にある。
周辺部の遺跡が密接に関わっており王権ができるとともに自由市民が発生した痕跡がある。
***********************************************************************

18 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
国生みが何故四国の方が先か?というヒントになるかもね。

19 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
四国の集落・人口推移
www.rui.jp/message/02/72/17_ea2c.html

一極集中甚だしい現在の都心部から見れば、四国は辺境の地と映るでしょうが、渡来(黒潮)ルート、
また九州・畿内からの距離などを考えあわせると、思いの外人口が集中していたのではないかと想像できます。
少なくとも、これまで提起されている地域別の人口分布はかなりの修正が必要となります。

それにしても、いきなり渡来系の人々が住み着いて、農耕適地のこの平野で人口拡大をしていったのか、
それとも、在来の縄文人との軋轢があったのか。今回の発見はそういった意味でも興味深いものです。

ところで、居徳遺跡は最古の木製鍬(くわ)が出土するなど、すでに縄文後・晩期に農耕が定着しつつあったことを示す遺跡として注目されていました。
そして、居徳遺跡の他にも、四国では既に縄文(後・晩)期から稲作が行われていたことを示唆する遺物が出土しています。
そこで、四国域の遺跡分布の様子あたりから押さえてみます。

■高知県中村市の中村貝塚からは、下層粘土層より出土した花粉分析の結果、全体の12%をイネの花粉が占めておりかつ8%は栽培種であったことが分かっています。
「稲作は弥生から」が考古学の常識だった発見当時、「縄文農耕」の是非を巡る議論の先駆けとなったそうです。

■愛媛県松山市の大渕遺跡では、土器表面の籾圧痕が見つかり、縄文晩期の水稲耕作の存在を強く示唆しています。
また、農耕具の磨製石包丁・石鎌と共に朝鮮半島出土の彩文土器に類似した大型壺が出土しています。
このあたりは岡本氏の指摘するとおり(27184)、大陸からの渡来が想定できると思います。

■高知県南国市の田村遺跡は、弥生時代前葉初頭から後期中葉まで継続したとみられる拠点大集落です。
総面積は約330,000uに及び、これまでに竪穴住居址約450棟と掘立柱建物約400棟が見つかっています。
弥生集落としては佐賀県の吉野ヶ里遺跡を上回り、鳥取県の妻木晩田遺跡と並ぶ国内最大級規模です。

ここでは、弥生時代初頭の水田跡が200枚以上見つかっています。
これらの水田は、河川の氾濫で一気に水没したものと思われ、おかげで当時のままの形で保存されたと見られています。

20 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
blog-imgs-44-origin.fc2.com/w/a/t/watasumu/Torai.jpg

玄界灘沿岸の北部九州にまず入ってきます。
そこから東北部九州をとおり、瀬戸内に入るのですが、その玄関口となったのは松山平野(大渕遺跡)でした。
ここから東へは香川県(林・坊城遺跡)へ進みます。
このように、稲作が日本に伝わり広まる頃の主要なルートは四国の北岸ルートだったのです。
九州から瀬戸内へ伝わっていく文化のなかで、米作り(生産)に関係する道具(石包丁や木鍬・鋤)は多少変化しながらも伝わります。
しかし、直接稲作に関係のないもの、例えば墓の副葬品である有柄式磨製石剣(ゆうへいしき ませい せきけん)は、出土する地域とそうでない地域があります。
伊予では松山平野に多く出土しますが、東予にはほとんどありません。
大陸で生まれ日本で発展した石鎌も中予では多く出土しますが、東予ではわずか1点。
国内で生まれ、弥生中期頃に瀬戸内で盛行したまじないの道具である分銅型土製品は、中予と東予では形や文様の表現の仕方が明らかに異なります。
このように、おなじ愛媛でも、中予(斎灘)と東予(燧灘)では大きな文化の差があるこtがわかります。
では、南予はどうか、となりますが残念ながら今は材料(資料)不足で判断が付きません。
ただ、土佐への稲作文化の伝わりを考えると、宇和盆地の果たした役割は大きなものがあったと思われます。



21 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
居徳遺跡トピックに見る「渡来人の海洋ルート」
www.rui.jp/message/02/71/84_6578.html

居徳遺跡からはこれまでに、長江下流域などの中国と、青森など東北地方の影響を受けた土器などが発掘されている。
クスノキ材の漆塗り容器(木胎漆器)は、漆の塗り方や構造が中国の春秋・戦国時代の工芸に共通し、国内最古とされる二点の木製鍬も、
朝鮮半島から渡来したと見られる佐賀県唐津市の菜畑遺跡から出土しているもの(2600年前、縄文人が朝鮮南部から水稲技術とともに持ち帰ったとされる)とタイプが異なる。

居徳遺跡のもう一つの注目点は、東北地方と関連の深い亀ヶ岡式土器と最大級の土偶。
亀ヶ岡式土器は四国の太平洋岸では初めてで、特に宮城県一迫町・山王囲遺跡のものに近いが、居徳の土器には赤と黒の漆を巧みに組み合わせたマジカルな文様が描かれている。
土偶は復元すれば高さ45pにもなり、腕の表現などが岩手県などの晩期の遺跡から見つかる石を人形に彫った岩偶に似ている。

元々漁労をよくした地域でもあり、居徳と長江下流域、さらには東北地方太平洋沿岸とを結ぶ「海洋ルート」の存在が十分想定できます。
居徳の北東約20qの南国市・奥谷南遺跡の縄文草創期(1万2000年前)の土器は、鹿児島県加世田市・栫ノ原遺跡などと共通し、かつてより一貫して海洋の往来は考えられます。

22 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
縄文と弥生の境目:共存のディテール
web.joumon.jp.net/blog/2008/05/000510.html

四国・高知平野の紀元前800年ごろの田村遺跡(高知県南国市)では、縄文の祭りを行わない集団が突然現れ、水田稲作を開始。
一方で、約25`西に位置する縄文以来の伝統的集落の居徳遺跡(同県土佐市)では、田村遺跡にわずかに遅れて水田稲作を始めたものの、
土器には縄文の色彩を強く残していた。

23 名前:日本@名無史さん [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
>>21-22 すげー!!
ロマン…また怒られるかもわからんけど、こじゃんとロマンあるきねぁ(土佐弁てこんなんやなw)。
前スレ埋め、お疲れっす。

24 名前:日本@名無史さん [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
今まで邪馬台国関連の話は九州か畿内かばっかりで、
この辺の遺跡が語られる事は皆無だったからな。
今までの縄文弥生の感覚で物事を捉えてると、
これからは置いてけぼりになるだろうね。

25 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
「出雲か近江か吉備か」みたいな本見たぞ

26 名前:日本@名無史さん [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
黒潮ルートで来た勢力は、まず舟を作れる、その為の道具を開発する知恵(技術)を持ってて、偏西風や黒潮の潮流を把握する知識があったんやもんな。
その道具類は鉱石採掘なんかに併用したり出来たんやろ。

27 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
瀬戸内側にはサヌカイトを用いて、交易流通網を
持っていた連中がいたよな。
太平洋側の連中と争った形跡はあるのかな?

28 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ]
『瀬戸内頭部のサヌカイト原産地』として、「石器原材として良質とみられる産地」を、
1. 二上山地域、
2. (淡路島)岩屋地域
3. 淡路島中部地域
4. (香川)金山・五色台地域
5. (広島)冠山地域。

「あまり良質でないとみられる産地」を、
6. (西宮)甲山
7. (鳥取)馬ノ山
8. (香川)豊島
9. 小豆島
10. 屋島
11. 紫雲山
12. (愛媛)皿ヶ峰地域、と図で紹介されていました。

29 名前:日本@名無史さん [2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ]
98 :日本@名無史さん:2013/06/14(金) NY:AN:NY.AN
宮本常一氏の研究によれば、三種類の海民が、瀬戸内海にみられるという。(「瀬戸内海文化の系譜」)
第一は、男女共漁をする海民で、北九州から瀬戸内海に移動してきた海民である。
かれらは宗像三神を信仰し、あわびや魚、海草を採取しながら移動する定着性の低い海民であった。
尼崎、海部などの地名が残っているのは、かれらの居住地と推定できる。
第二は、男漁女耕をする海民で、南九州から瀬戸内海に移動してきた海民である。
かれらは大山祇を信仰し、四国側を中心に定着し、後に村上水軍などの海上の武装勢力を形成した。
第三は、半農半漁をする定着民で、瀬戸内海に定着していた在来海民である。
かれらは、住吉の神を祀り、遠浅で磯漁の条件の良いところに居住した。
貝の採集に優れた技能をもっていたかれらは、あわびの採取、交易、製塩などに従事し、供御人などに任ぜられて朝廷との関係を結んだ。

30 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ]
瀬戸内海は女王を共立出来る環境にあったとは言えるだろう。
女はアマ、阿波は海国とはよく言ったもんだ。



31 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ]
こういうトンデモ説のスレを個別に乱立させるのはやめてもらいたい
荒らしと同じ
邪馬台国トンデモ説として1つにまとめてもらいたい

32 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ]
そう思うならドンと来いスレへどうぞ。
ここは四国徳島説のスレです。

33 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ]
都合の悪いものは何でもトンデモ扱い

34 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ]
全国あちこちで邪馬台国はおらが村だと言い出したらきりがない
こういう信憑性の低い説はひとまとめにしてそこでやれと言ってるだけ

35 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ]
阿波は信憑性は低くないと思うぞ。
今や北部九州説なんかよりよっぽど信憑性ある。

36 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ]
相手せんでいいと思うわ。スルーしときまひょうや。

37 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ]
つーかこんな説支持してるたった1人が自作自演してるのが痛いな
丹キチガイおまえだよ

38 名前:◆HKZsYRUkck mailto:sage [2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ]
四国説(阿波説)は、数ある諸説の中ではメジャーな部類だと思うぞ。
否定する根拠は、九州説や畿内説と似たようなレベルな気がする。

ただ、邪馬台国スレが多すぎるというのも同意。
たいていの常連さんは全てのスレをチェックしてるっぽいから、
分けてる意味はあんまりないような気がするしw

39 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ]
>>37
本当にそう思ってるのなら、お前の方がよっぽど痛いぞ‥

40 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ]
所詮は諸説w



41 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ]
阿波説が広まると相当都合が悪いみたいだね。

42 名前:日本@名無史さん [2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ]
つか、畿内と九州だけしか話をしていないのって凄く馬鹿げてるよね
四国以外だと吉備・丹後・出雲とかも謎が多い地域だし
このスレのスタンスとしては阿波=邪馬台国というより可能性を感じるってレベルだし
断定口調で阿波が邪馬台国だなんて言ってる人は誰ひとりとしていないがな。

阿波以外にも讃岐・土佐や松山の久米政庁とか色々新しい視点から見れるのがこのスレの意義だと思う

43 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ]
九チョン原人がスレ乱立させてるんだろw

44 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ]
愛媛に「久米」かあ
>>29にもあるけど、南九州から四国にかけて連続性があるんかねえ

45 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ]
あと食べ物関係だと、日本で唯一の製造法が残ってる発酵茶が高知にあるんだっけか
それと高知の遺跡からは激しく争った痕跡のある人骨とかが発掘されてなかったっけか
元々いた連中と渡ってきた連中とで争いがあったのかな

46 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ]
争った痕跡のある人骨は居徳遺跡ね
スレの上の方にも書いてある

47 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ]
>>14-22

48 名前:日本@名無史さん [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
縄文時代が平和な時代とか、マルクス主義者のプロパガンダやったんや!
パプアニューギアニアなんて鉄もないのに争いまくり

49 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
うどんのつゆって、関西は鰹、昆布が多くて、四国はいりこが多いみたいだけど
徳島はどっちが主流?

50 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
徳島うどんは基本関西風だよ。
フェリーもあって昔から関西圏との繋がりが深い。



51 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
>>45
高知の碁石茶と徳島の阿波晩茶のことかな。
乳酸発酵茶らしい。阿波晩茶はwikiがあった。

52 名前:水銀厨 mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
阿波徳島と関西の話で思い出した、少し興味深い話をひとつ。

家の近所、奈良の香芝市に送迎山(ヒルメ山)というのがある。
名前の由来はいろいろあるが、一つは聖徳太子が死去された際に斑鳩
から河内飛鳥へ送るのに利用した道、という説明があります。
でもそれは送迎という漢字が充てられた理由であって、元々
ヒルメ山であったはずと言えるでしょう。

江戸時代になって伊勢参拝(おかげまいり)のブームが
巻き起こるのですが、何故かこのヒルメ山と明神山周辺が
ここが大和本来の伊勢大神宮である、という動きが発生する。

実際内宮、外宮も造られて、当時かなりの参拝客を集めて
しまったので、当時の大和郡山藩からは偽の伊勢神宮だと
弾圧されてしまいました。
その参拝客というのが、伊勢は遠いという事で西からの人が
多かったそうだが、特に阿波からの参拝が多かったといわれてます。
ヒルメという名前に何かあったんでしょうかね?

53 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
美作国にも久米がある

54 名前:日本@名無史さん [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
和名抄郡名一覧によると

山陰道 伯耆国 久米
山陽道 美作国 久米
南海道 伊予 久米

があるね。

55 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
『古事記』では、最初に生まれた子どもは、隼人阿多君の祖の「火照命」、次に生まれた子は、「火須勢理命」、第三番目の子が「火遠理命」となっている。
火照命は「海幸彦」である。火遠理命は「山幸彦」であった。
阿多の海岸を舞台に展開された「山幸海幸の神話」は山猟と漁撈→隼人の海部と山部の「二面性」をうかがわせるのである。

久米族の変遷のあとを辿ってみると、『和名抄』に肥後国球磨郡久米郷がある。球磨郡久米郷は久米部と関係がある。
鹿児島県の薩摩半島にある南さつま市の上加世田遺跡から奈良時代の土師器椀が出土しているが、
それに「久米」という墨書のあるものが混じっていた『加世田市史』。

南さつま市の北隣にある金峰町阿多から数キロしか離れていない。阿多=吾田は、阿多隼人の本拠である。
こうして久米族が阿多隼人と同じ地域に居住し、両者が密接な関係をもっていたことはまちがいない。
つまり「久米族」はそもそも「肥人」や「隼人」に近い関係をもつ南九州の異族であった。
熊襲(くまそ)の「そ」は、村という意味なのか?阿蘇の「そ」なのか?肥人とか隼人と「記紀」には登場します。

播磨国を管理していた「伊予来目部小楯」は、伊予出身の「久米部」であり、山部連の先祖ということになっている。
来目部(くめべ)=久米部の居住地のなかで九州にもっとも近いのは伊予国久米郡である。
そこは『和名抄』に記載された古代伊予国十四郡の一つで、松山平野の東部に位置している。
クミ、クマ、クメはたがいに通音であり、薩摩半島の阿多隼人と関係がある。
今日の松山市北久米町及び南久米町は『日本地理志料』によると古代には久米郡久米郷に属し、この付近に久米郡を総括する郡家があったとされている。

56 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
伊予来目部小楯 【いよのくめべの-おたて】

生年: 生没年不詳
5世紀後半の豪族。山部連の祖。もともとは伊予国天山郡久米郷(松山市久米付近)を本拠とし、朝廷に出仕、大王の身辺に奉仕した久米部集団の長。
清寧天皇の時代、大嘗祭の供奉料を徴収するため、播磨の縮見屯倉(三木市志染町付近)に遣わされた。
これは、大王の供膳調理も担当した久米部としての職務にちなむものであろう。
その際、屯倉を管理する忍海部細目の新築祝いの宴に招かれ、そこで、市辺押磐皇子のふたりの遺児(弘計王、億計王。のちの顕宗、仁賢両天皇)を発見、直ちに朝廷に報じた。
この功績により、「山官」として山部(山守部)を統率、管理することになり、山部連の姓を賜った。
この二王発見の物語は、伊予の久米部集団の首長が、山部連として王権に奉仕することになった起源、由来を説いたものであり、
山部集団が、新嘗(大嘗)祭において、山林からの貢納を「山幸」として確保、献上していたことを窺わせる。<参考文献>山尾幸久『日本古代王権形成史論』

57 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
久米は沖縄と関東にもあるね
クメはコマなのかな

58 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
久米三十六姓

59 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%B1%B3%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%A7%93

60 名前:水銀厨 mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
吾田媛というと、ヒルメ山とは少なからず縁があります。
吾田媛とは夫の武埴安彦と共に、崇神天皇に対して謀反を起こす姫ですね。

その謀反を予知して迎え撃つのがモモソ姫という話は有名でしょう。
吾田媛は大坂越えから大和に進攻するのですが、大坂越えとは
正に送迎山周辺を越える道だろうと思います。
モモソ姫の墓石を持ってくる大坂山、芝山もすぐ近所です。

ここは穴虫越えの北方にあたり、山頂には後世も城が築かれたり
大阪湾まで見通せるので、米相場の伝達にも使われた
場所でもあります(今でも晴れなら明石海峡まで見えます)

この周辺は歴史的にも重要な場所のはずですが、何故かあまり
注目される事が少ないですね。



61 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
クメはクマ(隈)だろうね

62 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
熊(クマ)は貊(コマ)だね

63 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
熊襲=濊貊

64 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
駒(コマ)って子馬に由来する

65 名前:日本@名無史さん [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
>>51
碁石茶は知ってたけど阿波番茶は知らなかったわ^^;
発酵茶は碁石茶しか無かったと思っていた訳だけど

阿波番茶(徳島)の他にも石鎚黒茶(愛媛)と碁石茶(高知)に飛んでバタバタ茶(富山・新潟)
の4つしか日本に発酵茶の製造法が残って無いらしいね。

めっちゃ近くに2つも製造場所が残ってたのね

転載になるけど、詳しく載ってた
www3.synapse.ne.jp/hantoubunka/minzoku/02.0.htm
allabout.co.jp/gm/gc/218751/ 碁石茶(高知)
unit.aist.go.jp/shikoku/manual/512K.pdf 石鎚黒茶(愛媛)
allabout.co.jp/gm/gc/218759/ 阿波番茶(徳島)
allabout.co.jp/gm/gc/218754/ バタバタ茶(富山・新潟)

ちなみに四国のは全部空海が広めたらしいが
それだと富山・新潟の説明がつかんし、ばたばた茶は島根や沖縄で別の呼び名があるらしい。

66 名前:日本@名無史さん [2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ]
>>64
うちの地方では昔は馬(総称)=ウマ、牡馬=コマ、牝馬=ダウマと呼んでおりましたよ。

67 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ]
そういう時は、どこの地方かもきちんと書かなくちゃ

68 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ]
古代琉球で米をクミと発音してたとか、久米島はクミ島か
久米=コメと思ってたわ。

69 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ]
久米=クメール

70 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ]
瀬戸内東部も重要ですね
なんといっても今のところ日本で最初の製鉄は小丸遺跡なんだし。
倭人伝のルートというのは九州に囚われず、
山口辺りから広島経由で瀬戸内というのも考えてもいいでしょう。



71 名前:日本@名無史さん [2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ]
シュメール → 住之江

72 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ]
特殊器台ってシュメールの刻文器台に似てるよな
シュメールといや牛頭だし、牛頭といや鬼だし
私の友人の友人がシュメールの末裔ですみたいな人達がいたのかもな

73 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ]
伊勢白粉って水銀を主原料にしたおしろいがあるけど、約600度くらいの土器の焼成温度で作れるから
「以朱丹塗其身體、如中國用粉也」ってまだ作り方雑だろうけど、意外に白色してた可能性もあるんじゃなかろか
で、魏の人が「うちんとこ白粉に鉛使いますよ、水銀少しちょうだい」みたいな

74 名前:日本@名無史さん [2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ]
牛頭は、スサノヲだよ。牛頭天王。
ヤハウェは、八幡大菩薩の応神天皇等々とか。
西洋の世界樹は、日本国の扶桑樹。
中国の古典の三足烏は、日本国のヤタガラス。
月氏国の仏教の十羅刹は、日本国の扶桑に住む10つの太陽神。

あと、まだまだあったけど忘れた。

75 名前:水銀厨 mailto:sage [2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ]
久米‥伊支馬=イクメイリヒコはガチだと思う。

76 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ]
今日はざるうどんの大盛りに、すずしろと、くれのはじかみを薬味で食べました。

77 名前:日本@名無史さん [2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ]
うどんもいいが、この時季素麺もすてがたい
共にこえを合わせ、山羊の鳴き声でとうたろう

78 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ]
倭国=阿波が中心
邪馬台国=大倭、畿内大和の周辺国だね

79 名前:日本@名無史さん [2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ]
キリスト教やユダヤ教の国々がエルサレムやローマを聖地とたたえるように、日本人であれば京都・奈良を日本の特別な都・聖地としてたたえる。

・日本仏教の総本山や本山も大半が京都・奈良、畿内に存在する。
ちなみに、日本仏教の聖地は高野山と比叡山である。

・伊勢神宮をはじめ、神社の総本社も大半が近畿に存在する。
二十二社は畿内の神社から選ばれ、国家の重大事の時に朝廷から特別の奉幣を受けた。

・兵庫県淡路島の伊弉諾神宮には、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)が祀られている。

・天皇陵も京都の泉涌寺など京都や奈良、近畿にそのほぼすべてが集中しており、歴代天皇が眠る畿内、近畿はまさに日本の聖地

・日本の世界遺産もその多くがこの地域に存在している。

80 名前:日本@名無史さん [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
牛頭というとシュメールの粘土板に書かれた神々アヌンナキが頭に被ってる角の付いたバイキングの兜みたいので、
そのアヌンナキ天神エンリルを表す数が50で、
須佐之男等を祖神とする日本古代史に登場する天孫系氏族の姫やスクネの名によく五十が入ってるね。
天神エンリルの末裔って事かな?



81 名前:日本@名無史さん [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
あと牛とユニコーンはヤコブ(イスラエル)の息子のヨセフのシンボルマークだから、
牛頭の須佐之男はそのヨセフの子のマナセ族かエフライム族って事だよね。
ユニコーンは東洋に来たら鹿が角があるから末裔の扶余が鹿を神獣としてトーテムにしたみたいだけど。
四国は獅子がシンボルマークのユダ族のアマテラス・物部だよね。
天皇の隠された紋章には獅子とユニコーン両方が描かれてるから、
天皇はアマテラスとスサノオの両方の血統を有してるのかね。

82 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
ヤコブとかヨセフとかよう判らんけど、古代エジプトとか関係有るんならトンデモっぽい讃岐七富士の飯野山人造ピラミッド説もまんざらでも無いんかな。

香川県は四国最狭県ながら平野部は四国で一番広いとか、平らな土地に円錐形の富士っぽい山が七つもあんの?w一望出来んの?見てみたいw

讃岐富士から古代イスラエルの物証とか出たらオモロいねんけどな。ロマン嫌いな古代史好きには耐えれん話やろ。

83 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
E系もJ系も日本にいないから、ユダヤそのものではないね
チベットのD系のマナセ族かな、秦氏か

84 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1353410395/770-779n

85 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
邪馬台国関連のムック本が出てたが、不自然な程
丹山はおろか阿波にもふれないね。
やっぱりタブー視されてんのかな?

86 名前:日本@名無史さん [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
四国はアマテラス(向津姫)・物部たちユダ族系。
ユダ族は獅子を紋章とする古代ユダヤ王国ダビデ王家の末裔のイエス・キリストの末裔かと。
アマテラスの天の岩戸隠れはアマテラス一族から王権がかつていったん離れたか潰滅状態になって復活した事を意味するのでは。

87 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
古代史で四国はタブーなんだろうね。

88 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
>>84
ハプロタイプPが秦氏か

89 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
P…、  ペー……、  林家ペーと陰陽師安倍晴明は同じ出身地だったな
いや、Pは少なすぎだろ

陰陽道といえば、丘尾切断型前方後円墳上の八倉比賣神社、後円部の頂上部の奥の院に五角形の青石の台座、祠があるな
近くに五角形の井戸もあったな

90 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
PからはQとRが分岐する。Qはネイティブ・アメリカンに多くみられる。
RからはR1とR2が分岐し、R1はインドからヨーロッパにかけて多くみられる。
R1からはさらにR1aとR1bが分岐し、上流カーストのインド人やロシア人などの東ヨーロッパの民族に関してはR1aが多く、西ヨーロッパの民族ではR1bが多くみられる。



91 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
西日本における大和さんの分布
徳島県 徳島市 90件
徳島県 小松島市 80件
徳島県 阿南市 26件
兵庫県 姫路市 45件
広島県 呉市 31件
福岡県 宗像市 47件
福岡県 北九州市 八幡西区 51件

大和姓は比較的稀な苗字だが、徳島市南部〜阿南市と九州北東部に集中している特徴が有るようだ。

九州は宗像市〜糸田町ラインを軸に大和姓が分布している。
糸田町付近には伊都国の上古音=イタと類似する伊田という地名が残っているので、女王が一大卒を置いたのはこの付近か?

東日本では諏訪大社近辺に大和姓が異常に多い。阿波から信濃に諏訪大社が分祀されたのと関連ある?

92 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
久米姓の分布は?

93 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
阿波國の多祁御奈刀弥神社の社伝だと、信濃諏訪郡南方刀美神社は宝亀10年(779)に当社から移遷された
となってるけど、諏訪大社の社伝だと「孝徳天皇八年(六五二)一二月、信濃国諏訪郡南方刀美神社に勅使が遣わされて、
綿一○○把が奉献され、持統天皇五年(六九一)八月にも勅使が遣わされた。大宝三年(七○三)には祈年の奉幣に預かり…」
となっていて、阿波から移遷される前から名神大社の信濃國諏方郡 南方刀美神社が存在してることになってるけど
どっちが正しいんだろ

94 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ]
久米姓の全国分布は下の通り。
絶対数は愛知だが、比率では徳島が異様に多い。
名西郡石井町は多い名前のトップが久米さんだ

地域 順位 件数 総件数
北海道 ランク外 125 1,185,133
秋田県 ランク外 183 305,448
茨城県 ランク外 146 619,703
埼玉県 ランク外 190 1,065,988
千葉県 ランク外 112 895,288
東京都 ランク外 210 1,481,634
神奈川県 ランク外 192 1,265,377
静岡県 ランク外 300 793,837
愛知県 ランク外 616 1,186,142
大阪府 ランク外 252 1,253,846
兵庫県 ランク外 157 917,410
徳島県 64 509 193,859
香川県 ランク外 158 228,032
愛媛県 ランク外 155 350,960
佐賀県 ランク外 127 180,247
長崎県 ランク外 102 334,999

95 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ]
>>93
どちらも正しい。
諏訪大社の場所に当時、南方刀美神社があり、阿波の石井町諏訪からご祭神が移されてきたということ。
既存の神社が阿波の諏訪から勧進を受けたことで生まれ変わったのよ。

96 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ]
いや、別に疑ってるわけじゃないんだけど、阿波國の多祁御奈刀弥神社は延喜式内小社なんだけど
由緒が藩主蜂須賀候のことしか書いてなくて、信濃小笠原氏と阿波小笠原氏は北朝と南朝に分かれてるから
移遷の話の社伝と関係あるのかなとかちょっと思ったりした

97 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ]
やはり阿波周辺が倭の中心地だったという事か。

98 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ]
うどん VS そば であった

99 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ]
久米姓は海人系で大和姓は忌部系かな?

100 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ]
銅鐸の出土が多いのも兵庫、阿波や讃岐だね。
で、銅鐸は鍵唐古や北部九州で作られてたのもわかってるんだよね?
普通に考えてこれだけでも大体の倭国の範囲は判ると思う。



101 名前:日本@名無史さん [2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ]
海人系と忌部系って並立する概念なのか?

102 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ]
讃岐の巴形銅器3点も福岡市春日の鋳型(2世紀)と一致してるからね

103 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ]
銅鐸は3世紀前半の国譲り前の出雲政権下の倭国から出土。
出雲政権下にない銅鐸の出土しない倭国もあり。

104 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ]
銅鐸には牛馬の絵が一切ない点が、倭人伝の記述と一致するな。

105 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
>>100
自らをヤマトと名乗る集団が、阿波に本拠地を構え、瀬戸内海を経て九州北部まで勢力を持っていたのは確実だろうな。
九州は福岡県西部にしかヤマトが居ないから、肥前、豊後、日向はヤマトとは異なる国であり、
又一海を渡ること千余里、末盧國(宗像市)に至る。
東南のかた陸行五百里にして、伊都國(糸田町?伊田?)に至る。
東南のかた奴國(大任町)に至ること百里。
東行して不彌國(みやこ町)に至ること百里。
という日本海から陸路で瀬戸内海に抜ける最短ルートを維持していたんだろうな。

106 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
福岡県西部にしかヤマトが居ない×
福岡県東部にしかヤマトが居ない○

107 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
縄文時代に東日本で見られる五角形、六角形住居が、弥生後期に島根、鳥取、石川、富山、滋賀に多く、
大阪湾、瀬戸内、四国でも発見されている
このラインは銅鐸ラインと一致するね
西から入ってきた大陸技術がこのあたりで日本文化と融合して祭器として発展してるんじゃないかな
北部九州中心の武器型青銅器も、個人墓の副葬から土中埋納へと瀬戸内から北部九州に逆移入している
五角形住居、近江系の土器が九州は日向に弥生後期に見られるね

108 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
糸島は一大率を置くには少し不自然といえば不自然かもね。
糸田町なら周囲に睨みを効かせるのに良い位置だし、
奴国にしても二万戸の相当広範囲の中心にするのに自然な位置だし。
倭人伝に書いてあるような素潜りで漁が出来るようなところだったかを考えると
末盧國=宗像市は唐津市より不利かな。

109 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
福岡県東海岸まで持って行けば邪馬台国徳島説は俄然有力になるが
同時に畿内説も有力になる

110 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
苗字なんて地形からもしくは地名からくるものが多いので、邪馬台国や大和朝廷と関係あるとは限らなくね



111 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
記紀上ヤマトと名のつく人物は、元々瀬戸内にいた人物と
関連性があるのは事実だからな。
ハエイロネはオオヤマト〜、ウズヒコは倭国造となるのだし。

112 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
>>108
>倭人伝に書いてあるような素潜りで漁が出来るようなところだったかを考えると
>末盧國=宗像市は唐津市より不利かな。
そうでもないよ。
宗像市鐘崎は海女発生の地であり、松浦には鐘崎から海女が移住してきて村を作ったという伝承が残っているらしい。

113 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
ネットで検索しても、最近は阿波説を採る人が増えた感があるな。

114 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
捕鯨基地の遺跡が見つかれば面白いんだけど

115 名前:日本@名無史さん [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
>>113
御用学者とそいつらに脊髄反射して妄想を刷り込まれた畿内厨があまりにウザいからな

間をとって四国に落ち着いたんだろ

116 名前:日本@名無史さん [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
>>93主客転倒で伝承されることはよくあります。
この時代の先進地域は諏訪、長野盆地。
聖徳太子も善光如来に教えを請うている。

117 名前:水銀厨 mailto:sage [2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ]
聖徳太子というと、どうしても隋書倭国伝にある
ヤマトは古の邪馬台国であるという記述が問題ですね。

私はアマタリシヒコ=押坂彦人王子=アワキミという説を採るので、
必然的に阿波〜河内周辺を邪馬台国だという説を採りますが。

118 名前:日本@名無史さん [2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ]
アワっていうのは四国のアワじゃなくて、房総のアワな。
古代の日本の中心は扶桑国だった。
扶桑はbuo-souと読み、房総のこと。
安房国が高天原なのは間違いない。
日蓮大聖人が出現した地。ここが日出所である。

119 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ]
日蓮は高句麗系渡来人の可能性。
ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1349382889/

120 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ]
アマタリシヒコ=天足彦国押人命=小野氏の祖先



121 名前:日本@名無史さん [2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ]
遣隋使がどんだけ隋人とコミュニケーションとれてたのか、やね

122 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ]
彦人王子は相当な鍵を握る人物だろう。皇室の祖とも言えるのに。
記紀で記述が曖昧にされるのは、やはり
隋を怒らせた張本人だからじゃないか?

123 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ]
>>121
なめてんのか?
当時の文書は漢語だぞ
半島に権益ある立場で漢人と没交渉なわけないじゃん、半島の国には漢人官僚多かったようなのに
公用語同然だろ

124 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ]
日本書記みたいな下手糞な漢文で交渉してたのか

125 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ]
ここで聞くのもなんだが、崇峻天皇が漢帝の血が云々という資料なかった?

126 名前:日本@名無史さん [2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ]
崇峻天皇に対して、漢帝の東流の云々という祝詞が
あった気がするが、資料がわからない。

127 名前:日本@名無史さん [2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ]
四国は、魏志倭人伝でいう侏儒国だよ。女王国の東、海を渡ること千里、倭種。
以上。

128 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ]
いや、四国は女王国だよ。記紀には伊予の国と書いてあるしな。

129 名前:日本@名無史さん [2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ]
伊予のは松山市の御幸寺山古墳 円墳 埴輪なしのから

平原女王墓のと同タイプの方格規矩四神鏡(完形14.2cm)出てるからな。

銘帯「尚方作竟佳大好上有仙人不知老渇汲玉泉汎食棗寿如金石之天保楽未央兮」

130 名前:日本@名無史さん [2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ]
記紀のどこに伊予と書いてある?



131 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ]
四国は伊予二名島だよ。瀬戸内側は女神の国。
九州には男神しかいない。

132 名前:日本@名無史さん [2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ]
ん〜、その部分は、信憑性あるのかなぁ。
少しずれちゃうけど、記紀には、もっと正確な歴史を書いて欲しかったよ。
饒速日の話とか、物部の話とか、正しいとは思えない。
も〜、不比等君は〜、って感じです。

133 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ]
国生みの準備と名前は重要だと思うがな。
最初は回り方や手順を間違えて失敗したなんて話を挿入する位だし。

134 名前:日本@名無史さん [2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ]
一番最後の本州は、一番軽い存在だったのか

135 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ]
本州目線だと、本州は最初か最後になるだろう

136 名前:日本@名無史さん [2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ]
確かに、国生みの準備等は重要です。
軽率な発言、お許し下さい。

137 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ]
そういえば映画のエンディングクレジットも最初と最後に重要な役者がでるねー
弁当も最初と最後に好きなのを食べる と

138 名前:日本@名無史さん [2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ]
ただ単に、小さいものからステップアップして
作っていったようにも見えるな。
だから、いっちゃんデカイのが、いっちゃん最後と。

139 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ]
筑紫島は佐度島よりちっこかったのであった

140 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ]
順番で〆の大トリは大事だろう。



141 名前:日本@名無史さん [2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ]
本州はビリ

142 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ]
終りよければ全てよし  ウィリアム・シェイクスピア

143 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ]
トリといえばひばりかサブちゃんだろう。
小物に任せる事は出来ない。
これはとても大事な事だ。

144 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN ]
そうすると、お年よりはオネムの時間だからなあ。

145 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ]
邪馬台国が徳島だとして、女王は何処に居たんだろう?
吉野川流域には径百歩の神域を持ち卑弥呼が眠るとされる八倉比売神社が有り、その眼下にアワシマが広がっている。
那賀川流域には弥生期では日本唯一の水銀朱鉱山跡である若杉山遺跡が有り、二十以上のヒルコ神社が密集している。
どちらも古事記と魏志倭人伝を繋ぐ要素を持っているが、女王はどちらに?

146 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ]
阿波が重要だとしても、都を此処に置くかというのは
別問題なんだよ。
個人的には卑弥呼にあたる人物は、畿内に居たと思う。

147 名前:日本@名無史さん [2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ]
邪馬台国は土佐山田。
香北町、物部村と2006年3月1日に合併し香美市(かみし)となった。
邪馬台国とは山田国。この字があてられて日本全国に地名が残っている。

148 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN ]
徳島城を復元する金があるなら
邪馬台国関係につぎ込んでほしいな
徳島は近世より古代が面白い

149 名前:日本@名無史さん [2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ]
阿波風土記、阿波続風土記の詳細を検討する必要があるな。
はっきり大和の香具山は四国から別れたと書かれてるのに
知らない奴(知らないふり?)が多すぎだよw

150 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ]
リカミタフリは九州大宰府で六官、対半島との外交担当も行う。
アマタリシヒコ(彦人王)が難波津で倭王、
大和には卑弥呼以来の系譜である、巫女と
補佐する法王(推古と厩戸)が存在する。
対唐新羅の敗退を隠す目的で、都合の悪い部分は
改変されているのだよ。



151 名前:日本@名無史さん [2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ]
邪馬台国は四万十。
あまりの暑さに敵は攻めてこられない。天然の要塞。
邪馬台国が滅んだのも、暑さのせいだろう。

152 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ]
いや、四万十じゃなくて七万戸

153 名前:日本@名無史さん [2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ]
邪馬台国の玄関口は瀬戸内海側四国の中央、山田井だろう。

154 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ]
>>145
那賀川の南側に天照大神生誕の地とするとこがあるね。
津乃峰神社は元々ふもとの方にあって、どうたらこうたらとか。

155 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ]
八倉比命の八倉とはどういう意味だろうな。
矢野遺跡の矢?

156 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ]
南四国における弥生集落の成立と展開
https://ir.kochi-u.ac.jp/dspace/bitstream/10126/4563/1/59dehara.pdf

南四国における弥生時代の遺跡は、物部川流域や仁淀川流域の平野部、わけても県中央部の香長平野とその周辺部に集中しているところに分布上の特徴を見出すことができる。
縄文時代遺跡のおおよそ7割が四万十川流域や西南部の海岸部、所謂幡多地域に分布しているのに比べると極めて対照的な現象であると言えよう。
これは集落遺跡の展開についてもそのまま当てはめることができる。

157 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ]
高知県の縄文遺跡とその文化
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/31/5/31_5_399/_pdf

高知県における縄文遺跡は、現在、170ヵ所が明らかである(高知県教育委員会、1988)。
その密度は西部に高く、なかでも南西部の幡多地方が断然多く、次に仁淀川流域の佐川盆地、ついで須崎湾に注ぐ新荘川流域の3地域に遺跡の密集地が大別できる。
中央部から東部にかけては、遺跡の分布も散在的である。
南西部に遺跡が多いのは、この地域は気候温暖で、県下最大の河川四万十川が内陸山地を貫流し、沿岸部はリアス式海岸を形成するなど、当時の人間が生きて行くための自然環境が他地域に比べ優れていたからにほかならない。
縄文遺跡は、四万十川流域の河岸段丘上や海岸の海岸段丘上に立地し、縄文の人々はそこで豊かな生活を営んでいたのである。

158 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ]
女神の国って徳島以外だとどこ?愛媛?
畿内や中国地方には女神はいない?

159 名前:日本@名無史さん [2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ]
愛媛って「ええん」、「いおん」で伊豫だよね。
伊豫って「いゆい」伊倭で、「いわ」だよね。
岩ってGangで、綱、つな、二名、あみ、網だよね。
伊倭って「あい」、「あわ」で二つの倭だよね。
粟って大宜都で「ういと」伊都で二つの都だよね。
大宜都比賣って二つの倭の姫だ。

160 名前:日本@名無史さん [2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ]
四国の物部(ものべ)は物部氏と関係あるの?
確か、イザナギ流は平安時代ぐらいからだよね。



161 名前:日本@名無史さん [2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ]
巷で話題の四万十川周辺が土佐国の旧幡多国だよな。
隋の使いはやっぱり四国を回ってたのかな?

162 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ]
>>149
阿波風土記は明治の初年までは蜂須賀家と徳川家にあったことが記録にあるようですが、その驚愕の内容ゆえに明治政府により封印されたという伝承が有りますね。
逆に、阿波風土記を政府に没収されることを恐れた各大名家が隠したとの説も有るようです。
天皇陛下が阿波風土記を見に来られる前日に謎の不審火で焼失したという伝承も有りますが、これは阿波風土記を守るための巧妙な偽装工作だったのかもしれませんね。
おそらく、不比等が改ざんする前の日本の正史がそこには有るのでしょう。

163 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ]
>>154
あんなトンデモ説を若杉山遺跡と同列に語るのは、若杉山にあまりに失礼だわw
妄想と、根拠のしっかりした史跡を一緒にせんといてくれ
「邪馬台国が徳島だとして」じゃねぇよw

164 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ]
>>163
別にトンデモ説でもいいが、あの辺は海の底ではなく北の脇の自然堤防によって湿地帯が形成されていた。
道の無かった岐のつく地名の場所を伝って船で連絡していたのは間違い無い。
なぜか知られていないが、阿南中学の横に石棺があるんだよ。地元民が草刈などして保守していたが、
今は木と草に隠れて遠めには確認できないが。

165 名前:日本@名無史さん [2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN ]
誰かここに八倉比命の名前の意味判る人いますかね?

166 名前:日本@名無史さん [2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ]
与ーが矢と共に野に行ってしまった。与ーがいない那須 (石井)の日照山

167 名前:日本@名無史さん [2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ]
結局、須佐之男命も天照大神も、水を失つたのが決定的な敗北だった?
水を軽んじる者は水に泣く。龍を苦しめたので、仕返しされた天籠山。

168 名前:日本@名無史さん [2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ]
阿波の国って、権力闘争に敗れて下野したり、戦に敗れた落ち武者が
落ち延びる場所になってる場合が多いね?

古代イスラエル人が落ち延びて来て、剣山周辺で豪族を形成していたりとか
源平合戦で負けた平氏が、祖谷で隠れ住んだりとか
室町幕府の将軍が京都での権力闘争に敗れて、那賀川下流の平島庄に流されたとかな。

169 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ]
かくまってもらえる環境にあったという事だろう。

170 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ]
ちなみに忌部氏は藤原家の先祖だよ
となると卑弥呼徳島説が有力なら
天皇家から藤原家の流れになってしまう。
まあでもかなり近いよね



171 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ]
忌部氏は中臣氏の先祖という主張?
忌部鎌足が中臣氏を仮冒したという主張?

172 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ]
>>171
いや、インベ→中臣→藤原が天皇家のワケないなと思って。
でも卑弥呼は祭祀だからインベともあうなあ

173 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ]
しかし古代ではそれこそ大日本帝国であったのに
今本当に島国の小国になってしまったよねえ

174 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/09/01(日) 15:43:28.88 ]
で、結局 今の段階では
何説が1番有力なんですか?

175 名前:日本@名無史さん [2013/09/01(日) 15:46:09.23 ]
阿波を去らない眉山、八人塚はあわさるまい。「---妙能衣乾有---」

176 名前:水銀厨 mailto:sage [2013/09/01(日) 19:52:56.87 ]
八倉比命…八というのは蜂に通じる気がしますね。
刺す矢ともかけてあるか?とは考え過ぎでしょうかね?

蜂の語源がイマイチはっきりしませんが、
蜂は百足と同じく鉱山とは縁が深いのです。

177 名前:日本@名無史さん [2013/09/02(月) 03:31:40.82 ]
一時期はこれに流されかけたが、関連書籍を読んで一瞬で冷めた
ありとあらゆるものを四国に集める、あまりの「欲しがり」っぷりが異様

178 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/09/02(月) 11:17:20.87 ]
一部の阿波説はやりすぎで、盲信は九州王朝説の二の舞になるよ。

179 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/09/02(月) 23:22:51.13 ]
阿波説っつうっか、九州と畿内以外に居場所が無い奴が
最初にユダヤやら何やらトンチンカンな事をやったのが駄目なんだな。
だからこのスレのスタンスとしては『四国には何かがある』だしスレタイ詐欺だがw
広い目で見ると四国は本当に探究心を煽る場所だと思うよ。

180 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/09/03(火) 16:59:11.55 ]
何でも阿波に結びつけようとして他スレをやたら荒らしてるやつがいるよな
1日中張り付いてるんじゃないかってくらいしつこい



181 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/09/04(水) 09:15:31.81 ]
それをわざわざ確認するお前はどうなんだw

182 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/10/02(水) 22:59:29.48 ]
阿波おどりというのは、古代イスラエルの躍り。まず間違いなかろう。

183 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/10/04(金) 07:21:11.61 ]
邪馬台国は、
「ヤマタイコク」ではなく「ヤマトコク」で、
四国のどこかにあったと考えるのが自然だと思う。

なぜなら、阿波忌部が天皇即位後の大嘗祭に大きく関わっており、
その記録が三木家に残っているから。

184 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/10/04(金) 10:14:34.14 ]
なぜならの後が邪馬台国と関係する根拠がない
邪馬台国がヤマトかどうかの論拠に、ヤマトと徳島の関係を持ち出しても意味がない
また品部は周辺諸国に数多あり、阿波忌部に殊更の特殊性もなく、ヤマトにとっての阿波の重要性の証左にもならない

185 名前:日本@名無史さん [2013/10/06(日) 18:02:09.27 ]
史記に記された、
遥か天山山脈に“ヤマトゥ”と呼ばれる、
夜も燦然と輝き続ける中国人の理解を遥かに超えていた謎の超文明。
彼等が日本に来てヤマト‐大和?‐耶馬台?を建国したのか。
「三日月王国(クルジャ)」この世は謎だらけ
ameblo.jp/tsukioto2011/entry-11497856138.html

英国研究所が隠滅した四国で発見された菊花紋やダビデのマーク、
今の時代には存在しない特殊な金属‐
三日月王国ヤマトゥから来たオリハルコン?
ameblo.jp/tsukioto2011/entry-11570943731.html

186 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/10/07(月) 22:39:34.18 ]
>>151
四万十っていうのは四万十里にある場所
となると万二千里にある邪馬台国の場所も絞られてくる

187 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/10/09(水) 07:55:55.31 ]
ゾロアスター教の流れをくむ火祭りは、現代人が見ても驚く。

188 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/10/09(水) 08:57:32.56 ]
「火祭り」今検索してみたけど、さぬき市の?有名ですの?
父親の田舎が高松やけど全然知らんかった。

189 名前:日本@名無史さん [2013/10/09(水) 19:10:25.93 ]
↑おにゃの子かな?方言可愛ええ〜。

190 名前:日本@名無史さん [2013/10/09(水) 19:26:28.55 ]
応神天応は、天孫系ですか?それとも、出雲系ですか?部族でいうと何氏になるのでしょうor近い部族。

河内の白鳥の近くに墳墓があるし、古墳人?仁徳天皇みたいにマナの壺みたいなポチはあるのですか?

阿波にも、応神という地名があるのは、何か関係がありますか。藤○氏が多かったみたいですが、春日の地名や神社も多い。

豊国(トヨ?)が最初、本拠で、宇佐の神社に祭られているんでしょうか?宇佐は因幡の兎とどういう関係があるのでしょうか?

相関関係がわからなくて。

善光寺を作ったのは、その末裔ですか?



191 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/10/09(水) 21:08:24.01 ]
そのコピペ、そんなに面白いかな???

192 名前:日本@名無史さん [2013/10/11(金) 15:35:44.63 ]
古代より2世紀くらいまでは、徳島にあったと思う。
2世紀終わりごろに、ニュージーランド大噴火と四国大津波で
大乱になり、その時に畿内に遷都したと思う。

193 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/10/14(月) 20:21:34.02 ]
遷都したら旧都から人と一緒に物資が流れ込む。
巻向に流れ込んでる土器の主力は東海と近江の物

194 名前:日本@名無史さん [2013/10/25(金) 19:49:23.14 ]
この後↓

NHK徳島 開局80周年記念番組
 阿波スペシャル
「蜂須賀家の素顔〜徳島を283年間治めた殿様たち〜」
放送日 10月25日(金) 午後 8:00〜8:43
出演・ナレーション
 松村邦洋 小日向えり 安田真一郎アナ 寺田はるひ

195 名前:日本@名無史さん [2013/10/25(金) 23:02:32.08 ]
キリスト教やユダヤ教の国々がエルサレムやローマを聖地とたたえるように、日本人であれば京都・奈良を日本の特別な都・聖地としてたたえる。

・日本仏教の総本山や本山も大半が京都・奈良、畿内に存在する。
ちなみに、日本仏教の聖地は高野山と比叡山である。

・伊勢神宮をはじめ、神社の総本社も大半が近畿に存在する。
二十二社は畿内の神社から選ばれ、国家の重大事の時に朝廷から特別の奉幣を受けた。

・兵庫県淡路島の伊弉諾神宮には、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)が祀られている。

・天皇陵も京都の泉涌寺など京都や奈良、近畿にそのほぼすべてが集中しており、歴代天皇が眠る畿内、近畿はまさに日本の聖地

・日本の世界遺産もその多くがこの地域に存在している。

196 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2013/11/30(土) 23:05:45.17 ]
www.youtube.com/watch?v=wuDOebvhhe0
南端の北に南端はある

197 名前:日本@名無史さん [2013/12/01(日) 18:04:02.98 ]
九州・出雲・吉備・阿波・・・規模が国とか王朝とかどのレベルかは分からないけど、少なくとも
一定の大きな勢力が存在したのは間違いないよね。
けど、別にそういうのがあったならあったでいいのに、歴史上見事に隠されている感じ。

198 名前:日本@名無史さん [2013/12/14(土) 13:10:38.57 ]
消されたんだよ大和朝廷に

199 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/01/06(月) 00:53:52.89 ]
発掘によると2世紀くらいまでに吉備や阿波から文化が畿内に伝播したのは確実だと思うんだが、正史に残っていないのがつまらないな。
幕末に所在不明となった阿波風土記が出てきて正史と符合しない出雲風土記の謎が解ると面白いんだが。

200 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/01/08(水) 03:26:08.30 ]
これ書いていいんだろうか。
剣山とは、ソロモン



201 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/01/10(金) 01:29:26.58 ]
>>197
腰や毛野や鹿島の抹消ぶりに比べたら大したことない

202 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/01/11(土) 11:58:12.13 ]
ソロモン王の鉱山師たちは、中央構造線沿いに東進しながら鉱物資源を探し回っていたから、
四国への上陸は必然ですよ。

203 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/01/12(日) 00:26:40.10 ]
>>200
そんな話はネット上にいくらでもあるよw
じゃ、卑弥呼はシバの女王の末裔という事で。

204 名前:日本@名無史さん [2014/01/12(日) 19:58:06.20 ]
あとは四国をどう判断しようかな。
九州王朝説のような勘違いだけは避けないと。

205 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/01/15(水) 01:02:38.19 ]
讃が讃岐で珍が珍彦で済と興と武は何処にしよう

206 名前:日本@名無史さん [2014/01/27(月) 14:59:45.74 ]
新情報ないの?

207 名前:日本@名無史さん [2014/03/09(日) 15:36:21.48 ]
ないね

208 名前:久米の末裔 [2014/04/03(木) 14:57:35.17 ]
久米姓について
  天孫降臨時の天津久米命、神武東征時の大久米命、久米歌、久米の舞、等
 の事が古事記に記されている。久米の地名は日本に沢山あるが、元々久米族
 は天孫族の軍団関係者であり大和朝廷が全国へ展開する過程で広がっていった
 (駐屯)と考えられる。日本国内で久米姓の最大最大集積地は四国、特に徳島
 であることを理解してください。邪馬台国徳島説の根拠は数多くあるが俗説に
  惑わされている俗人(戦後の左翼系歴史学者)には承服できないでしょうが。

209 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/04/03(木) 20:09:27.39 ]
菅原氏だけ、出自が不明なんだよな。
博士で、神別。道真は天神。

210 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/04/03(木) 22:15:38.66 ]
唐人駄場
www.moritomidori.com/sasayaki/shizentaiken/oodokai.html

「唐人駄馬遺跡には縄文時代早期(B.C.5,000年頃)から弥生時代にかけて、石器や土器片、矢じりが多く出土しちゅう、ここのストーンサークルは世界一の規模やろうと言われゆう。
高さ6〜7メートルもある巨石の唐人石があるし、他にもここの地区には250カ所の巨石があるといわれゆうが、その数もまだ確定はされちゃあせん。」



211 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/04/03(木) 22:18:58.07 ]
唐人駄馬 唐人石
www10.ocn.ne.jp/~veeten/iwakura/kochi/tojindaba.html

備考 周囲の状況から海人系の遺跡と思われる

212 名前:事実を知る者 [2014/04/06(日) 17:02:29.30 ]
阿波忌部(三木家)にて天皇家の私事行事である大嘗祭用の麻の衣服を献上
している事は最近ネット上でも流れています。
本件の要点
 1)現存している南北朝時代以前の、宮廷より三木家に対しての衣服(あらたえ)の要請 
    文書は命令口調ではなく「お願い文書」である
 2)献上するアラタエは単なる麻の衣服ではなく、三木家にて先祖天皇霊を
    祈り込めた特別なものであること
 3)先帝の死後直ちに皇太子殿下は即位されるが、正規の天皇即位は2年後
   行われる大嘗祭を経てなされるものであり、この儀式に使われる衣服が
   アラタエである
 4)戦後、天皇家の儀式は天皇家の私事として社会一般的には扱われているが、
   この儀式は新たに即位された天皇陛下が先祖天皇霊とアラタエ通じて
   一体化(同一化)されることに意味がある。
   (実際上、如何様な儀式であるか恐れ多きことにて伺いしれないが
   1昼夜、天皇陛下お一人にてアラタエと共にある部屋にて過ごされるとの
    ことである

  以上、阿波忌部直系子孫三木家より献上されるアラタエなる物の意味を
  記載しました
  
    

213 名前:日本@名無史さん [2014/04/07(月) 13:23:01.71 ]
弥生人の弥生はヘブライ語で神の民ユダヤを意味するらしいです。

www.historyjp.com/article.asp?kiji=101

淡路島には古代イスラエルの遺跡が多く
淡路島にたどり着いたイスラエル人が、徳島の剣山に向かい、
その周辺に住みつき邪馬台国を作ったという説が
正しいんじゃないかと思います。
古事記と旧約聖書の共通点が多いといわれてます。
天皇のルーツも古代イスラエル王族かもしれません。

214 名前:日本@名無史さん [2014/04/07(月) 13:58:54.37 ]
はいはいさよなら

215 名前:日本@名無史さん [2014/04/07(月) 15:37:19.68 ]
一番偉いのは四国人?

216 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/04/07(月) 17:36:04.05 ]
ウィキペディア編集者ジャムリンによる自演が酷すぎる件
以下が問題の爆笑自演投稿

日本史板住人がWikipediaを弄るスレ PART20
awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1372047431/l50

569 名前:日本@名無史さん :2014/04/06(日) 12:39:28.23
ジャムリンって何者なんだ?
そんな悪い奴なのか?

570 名前:日本@名無史さん :2014/04/06(日) 12:54:41.47
>>569
ジャムリンは偉大な天才歴史学者です。
イケメンで長身、髪はフサフサの美形青年です。
フェラーリ・ベンツに乗って美女に大人気、誰もが羨む男の鏡、神の化身のような大英雄です。

217 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/04/09(水) 09:23:39.95 ]
安倍の集団的自衛権がなんでおかしいかと言うと
他の先進諸国が海外から入国さえ拒否されてる野蛮民族(パキスタンエジプトインドネシア中国韓国etc...)
を山ほど移民させてるのに、つまり放っておいても日本人は国内、内側から滅亡させられる状況を作ってるのに
さらにその存亡の危機にわざわざされてる日本人男子を徴兵してまで守らせる戦わせる意味は全くないからである!

日本国内における移民の数は現在ほぼ300万人(外国にこんなバカなことする国はまずない!)

この野蛮人移民を今後さらに20万人ずつ増やす予定(実際はそれ以上)

日本人の所得の1/10以下の野蛮人達(留学生を含む)が日本に来て数年で数千万円の所得を手にできるのは

日本人の税金から支給されるため。日本人の重税はそのため。消費税増税は野蛮人移民の生活費遊興費に充てられる。

野蛮人移民たちは日本へ税金も保険料も払わずタダで日本医療を受けられそれは一生日本人が負担し続ける。

SUICAなどで移民は消費税控除され払わない,
日本への税金は一生払わない。→日本人の貧困→奴隷化→子供を学校にさえ通わせられない日本人

218 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/04/17(木) 16:52:54.16 ]
【高知】今夏に海底遺跡の詳細調査へ 「巨大地震で集落が海底に沈んだ」沿岸に言い伝え残る
ai.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1397666485/

過去の巨大地震で集落が海底に沈んだという、高知県沿岸に残る言い伝えについて調査している
高知大学などの研究チームはこの夏、ダイバーが海に潜って海底の地質などを詳しく調べることになりました。
この調査は、高知大学と、独立行政法人の海洋研究開発機構の共同チームが行っていて、
先月、高知県の南国市と須崎市の沖合、2か所で船の上から海底の地形を調査しました。
16日は、高知大学海洋コア総合研究センターで調査結果の報告が行われ、
いずれの場所でも水深20メートルの海域の中に水深が6メートルの浅くなっている場所が見つかったものの、
明らかに人工構造物と判断できるような集落の痕跡は確認できなかったことが報告されました。
一方で、須崎市沖の浅くなっている区域は、およそ数十メートル四方にわたって海底が平らになっていて、
人の手が加わった可能性もあると説明されました。
その上で、かつて海底に井戸のようなものを見たという地元の漁師に海底の地形の画像を見てもらい
改めて意見を聞くほか、この夏、実際にダイバーが潜って海底の泥などを採取し、
詳しい年代を測定することにしています。
海洋研究開発機構の谷川亘主任研究員は「採取した海底の泥の詳しい年代などを測定することで、
集落が海底に沈んだという言い伝えと過去の地震との関連を、科学的に解明したい」と話しています。

www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8013776601.html

219 名前:日本@名無史さん [2014/04/22(火) 14:43:33.96 ]
徳島って、神秘的な
ところですよね
宮崎駿の映画みたいな
阿波忌部とか
阿波踊り見に行ったこと あるけど
確かに、雰囲気ありますね忌部神社も徳島市、吉野川市にあると聞きました
歴史が好きな方には
おすすめです
高知県に行くついでに
行く人が多いみたいです

220 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/04/22(火) 22:25:12.67 ]
【古代】 邪馬台国はどこにあったか・・・ アマチュア研究者がケンケンゴウゴウ&カンカンガクガク
hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1398092166/

邪馬台国は畿内?九州? 立場違う研究者が協議会発足

所在地などをめぐり論争が続く古代国家・邪馬台国。その謎を追いかける研究者や専門家が集う
全国組織「全国邪馬台国連絡協議会」が19日、東京都内で発足した。

集まったのは会員数1500人を誇る古代史研究団体「邪馬台国の会」や「山陰古代史研究会」、
「九州の歴史と文化を楽しむ会」の代表者などアマチュアの研究者ら三十数人。
会長には古代史研究家の鷲崎弘朋さんが就任した。個人会員のほか、団体として15の研究会が加盟した。
アマチュア研究者が集まるこのような組織は初めて。

畿内説、九州説など立場の異なる研究者が交流を深め、一緒に発表を行うことで、邪馬台国をめぐる
謎の解明と研究の活性化を目指す。特別顧問には、京都大名誉教授の上田正昭さんや
明治大名誉教授の大塚初重さん、元産業能率大教授の安本美典さんら、20人の専門家が就任した。
全国大会のほか、地区別の大会なども各地で開催し、地域おこしにつなげたい考えだ。
(編集委員・宮代栄一)

www.asahi.com/articles/ASG4J5G05G4JULZU00L.html?iref=com_alist_6_02



221 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/05/07(水) 06:38:20.32 ]
台が付くだけに台湾でしょ

222 名前:日本@名無史さん [2014/05/07(水) 11:01:42.57 ]
徳島だったら、面白い。

223 名前:日本@名無史さん [2014/05/11(日) 09:38:12.45 ]
徳島の歴史に、詳しい方居ませんか?話しましょう。

224 名前:日本@名無史さん [2014/05/11(日) 09:56:53.20 ]
倭ってものの正体、判明してきた?

漢字の導入の謎につながんのかな?

例えば阿毎は天に転換してるし

225 名前:日本@名無史さん [2014/05/11(日) 11:14:13.29 ]
インドネシア語でawangは天の意味
ちなみにタガログ語でparangは原の意味
漢字音でもそうだが、末尾音のngてのは日本語に入ってくるときに落ちる

226 名前:日本@名無史さん [2014/05/11(日) 11:47:48.07 ]
どういうことかんね?
古代の碑文は楚語でみんな書かれてますし

227 名前:日本@名無史さん [2014/05/11(日) 11:49:01.85 ]
この楚語文体にあたるのが平仮名でおますし

228 名前:日本@名無史さん [2014/05/11(日) 12:07:00.63 ]
徳島、邪馬台国説。よく聞くのは、阿波忌部が云々とか…

229 名前:日本@名無史さん [2014/05/11(日) 17:01:26.90 ]
邪馬台国。徳島だったら笑えるな。今まで、馬鹿にしてたのに。

230 名前:日本@名無史さん [2014/05/11(日) 17:04:24.10 ]
忌部なんてそこら中にあるじゃねえか
あれ仕掛けたのどういう経緯なんかねえ
茨城の多氏、中臣氏なんてのもそうだし



231 名前:日本@名無史さん [2014/05/11(日) 17:07:19.68 ]
邪馬台国なんて日本にあったなんて思わない方がいいぞ

232 名前:日本@名無史さん [2014/05/11(日) 17:08:13.36 ]
ここも基地の巣窟だな

233 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/05/11(日) 17:12:04.54 ]
いやマジ、徳島が邪馬台国の版図内である可能性は結構高いだろ

234 名前:日本@名無史さん [2014/05/11(日) 18:15:10.82 ]
テレビで、やったけど。 確か、みのもんた司会(笑)

235 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/05/11(日) 18:44:52.31 ]
魏志倭人伝を信用すれば徳島が邪馬台国の可能性が最も高いね。

236 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/05/13(火) 00:00:01.77 ]
根拠ないじゃん

237 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/05/13(火) 11:52:48.95 ]
根拠のある場所は何処にもありませんが何か

238 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/05/14(水) 03:38:25.55 ]
無いのは確証で説の根拠とは違うが

239 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/05/16(金) 07:46:57.56 ]
侏儒国は邪馬台国ではない。

240 名前:日本@名無史さん [2014/06/05(木) 03:41:38.96 ]
宇和盆地なら、人名ホケツ氏が現在は北関東あたりに住んでるのはなんでだろ?



241 名前:日本@名無史さん [2014/06/06(金) 01:04:03.19 ]
当時は陸上海上で方位磁石を使ってたのかな。
磁針があてにならない場面がある、四国の蛇文岩地帯の山中を歩くときも、ときおり磁石で方位を見てたんだろうか?

242 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/06/06(金) 01:31:37.34 ]
指南車、指南魚という方位磁石に相当するモノはあった

243 名前:日本@名無史さん [2014/06/06(金) 20:01:29.77 ]
関係あるか分からんが、大和という苗字は徳島県に多い

244 名前:日本@名無史さん [2014/06/06(金) 23:07:40.55 ]
文献を漁ってみたが、徳島県の古代史は少ない
やはり何らかの圧力でもあるんだろうか

245 名前:51歳過ぎの男性 [2014/06/07(土) 04:36:50.17 ]
大和姓=福岡県にもある。
法華津姓=記憶によれば、私の大分市時代の同級生。

四国説も なかなか良いね。

246 名前:色男は、長宗我部様 [2014/06/07(土) 04:38:58.98 ]
>>244 あるかも知れませんね。

247 名前:日本@名無史さん [2014/06/07(土) 14:35:02.79 ]
四国山上説ってのはどうよ

248 名前:石鎚山? [2014/06/07(土) 22:17:32.45 ]
ははぁ。誰か研究者いないのかな?

249 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/06/08(日) 00:04:48.73 ]
古代史はともかく、「邪馬台国」に興味があるのって、年寄ばっかだからなあ

250 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/06/08(日) 05:50:59.80 ]
>>249
若い子は日本神話自体知らないし、知ろうともしないしなあ…
中二病辺りで神話漁ってたけど、今はラノベいっぱいあるからなあ…



251 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/06/11(水) 17:10:28.70 ]
興味があっても結局畿内と九州で政争してるだけだからな
さっさと怪しいところは全部調査しろよって言いたくなる

252 名前:日本@名無史さん [2014/06/27(金) 17:14:09.79 ]
《阿波国》 大体気健やかにして、智も有り。
然ども智有を以て届きたる意地を忘却して変道を行ふ事あるべし。
されども人をたばかり、強盗などの類はきわめて有るまじきなり。

《讃岐国》 気質弱く、邪智の人百人にして半分かくのごときなり。
武士の風俗、別て諂い強く、方便を以て立身をすべきなどと思ふ風儀之由。

《伊予国》 古より是の国には海賊満ち満ちて、往来の舟をなやます由聞及ぶに違わず、
今も猶、徒党を立て一身を立るやから多し。誠に関東の強盗、是の国の海賊、同じ業にして、
武士の風俗一段手強しといへども、武士道吟味之無きゆえ、危きことのみ多き風俗なり。

《土佐国》 成程、直にして、気質すなをなる国風なり。
されども遠国にして、その言舌卑しきなり。心底は形の如く直なり。

253 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/07/09(水) 08:45:10.85 ]
永井英彰氏特別講演会
blog.goo.ne.jp/mitsuominami/e/4ad0c9b54713a4d3d2904a47116b0d43
阿波踊りと沖縄エイサー
blog.goo.ne.jp/mitsuominami/e/8ea533d9937121ba3ad7ae2d233e4001
忌部(インベ)の由来
blog.goo.ne.jp/mitsuominami/e/f2311c6925791069238eae76e0b7e251

254 名前:日本@名無史さん [2014/07/20(日) 08:00:50.81 ]
>>249
徳島に日本史専攻の大学ないの?
無いのなら作ればいいのに

255 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/07/27(日) 05:47:44.81 ]
地元徳島のもんだが、今まで邪馬台国が徳島だったなんて聞いたこともなかったけど、
テレビで取り上げられるようになってきて、いろいろ総合すると、邪馬台国だったかどうかは
別にして、奈良の大和王権の前にここ徳島に大きな国があったことは間違いないね。

256 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/07/27(日) 16:59:23.01 ]
冷静な意見ですな
瀬戸内海周辺には十分な素地があり、阿波は歴史的にも遺跡的にもそれなりに存在感を示してる
邪馬台国にこだわるのは馬鹿げてる

257 名前:日本@名無史さん [2014/07/28(月) 21:52:31.43 ]
卑弥呼と邪馬台国が徳島だったら
観光その他で凄く儲かるだろうからね
仕方ないよ

258 名前:日本@名無史さん [2014/07/29(火) 20:38:28.00 ]
>>255
>地元徳島のもんだが、今まで邪馬台国が徳島だったなんて聞いたこともなかったけど、

まあ邪馬台国ブームの昔にはあったんじゃよw

『 邪馬壱国は阿波だった―魏志倭人伝と古事記との一致  』(1976年)

www.amazon.co.jp/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%A3%B1%E5%9B%BD%E3%81%AF%E9%98%BF%E6%B3%A2%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%
E2%80%95%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E3%81%A8%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98%E3%81%A8%E3%81%AE%E4%
B8%80%E8%87%B4-1976%E5%B9%B4-%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E9%98%BF%E6%B3%A2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A/dp/B000J9FMJG

259 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/08/09(土) 10:25:24.31 ]
卑弥呼は何で邪馬台国にいたの?
邪馬台国以外の場所で暮らしたり
したくなかったの?

なんで女王になったの?
王女以外で他の生き方を選んで
生きていきたくなかったの?

卑弥呼はなにを考えて 何を想って
人生を過ごしたの?

卑弥呼は最後の時に
振り返って、様々な選択をし選んで
生きてきた人生を後悔した?
それとも満足な人生だった?

教えてほしい (´;ω;`)

260 名前:日本@名無史さん [2014/08/12(火) 22:23:11.32 ]
徳島?よくしらんけど細川の下僕



261 名前:阿波 [2014/08/15(金) 08:47:40.33 ]
www015.upp.so-net.ne.jp/kamiyama/jyouken.html
水銀(丹)で絞ると確かに、阿波は有力らしい。

262 名前:阿波 [2014/08/15(金) 08:51:09.45 ]
海部氏 平成天皇の践祚の際の首相 唐突に海部氏
三木氏 阿波忌部
安倍氏 安倍清明 安倍仲麻呂 阿毎 天 
首相になるには、古代有力氏族の末裔? 阿波も入っている

263 名前:阿波 [2014/08/15(金) 08:58:21.22 ]
阿波忌部 麻 大麻を宗教儀式に使っていたのではないか

264 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/08/17(日) 10:19:53.09 ]
アウトリガーカヌー (Outrigger canoe) は、南太平洋などで用いられるカヌーの一種。
安定性を増すために、カヌー本体の片脇あるいは両脇にアウトリガーとも呼ばれる浮子(ウキ)が張り出した形状をしている。
この浮子は多くのポリネシア諸語やミクロネシア諸語でama(アマ)とよばれ、これを装備したアウトリガーカヌー自体はタヒチ語ではヴァア (va'a) 、ハワイ語ではワァ (wa'a) 、マオリ語ではワカ (waka) 、ヴァカ (vaka) などの言葉で呼ばれる。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%8C%E3%83%BC

アワとかアマと関係ありそう

265 名前:日本@名無史さん [2014/08/17(日) 16:00:23.95 ]
倭の由来の可能性も微レ存

266 名前:日本@名無史さん [2014/10/29(水) 16:51:28.38 ]
四国山上説っていうのがあるよね

267 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/10/29(水) 17:06:08.47 ]
徳島の八倉比売神社ってところに
卑弥呼の墓かもしれない構造物があるね

https://www.youtube.com/watch?v=4EooUvJUZ9Y

268 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/07(金) 08:01:54.47 ]
徳島は女性社長の割合が全国一なんだよな

269 名前:日本@名無史さん [2014/11/12(水) 12:39:56.18 ]
皇族タレントの竹田氏が徳島説を宣伝してくれたら
一気に有名になりそう

270 名前:日本@名無史さん [2014/11/16(日) 00:34:12.19 ]
正解せす
日本国の発祥が徳島なのです
その上での邪馬台国なのだから
日本政府が何故、徳島にある無数の古墳に手を入れないのか
そっとして置きたいのか、政治的なのかは分からない

観光客で賑わうのだけはご免である
それだけは理解出来る
そこは、出雲・伊勢・熱田に任せよう

理解している者だけが分かっていればいい場所である



271 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/16(日) 06:01:16.20 ]
なにその中ニ病的超越感

272 名前:日本@名無史さん [2014/11/16(日) 06:18:55.30 ]
面白いから俺も書き込んでいい?

273 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/16(日) 11:50:14.51 ]
ええよ

274 名前:日本@名無史さん [2014/11/16(日) 12:44:50.51 ]
俺が気になってることとか書いてくわ

とりあえず、卑弥呼ってのは一人の名前じゃなくて役職の名前だったんじゃないか?って思うのよ
今で言う天気予報とか占いとか神主みたいな役割の人
で、鏡は神秘性とか、モールス信号の代わりに使ったんじゃ無いかな?
各地にそういう人がいてそういう集落があっても不思議やないやん?

275 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/16(日) 15:03:44.75 ]
魏志倭人伝には、役職(官)なら役職と書いているんじゃね?
卑弥呼だけピンポイントに勘違いしたという仮定をおくわけね

276 名前:日本@名無史さん [2014/11/17(月) 05:15:20.47 ]
そもそもキチンとお互いの言葉は通じたのか?ってことからだと思うけどね。
各地に邪馬台国が存在する理由とかヒミコの墓の話とかまとまらんかなと

277 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/17(月) 13:11:22.41 ]
本当の邪馬台国 四国山上説 その1 1/3 https://www.youtube.com/watch?v=lWJRbf_jaWU

278 名前:日本@名無史さん [2014/11/17(月) 23:34:59.59 ]
徳島県には、調査されない山ほどの古墳が存在する
その中に卑弥呼の古墳もあるだろう

古墳といっても仁徳天皇陵の様な壮大な古墳では無い、質素な古墳である

279 名前:日本@名無史さん [2014/11/18(火) 11:23:28.95 ]
四国山上に七万戸も住めるの?

280 名前:日本@名無史さん mailto:age [2014/11/18(火) 22:32:56.90 ]
不可能はない



281 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/18(火) 22:54:09.87 ]
邪馬台国は朝鮮半島にあった
つまり今の韓国にあったってわけ
しかし卑弥呼は日本人だった

282 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/19(水) 11:52:58.49 ]
>>279
徳島の平野部一体に住民がくらし、山上には卑弥呼をはじめ有力な人物が住んでいたと考えられるらしいよ。
古墳の分布など↓の動画を見れば納得できると思う。

邪馬台国の女王・卑弥呼の墓は徳島にあった(出演:徳島歴史研究会会長 笹田考至氏、産業能率大学元教授 安本美典氏) https://www.youtube.com/watch?v=igzNglcgjUs
邪馬台国最古の前方後円墳が徳島に (出演:大杉博氏、林博章氏、阿波忌部一族党首 三木信夫氏) https://www.youtube.com/watch?v=L3yPkhRy_1c

卑弥呼=モモソヒメ派、皇后派はこれを見て欲しい s1.gazo.cc/up/108414.jpg
四国には天照=オオヒルメの古墳とされる物とその記録も残ってて何度かメディアに取り上げられた事もある。
古墳の大きさも記録の指す通りで、大きさのあわない畿内、古墳のない九州よりはるかに説得力があると思う。

283 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/20(木) 15:23:36.65 ]
水源無いから四国山上に七万戸も住めない。
当時は川の大きさ=都市の大きさ。
邪馬台国は吉野川全域を押さえていただろうね
中心地は吉野川の河口だろう

284 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/20(木) 15:26:04.96 ]
二番目に大きな投馬国は、二番目に大きな川である四万十川全域を
押さえていたと思われる。
狗奴国はたぶん那賀川流域の国
川ので考えるとわかりやすい

285 名前:日本@名無史さん [2014/11/20(木) 22:38:26.19 ]
当時は海の中だろ

286 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/26(水) 10:30:45.40 ]
四国説はロマンだけでいい気がするなあ
この時代に四国ほぼ全土を統一ってのは理解しにくい
他を圧倒するような武力と遠征する能力の裏付けに乏しい
あとは卑弥呼の宗教的カルト性があったなら分からんでもないが

287 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/26(水) 12:42:08.03 ]
一番札所の霊山寺周辺が怪しくない?
空海が一番札所に選んだということは何らかの意味があるはず
あの辺りは古墳も多いし






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