- 1 名前:松平 定知(本人) mailto:sage [2012/01/14(土) 23:22:18.59 ]
- 中国ですら公認する日本の「天皇」の称号。
その皇室に対し「王家」と格下げした表現を連呼し 初回から嵐を呼んだ2012年度NHK大河ドラマ『平清盛』。 あたかも韓国の「日王」表記と連動したかのような不穏当な表現。 NHKは今後も受信料を使って不敬をはたらき続けるのか? それともネットの世論が売国奴どもを 動かすことができるのか? 喧々諤々!平清盛スレ 第2話! 初代スレ 【「王家」連呼】大河ドラマ『平清盛』 awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1326020996/
- 578 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 17:46:47.24 ]
- そもそも黒田の主張は、当時の天皇家と現代の天皇家は違うものだと言っている
だから、同じ言葉を使うのは適切ではないから、区別するため王家という別の学術用語を提唱した その論争は好きにやってくれていいが、一般人の見るドラマにそういう学術用語を持ち込むのは無理がある
- 579 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 17:50:09.89 ]
- あと、他の言葉遣いも学術用語で統一するかと思ったら、そんな気配ないんだよな
- 580 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 18:03:34.86 ]
- そもそも当時の貴族や武士は政治的な意味で
王家という意識を持っていないと思うが。 院や天皇との個人的なつながりが重要なんで。。。 現実的な彼等は王家とか朝家に忠義立てしても意味がないことを知ってたから。 自分を評価してくれるのは王家ではなく院や天皇だから。
- 581 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 18:12:25.24 ]
- >>580
そもそも主従関係ってのは基本的に個人対個人の関係だよ。 おれは誰それの家来だって意識より、おれはどこそこのもんだって意識の方が強くなったのは、 江戸時代の後半でしょ。 赤穂浪士は浅野内匠頭家来大石某と名乗ったわけで、赤穂藩大石某と名乗ったわけではない。 ましてや院政初期に王家なんていう組織はないし、そこの家来って意識もあるはずない。 最初からドラマのコンセプトが間違ってんだよ。 だからありもしない名称の正当化という大変不毛な結果になってるんだよw
- 582 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 18:15:31.17 ]
- 皇族を王家とか天皇家とか「家」として一括して考えるように
なったのは皇族内部の皇位争いが無くなった明治以降のこと。
- 583 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 18:22:00.87 ]
- >>581
だよな。 将軍が死んだら、今までの忠義は一端リセット。 家来は新しい将軍から安堵されなければならないしね。 朝廷も同じ。院に目をかけられて出世した貴族が 院の死後に出家もせずに新院に出仕して非難ごうごうだったとか。
- 584 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 18:29:51.49 ]
- >>581
>最初からドラマのコンセプトが間違ってんだよ。 ご明察
- 585 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 18:35:02.28 ]
- >そもそも主従関係ってのは基本的に個人対個人の関係だよ
だったら世襲で家臣の子が当たり前のように家臣になるのは変だろう。 主君が家臣の子供について口を出せる状況なんだから、個人対個人ではない。
- 586 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 18:42:31.68 ]
- >>585
新しい主君に安堵されなければ万事休す
- 587 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 18:45:51.62 ]
- >>585
今の日本人の主従関係のイメージからしたら主従関係に個人の意思が作用しないように思われるかもしれない。 しかし、それは大名家の組織化が頂点に達した江戸時代後半以後の姿、特に幕末のイメージが強いから。 もともとはあくまで個人対個人の関係が基本なんだよ。 もちろん家来にもいろんな種類があり、それこそ累代の郎党という家から外様までいろいろある。 累代の郎党には主人を選ぶ権利はほとんどないが、外様にはあった。少なくとも戦国時代くらいまでは明らかに。 院政初期は武家の主従関係すらまだまだ未成熟で累代の郎党はそんなに多くない時代。 主従関係の基本が個人体個人である典型的な時代だよ。
- 588 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 18:51:17.78 ]
- だいたい中世に「王家」などという組織体が存在しないんだから
「王家」を議論するのは不毛な論争だよ
- 589 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 18:53:12.97 ]
- >>585
当たり前のようにというか、家臣の方から息子を目通りさせて、主に対してよろしくお願いしますと頼むんじゃないか 主から見込みなしと判断されれば、重くは扱われない 親としても出来るだけ息子を出世させようとするからそこで権力闘争も起こるわけで、当たり前のように家臣になるとか単純な話ではない
- 590 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 18:56:39.30 ]
- そもそも家督の相続すら当たり前じゃない時代だからね。
なにもかも不安定なんだよな。 こんな時代が江戸時代になるまで続くわけだから争いも絶えないんだよね。 誰を主人に選ぶか、誰を家来に選ぶかで人生の浮沈が決まるわけで、やはり世襲が安定した江戸時代中盤以後とは相当違うはず。
- 591 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 18:59:06.22 ]
- >>589
新主に気に入らないと安堵された例はあるの? 逆に新主が子供だったりした場合、先主は家臣団に行く末を託していくしかなく、 「君主が変わるたびに雇うか雇わないか決めるからわかんないよ」 みたいな非正規雇用状態では この主君について行こうなんて誰も考えないと思うが
- 592 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 19:01:54.82 ]
- >>582
「王」よりも「家」の方が問題じゃないかなって気がするよね
- 593 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 19:02:57.65 ]
- >>587
太平記で鎌倉滅亡の時に北条氏累代の家臣の武士が、息子に 「お前は北条氏から御恩を受けてない身だから逃げても非難されない」 といって鎌倉から逃がそうとする場面があるね。 親や家ではなく本人が主人から御恩を蒙っているか否かが一番重要なんだろう。 だから主従関係は個人と個人のつながりなんだよね。
- 594 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 19:03:32.48 ]
- >>582
両方問題あるかな。 王は言葉の選択としての妥当性の問題。 家はそもそもそんな組織あるのかというコンセプトの問題。
- 595 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 19:03:47.80 ]
- 律令制のトップから荘園領主のトップになった
治天の君を家長とする天皇一族について説明するのに 王家という言葉を使うのはいいと思うけど
- 596 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 19:06:04.94 ]
- >>593
本能寺でも似たような話あるね。 東北出身の馬術家が信長に気に入られて側近に取り立てられた。 変が発生した時、お前は累代の家臣じゃないから早く逃げろと周囲に退去を勧められたんだが、 その馬術家は笑って戦いに突進していったという。
- 597 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 19:09:20.30 ]
- >>591
だからそういうことも含めて、「当たり前のように家臣になるとか単純な話ではない」ってことだけど >>585が何やら世襲で当たり前のように家臣になるとか言ってたんで、>>593にあるように、いろんなケースがあるよと
- 598 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 19:10:38.88 ]
- 要は一般的にはあまり知られてない学術用語を使って
今までとはちょっと違う大河を演出したい程度の考えだったんじゃないかな? それが思いのほか批判されまくって意固地になってんだろうな 一部の人が言うような左翼的な思想によるものではないと思う
- 599 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 19:10:47.85 ]
- >>592
ボクもそう思う 天皇や院を王と呼ぼうが勝手だけど、中世では 「王家(天皇家)」のような「家」は存在しないよ。
- 600 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 19:13:13.37 ]
- >>593と>>596は比較するといろいろわかって面白いね。
累代の家臣の子ではあるが、まだ具体的に主人の恩顧を受けていない人間には退去の自由がある。 累代の家臣ではない家臣には累代の家臣に比べて退去の自由は大きいが、その家臣個人が強い恩顧を感じた場合は本人比で退去の自由がなくなると。 いずれにしろ主従関係の基本が個人対個人であったことがうかがえる話だね。
- 601 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 19:15:02.85 ]
- >>598
>>414見ると、その肝心の学術用語の「王家」を提唱した人が左寄りな人らしいんだけど
- 602 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 19:20:02.79 ]
- 大河ドラマは過去を舞台に借りているだけの現代劇。
出てくるのは昔風の格好をした現代人ばっかり。 歴史はせいぜいが風味付けに過ぎない。 中世に「家」なるものがあろうがなかろうが、 そんなことは視聴者の知ったことじゃない。 歴史マニアはどうしても細部も気になったりするけど、 その人達のことまで気にかけてないってことでしょ。
- 603 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 19:22:21.38 ]
- じゃ、わざわざ王家なんて言葉使わなくていいじゃんw
いままでの大河ドラマ通りでよかったのに
- 604 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 19:24:03.74 ]
- 天皇(院)にしろ将軍にしろ家臣を統率する機関はもってるが
一族を統率する機関は無いんだよね。
- 605 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 19:24:05.18 ]
- >>591
家来の家督相続の承認権は最後まで主君にあったよ。 これ、要するに安堵権が主君にあるってこと。 もちろん近世後半になるにしたがって主君の安堵権は形式的なものになるけどね。 家康が腹心の井伊直政の後を継いだ嫡子が気に入らんので、辞めさせて弟の直孝に家督を譲らせるとか、こういうことは沢山あったよ。
- 606 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 19:48:52.47 ]
- >>605
鎌倉時代には逆の例があるね 武田信光が息子信忠を義絶しようとし時に、 執権北条泰時が仲裁に入ったが聞き入れず義絶してしまった。 信忠は同時に御家人も止めさせられたようだ。 鎌倉時代は幕府権力より家父長の権力の方が強かったんだよ。 だから御家人になるには御家人である父親の推薦が必要だったわけだね。
- 607 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 19:50:40.22 ]
- >>606追加
つまり御家人の子が全員自動的に御家人になれるわけではない
- 608 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 19:53:41.91 ]
- そうそう。鎌倉時代は親父さんの力が最強の時代だったんだよね。
御成敗式目でも親父さん絶対だった。 院政のからくりもわかるよな。 天皇と言えども父権持ってる人間には逆らえん時代。 やはり犬呼ばわりしたいなら平氏は院の犬なんだよw
- 609 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 20:04:10.79 ]
- >>608
>平氏は院の犬なんだよ 貴族も院の犬だと思うが
- 610 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 20:44:52.82 ]
- この大河は王家以上に源平の対比がヤベーわ
平氏が日本人で源氏が在日特亜人の比喩なのがバレバレ
- 611 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 20:51:49.27 ]
- 鎌倉殿に御家人の家督の処断権はなかった。
- 612 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 20:52:49.92 ]
- 藤木西行が雰囲気有って良かったわ。
ナレーターも当初の予定通り西行の方が良かったのに。
- 613 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 20:53:54.18 ]
- 第3話は清盛ボロ糞だったな
前回の糞大河より話が出来てるから面白かった。 綺麗事が無くていい
- 614 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 21:43:31.93 ]
- オマエ達が働いて作った米だ〜遠慮なく喰え〜とか言って、
庶民に米を施すなんてのは綺麗事もいいところだろw ま、初回から絵空事ばっかしだなw
- 615 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 21:47:49.15 ]
-
就活中 (p)livedoor.blogimg.jp/jin115/imgs/3/1/31a6f8e6.jpg 就職後 (p)livedoor.blogimg.jp/jin115/imgs/2/b/2b790359.jpg 街の人(やらせ業者)募集中です
- 616 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 21:48:28.79 ]
- 今回の回で綺麗事言ってたのを
叩き潰されただろうが 話としては良く出来てる あんまり厳しいこと言ってたらドラマが作れなくなる
- 617 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 21:58:17.06 ]
- オマエ達が働いて作った米だ〜遠慮なく喰え〜
は綺麗事にあらず 百姓はコメも食えない時代となり 綺麗事じゃねーだろ 今みたいな生活保護とか抜かしてるのが 綺麗事と言うんだよ
- 618 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 21:58:19.21 ]
- ライバル関係作って対立させるのは基本だから、ここはさすがに外さないね
話としては絶対に面白くなる要素が揃ってるから
- 619 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 22:19:14.04 ]
- 今回もセリフの中に「王家の犬」が何回かでてきたが、
あれは「主家の犬」としたら何か意味が変わってくるのか?
- 620 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 22:33:47.05 ]
- 学術用語ではなく史料用語にこだわるなら「竹園」が雅な感じで良いんじゃない?
まあ一般視聴者には何の事かさっぱりだが、説明っぽいナレいれとけば王家より違和感がないと思う。 ただ、”竹園の犬”とは使いにくいので”院の犬”とでも言えば・・(太平記の土岐かw)
- 621 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 23:14:30.10 ]
- 「王家の犬」より「院の犬」のほうがドロドロした感じがして面白いと思うが。
そういえば太平記に土岐頼遠が「院と言うか。犬というか。犬ならば射てしまえ」 といって院の車に弓箭を放ったという話があるなあ。
- 622 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 23:22:19.56 ]
- 「院の犬」のほうがいいかもな。
「王家」だと天皇も含まれるだろ。 視聴者の中には王家=天皇と解釈してしまうかもな。 そうすると院の力で平家や源氏が台頭してきたという時代背景が 理解されずめちゃくちゃになる。
- 623 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 23:37:04.19 ]
- めちゃくちゃになると言えば、以仁王はどうするんだろう
平氏のせいで親王宣下も受けられず、王のまま最勝親王を称して・・って展開、なんも知らん人が見たら、 なんで王じゃ嫌なの?王家の王だから、それでいいんじゃないの?とか、ちんぷんかんぷんになりそうな
- 624 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/22(日) 23:39:15.25 ]
- >>44
法皇の前で流血なんて今更だろ。北条時宗で天皇や 廷臣達の目の前で関白が切腹して、あまつさえ赤マフラーが 介錯までやった前例があるんだし。皇族、公家が血の穢れを 忌むといっても、結局は血塗れなんだから別にいいよ。
- 625 名前:日本@名無史さん [2012/01/22(日) 23:55:38.36 ]
- このドラマは天皇も院も王家で一括りにしたらわかりづらいだろ。
院というデスポット(専制君主)がドラマのもう一人の主人公なんだから。 清盛は生涯一度も王家全体の犬になったことも、逆に王家全体を敵に 回したこともないしな。後白河を敵に回したあとも高倉や安徳という手駒を持っていたし。 北条義時のように王家全体を敵に回して真っ向勝負したわけではないからねえ。
- 626 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 01:08:27.74 ]
- 王家王家と連呼してしまうと、以仁王の扱いに困るはず。
何で王家の一員なのに貧乏で平家に殺されちゃうのって。 日本の天皇家は血筋ではなくポストによって権力を得るのにね。 院や天皇になれなきゃ一生日蔭者。
- 627 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 04:06:01.73 ]
- 公式サイトの人物紹介のページ
「王家再生に身を投じた最強の女帝 得子」だの たまこの説明文の 「鳥羽との間に雅仁(まさひと/後白河天皇)をもうけるが、 鳥羽が得子(なりこ)に愛情をうつし、我が子たちが王家で冷遇されていることを知る。」 王家は崩壊してたのか たまこの子を冷遇したのは「鳥羽」個人じゃないのか? 他の皇族に冷遇する権限はあったというのか? 「王家」使用が無理やりで不自然に感じた
- 628 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 05:31:10.00 ]
- >>627
文章にするとおかしさが歴然だね。 好意的に解釈すると、この時代のことをよく理解出来てない人たちがドラマを作っているということだろう。 ドラマのコンセプトが間違ってると書いてた人がいたけど、まさにそんな感じ。
- 629 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 08:52:51.40 ]
- 桜のシーンはソメイヨシノ
- 630 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 09:10:03.68 ]
- 清盛の活躍した時代は院が権力を振るった「院政期」だと思ってたが
王家が権力を振るった「王政期」が正しいのか?
- 631 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 09:24:01.72 ]
- >>630
これから歴史の教科書が書き換えられるな(棒
- 632 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 09:25:10.75 ]
- >>548
王家と天皇家の概念の違い。院政期限定の学術用語です。 王家⊇天皇家 王家には院(治天・上皇、女院)が入るけど、天皇家にはそれは入らない。 院政期の天皇は、幼児もしくは今でいう未成年者が多い。 >>630 学術的には「院政期」でいいと思う。
- 633 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 09:30:05.43 ]
- 続き<<632
広義の天皇家が王家。院政期の権力の二重構造の使い分けのための用語。
- 634 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 09:32:24.01 ]
- >>632
治天も治天以外の上皇も女院も荘園領主としての財力と、天皇との親疎が権力基盤なんだよね。 別に王家ないし天皇家(当時そんなもんはなかったけど)が権力基盤ではないし、上皇たちと女院もひとまとめの組織との意識はさらさらないでしょ。 摂関家などの大貴族と本質は変わりはない。 王家という当時なかった括りをつくって時代を見る妥当性が見出せない。
- 635 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 10:34:50.26 ]
- 王家と言う言葉は権力の所在をあいまいにしてしまうでしょ
- 636 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 10:46:26.13 ]
- >>632
天皇家とは天皇個人をさすのか? その天皇が譲位するとその天皇家も消滅して新しく王家が出来るのか?
- 637 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 10:51:36.88 ]
- >>632
>王家には院(治天・上皇、女院)が入るけど、天皇家にはそれは入らない。 天皇家という概念を止めて王家一本にしたほうがすっきりするんじゃないか?
- 638 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 10:57:19.68 ]
- >632
皇太子は「天皇家」に所属するの?
- 639 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 11:01:53.33 ]
- >>637
そのすっきり一本化した王家って一体なんだ? そんなものが当時あったのかよ。 承久の乱に破れて、朝廷が事実上1回滅亡し、幕府の下で院を中心に細々と再開した朝廷における天皇家の一族は次第に荘園領主の家っぽくなっていくけど。 院の全盛期はそんなこじんまりとしたものじゃないだろ。
- 640 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 11:02:18.92 ]
- >>632
だから同一の本や論文で使い分けてる例を出してから言いなよw
- 641 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 11:14:07.39 ]
- 「王家」という「家」のなかに、もうひとつ「天皇家」という「家」
があるというのは論理矛盾だと思うんだけど。。。
- 642 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 11:18:14.92 ]
- 後醍醐天皇が親政を始めた段階で「王家」は消滅したのか?
- 643 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 11:21:40.68 ]
- >>632
というか、明治以降、天皇は終身制となって上皇や法皇が廃止となり 女院号も廃止されたからな しかし現在の天皇家にも皇太后(先代の皇后)は含まれるのだし 天皇定年制が採用された場合、太上天皇というのも誕生する可能性が高い 院政期であっても現役天皇の未婚の内親王が女院号を受けた場合 これを院の所属にするには難が多すぎるだろう というわけで王家と天皇家が明確に違うとは言い難い
- 644 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 11:28:23.72 ]
- 実際問題、本で「王家(天皇家)」って書いてるのは何度か見た
- 645 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 11:29:14.96 ]
- >>643
近代以後なら皇室って言葉がちゃんとあるんだから天皇家や王家じゃなくて皇室と言うべき。
- 646 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 11:34:56.23 ]
- >>645
第二次世界大戦後は天皇家という呼び方は一般的だよ 新聞や雑誌にも使われている 皇室典範の用語で皇室という言葉が使われているというだけだろ
- 647 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 11:37:16.65 ]
- >>646
じゃあ新聞や雑誌が王家って呼ぶようになったら王家って呼ぶのかよ。 めちゃくちゃだな。
- 648 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 11:43:39.47 ]
- 多数が使ってるんならそれに合わせるのが普通でないの?
言葉ってそういうもんだろ。 「王家」がダメな理由の一つは、そうじゃないから。
- 649 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 11:48:17.09 ]
- >>新聞や雑誌が王家って呼ぶようになったら王家って呼ぶのかよ。
すでに韓国の新聞や雑誌は天皇を「日王」って呼んでますよ。 それにともなって日本の公共放送も「王家」となったわけですから やはり日本の場合、思想ではなく雰囲気でものごとを思考するので 違和感を取り除かれてしまうとすべてOKになってしまうわけで 韓国が王家というなら、日本もそれでいいではないか、的な そういう発想がこのスレの住人も含めて主流なわけです
- 650 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 11:48:39.51 ]
- 王家がダメな根本的な理由は、当時そういう実態がないってことだろ。
皇室の場合は実態があり、正式名称でもある。 それをあえて違う名称で呼ぶのは勝手だが、それ新聞や雑誌で広く用いられてるってことが学問上の呼称の正当化には出来んでしょ。 正式名称が長くていちいち書くのが面倒というならまだしも。 皇室なんて短いし、長さならむしろ天皇家の方が長いぞw
- 651 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 11:55:38.51 ]
- >>649
嘘を一万回言ったら真実になるって発想だな。 日本人にはない発想と思うよ。
- 652 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 12:01:28.29 ]
- >>649
朝鮮では古くから自国同様中国皇帝から冊封を受ける国として日王と呼んでいたんだよ。 第二次世界大戦後の反日運動から急に日王と呼び始めたわけではない。 そして韓国の影響で王家と呼ぶことにしたという説は誰が言ってるんだ? 韓国で日本の天皇家を王家と呼ぶことはまずない。
- 653 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 12:03:10.52 ]
- 中世人が「王家」という言葉を使うのは抽象的表現だろう。
それを具体的な組織体として政治史で使用するのは無理があると思うが。
- 654 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 12:29:50.18 ]
- 王家と天皇家は同じ。ただ言葉の違いだけ。
- 655 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 12:51:17.08 ]
- >>637 >>643 >>649
だから、「王家」はロイヤルファミリーの意味の院政期限定の学術用語だって! 他の時代では使ってはいけない。>>649(日王)のような誤解も生じる。
- 656 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 12:54:55.53 ]
- >>655
現代では、皇室又は天皇家というコトバがあるのに、なぜ「王家」を使う。 ケシカランということになる。
- 657 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 13:08:14.70 ]
- >>655
鎌倉時代の「花園天皇宸記」に王家という文字があるのに 院政期限定っておかしいだろ それはそれで史料無視だぞ
- 658 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 13:14:59.37 ]
- >>655
>院政期限定の学術用語 で、天皇家をやめて王家一本でいいんでしょ? 天皇家は王家に含まれるが、王家は天皇家に含まれないとか言ってたが
- 659 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 13:24:51.97 ]
- >>657
一級史料に北条時政のことを北条丸と記述したものがある。 あんたの理屈だと北条時政を北条丸と言わないのは史料無視ってことになるんだなw
- 660 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 13:28:43.47 ]
- >>659
無茶苦茶だなw お前の言っていることは、「鎌倉時代の史料には北条丸という用例があるが、 これは別の時代の学術用語だと俺が決めたから今後使うな」ということだぞ? 院政期以外に用例があるなら、王家という言葉を使っていい。 それ以外は使えないという根拠はなんだ? そもそもお前の言う「王家は院政期のロイヤルファミリーだけを指す学術用語」というのは 誰の論文で述べられてることなのか? いい加減なことばっかり書くなよ。
- 661 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 13:34:12.23 ]
- >>659
丸とは麻呂のことで尊称だろう。 尊称は名前ではない。
- 662 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 13:41:41.23 ]
- 現在中世史研究者が使用している王家とは
武家や寺家や貴族などと区別するために 便宜上もうけられた学術用語の概念であって それをドラマであたかも実在する家であるかの ように使うから話がややこしくなる。
- 663 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 13:46:58.02 ]
- 皇室の犬とか天皇家の犬というと皇宮警察が迷惑するだろ。
大人の事情をわかれよ。
- 664 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 13:48:23.42 ]
- >>663
だったら「院の犬」でいいではないか
- 665 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 13:53:27.82 ]
- >>664
王家からの武家の独立がテーマだからな。 固有名詞の院からの独立ではない。
- 666 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 13:59:26.32 ]
- 清盛がいつ王家から独立しようとした?
それがドラマのテーマなら奇想天外でマンガになっちゃうよ。
- 667 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 14:01:08.80 ]
- >>665
なら摂関家からは支配されていいわけだ? 馬鹿臭いテーマだなw
- 668 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 14:02:02.24 ]
- 王家を排除するのではなく王家を手駒に使うことで王家の支配から脱したんだろ。
- 669 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 14:07:19.32 ]
- だんだんどこの国の歴史の話してるかわからなくなってきた。
少なくとも日本の話じゃないよな。
- 670 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 14:11:05.42 ]
- >>664
語呂が悪いわ
- 671 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 14:13:51.50 ]
- >>668
藤原道長も王家の支配を脱したのか?
- 672 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 15:39:43.12 ]
- 「丸」に反応したが、幼名で使われるときは「尊称」という
イメージはない。「ういやつ」ってぐらいか。 そっから「大事なもの」という意味に転嫁して 城や船に使われるけど、「尊称」と言うと少し 違和感があるな。 北条に使われたのはそういう意味の過渡期において なんだろな。
- 673 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 16:10:04.93 ]
- 大河の用語だと
葵徳川三代では家康のことを 公家たちの間では「前の将軍」 武家をまじえると「大御所」と呼び分けしていた この件だと ちょっと複雑になるけど「朝家」ってのもまじえてもよかったとおもうけどな
- 674 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 16:13:25.32 ]
- 辞書くらい引け
まる 【丸・麻▼呂】 〔補説〕 「まろ(麻呂)」の転。中世後期以降の語 1 (接尾) [1] 人名、特に稚児に用いる。 牛若― 蝉― [2] 刀、楽器、その他の器物の名に用いる。 膝切― 抜― [3] 船の名に用いる。 咸臨― [4] 種々の物や人名などに付けて、親愛の意を表す。 翁― もず―
- 675 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 16:53:42.44 ]
- 史実に忠実にだそうですが…冒頭の北面の武士の説明で「王家の犬」と呼ばれてたそうですが、何処にそんな史料があるんでしょうか?(爆)
史実に忠実にだそうですが…白河院は平忠盛を重用しており持ちつ持たれつの関係であった筈、最終的に正四位上まで上り詰めており清盛など最初っから上級貴族です。 史実に忠実にだそうですが…清盛が白河院の寵妃祇園女御の子であるとの説(落胤説)は平家物語の記述からであるが、祇園女御の歳などからその妹の子であるとも言われています。(つまり白河院の子ではない) そもそも後世の物語の記述を史実などとは言いません。
- 676 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 16:55:05.91 ]
- 本郷センセのポストでの反論酷いなw
ドツボにはまってんじゃんw
- 677 名前:日本@名無史さん [2012/01/23(月) 17:08:23.12 ]
- 本郷さんが悪いんじゃなくて
悪いのはNHKだよ ドラマのプロデューサーがバリバリの左翼だろ 赤旗に載ってる人物
- 678 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2012/01/23(月) 17:15:31.46 ]
- >>675
(清盛の落胤説を全面的に肯定するわけでは無く、) 祇園女御の妹ぶん的な女に白河の手がついて、 その女を忠盛に下げ渡して、産まれたのが清盛・・・なんだろ。 白河は宮廷の女房から、白拍子、市井の遊び女まで 多くの女に手をつけたから、愛妾の祇園女御の近辺に居た娘に 手を出したとしても疑問は無い。
|
|