- 1 名前:1 mailto:sage [2022/08/20(土) 20:42:07.83 .net]
- 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】 ・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43) ・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6) ・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7) ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。 邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが 勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。 前スレ https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1660831509/l50 ◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す ) 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。 その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。 これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。 2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。 換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。 倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。 博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。 絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか? それは桜井市纒向以外にありえない。
- 153 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:12:11.25 .net]
- >>150
後漢書において、倭とは狗邪韓国から倭奴国までです。
- 154 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:13:08.25 .net]
- >>152
奈良大阪あたりを日下または日本と呼んでいたことは、神武や饒速日の伝承に記録されています。
- 155 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:13:21.46 .net]
- >>151
つまり畿内説は皇国史観と無関係で 九州説が皇国史観の変種という事ですな
- 156 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:13:52.88 .net]
- ヤマトは現代では日本を指してるんだよ
それは当時王朝があった奈良の地名が残ったと考えるしかない それ以外は言葉が残る理由がない
- 157 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:14:06.34 .net]
- >>153
それも空想ですよね
- 158 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:15:40.56 .net]
- >>151
漢字を混ぜるんじゃない あったとしてもヤマトだ
- 159 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:16:04.88 .net]
- >>145
旧唐書は945年に完成したもの 日本書紀等の成立してから200年以上たっています 中国の史書の編纂者も他国の文書を参考にし、それとの整合性を確保しようとする 幸い日本書紀の影響を受けた部分は現代人にはわかる 意図的な引用は歴史を学ぶものを混乱させるだけです
- 160 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:18:24.76 .net]
- ちょっと待て
古代日本にヤマトなんて王朝は存在しなかった事を前提にしてるんだぞ 因みに俺はあったと考えてるけど
- 161 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:19:06.78 .net]
- >>155
奈良時代より前から畿内が列島の盟主であり、倭王卑弥呼も畿内にいたはずだというのは、皇国史観そのものです。
- 162 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:19:46.65 .net]
- >>156
古くから奈良に王朝があったはずというのが、皇国史観。
- 163 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:20:13.86 .net]
- >>161
皇国史観だと呼ぶ理由は?
- 164 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:20:37.80 .net]
- >>157
畿内説の人は、後漢書や魏志倭人伝を読み直した方がいいと思いますよ。
- 165 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:20:56.27 .net]
- >>162
それを皇国史観だと呼ぶ理由は?
- 166 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:21:48.05 .net]
- >>164
九州説は なにも立証できないのですか?
- 167 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:21:53.80 .net]
- >>158
古事記では、倭と書いてヤマトと読ませています。 これは明確に読み仮名を指定しています。 ちゃんと古事記と書いてあるのに、他人のレスをよく読まずに脊髄反射するのは良くないですね。
- 168 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:24:27.93 .net]
- >>162
聖武天皇とか存在しないの?
- 169 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:25:29.79 .net]
- >>167
>>138を前提にしてるんだぞ
- 170 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:26:10.18 .net]
- >>154
>奈良大阪あたりを日下または日本と呼んでいたことは、神武や饒速日の伝承に記録されています。 それはヤマトという音に後世になって漢字をあてただけだし 日下はもっと狭い地域だから関係ないでしょう?
- 171 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:27:17.58 .net]
- >>145
神武の後裔が政権に就いたのは天武天皇からということなんですか?
- 172 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:28:05.59 .net]
- >>169
珍説が前提ってw
- 173 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:30:30.94 .net]
- 俺は邪馬台はヤマトだと思ってるけど
もし古代日本にヤマトという言葉が存在しないとしたら奈良の地名が残ったと考えるしかない
- 174 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:31:09.43 .net]
- 元々、奈良にあったんだな。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASMCL3HG8MCLPOMB009.html%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D 邪馬壹国近畿説
- 175 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:31:39.61 .net]
- >>145
>太宰府には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。 九州説って、こういとこからもう創作ラノベ戦記ものなんだよな
- 176 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:42:00.02 .net]
- >>160
あったと考える根拠は?
- 177 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:43:51.18 .net]
- >>168
聖武天皇は天武天皇より後だから、存在していましたよ。
- 178 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:44:34.43 .net]
- >>176
>>138に対しての反論だから その反論が>>173
- 179 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:44:57.28 .net]
- >>177
>>178
- 180 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:45:57.20 .net]
- >>170
ヤマトという読みを当てたのが後世なんじゃないですかねえ。
- 181 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:47:59.96 .net]
- >>173
は根拠がないですね。
- 182 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:49:10.87 .net]
- >>175
ではなぜ敗戦国を占領するのに、それが畿内ではなく筑紫だったのは何故ですか?
- 183 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:53:39.67 .net]
- >>181
古代日本にヤマトという言葉がないんでしょ でも現代には言葉が残っててそれは日本を意味してる そうであれば王朝が確実に存在した奈良を指してるとしか考えられん 他に日本を指す理由がないでしょ
- 184 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:54:28.81 .net]
- >>177
神武天皇が奈良で地方豪族になったのはいつなんですか
- 185 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:54:49.96 .net]
- 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原
鳴門 小戸とは、音
- 186 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:56:28.05 .net]
- 天津祝詞は、除霊をするわけだから、渦潮
- 187 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:56:39.65 .net]
- 根拠はないが
日巫女基国 邪馬壹国近畿説
- 188 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:56:52.92 .net]
- >>183
その考え方が成立したのが奈良時代なんですよ。
- 189 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:58:01.76 .net]
- >>183
王朝が確実に存在したとあう根拠は?
- 190 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:58:26.61 .net]
- >>188
ヤマトという言葉自体が存在してなかったらそれ以外ないでしょ
- 191 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 12:59:09.56 .net]
- >>189
だから聖武天皇は居なかったの?
- 192 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:00:03.51 .net]
- >>190
存在はしていたでしょう。 そして筑紫を意味していたでしょう。
- 193 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:00:35.22 .net]
- >>191
いたでしょう。 大仏を作ったんですよね。
- 194 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:02:31.66 .net]
- >>192
>>138への反論だと何度言えば 俺は邪馬台はヤマトだと思ってるし存在しないなんて思ってないから
- 195 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:03:33.87 .net]
- >>193
>>194
- 196 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:05:01.08 .net]
- 倭国とは畿内ではなく筑紫にあった王権であるというのが、日本書紀以来の千数百年にわたり隠されてきた秘密。
- 197 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:05:48.66 .net]
- >>194
あなたが刷り込まれて根拠なく信じているだけですよ。
- 198 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:05:56.50 .net]
- 業の弭化
- 199 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:06:00.70 .net]
- 逆に邪馬台がヤマトじゃなかったら古代日本にヤマトという言葉があった根拠がないでしょ
- 200 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:07:54.90 .net]
- >>196
せめてこれだけは答えてください >神武が奈良で地方豪族になったのはいつなんですか
- 201 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:08:32.36 .net]
- >>197
>>199 お前の言ってることは反論になってないから
- 202 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:13:11.47 .net]
- ヤマトという言葉が3世紀に筑紫を指していたとか、いったい妄想以外のなんなんだ
- 203 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:15:31.13 .net]
- 魏や秦は中国の一国邑の名前だったが、それらが政権を取ると広域の国号としても用いられた。
ヤマトの表記である倭は国号とされた一方で、山門の表記は筑紫の一部の地域の名前に留まった。 ヒノモトの表記である日本が国号とされた一方で、日下の表記は大阪湾沿岸の一部地域の名前に留まった。 畿内日本が筑紫倭国を併合し、倭は日本のこと、倭も日本も訓はヤマトとされた。 そしていつしか、ヤマトは昔から列島の盟主であり、倭も日本のことであるとされた。 畿内勢力の名は日本、読みはヒノモト。
- 204 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:16:58.76 .net]
- >>202
筑紫を指していた場合のみヤマトという言葉は存在するって感じだもんな すげえわ
- 205 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:17:15.36 .net]
- >>202
倭は古事記においてヤマトと読めとあります。 そして後漢書では倭とは狗邪韓国から倭奴国までの間です。 その盟主として倭奴国が金印をもらっています。
- 206 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:18:39.72 .net]
- >>189
>王朝が確実に存在したとあう根拠は? 少なくとも欽明あたり以降、奈良県に最高権力者の家計が続いて居るだろう 皆が納得しているよ 重篤なトンデモ説の人以外は
- 207 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:20:42.15 .net]
- >>205
>そして後漢書では倭とは狗邪韓国から倭奴国までの間です。 それ、根拠ないよね
- 208 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:20:59.93 .net]
- >>203
あなたは「列島の盟主」の変遷をどうとらえているのですか 筑紫倭国が列島の盟主として君臨していた時代があるということですか
- 209 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:21:17.71 .net]
- >>200
諸説ありますね。 少なくとも記紀にある2600年あまり前というのは考古学的根拠がありません。 饒速日が畿内に稲作を伝えたとされており、神武はその数世代後ですね。 しかし詳細は不明です。
- 210 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:23:06.32 .net]
- >>206
最高権力者だったという根拠は? 根拠なく信じているなら、皇国史観という名の妄想に過ぎませんよ。
- 211 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:23:31.45 .net]
- >>203
>畿内勢力の名は日本、読みはヒノモト。 九州説さん、それも空想だよね?
- 212 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:24:11.09 .net]
- >>209
饒速日が畿内に稲作を伝えたのはいつですか
- 213 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:24:26.42 .net]
- >>207
後漢書という根拠を示しています。 少なくとも、倭という呼称を用いた中国人は、狗邪韓国から倭奴国までの間の国を示す言葉としていました。
- 214 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:25:31.86 .net]
- こんな事言ってるようじゃ邪馬台国九州説のスレを立ててま人が寄り付かないし
ここに来るしかないわな
- 215 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:25:34.91 .net]
- >>210
>最高権力者だったという根拠は? >根拠なく信じているなら、皇国史観という名の妄想に過ぎませんよ。 そう皆も信用している文献記録に書かれているから、だが?
- 216 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:26:03.41 .net]
- >>208
『新唐書』日本伝 其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城 王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至るおよそ三十二世、 皆が「尊」を号として、筑紫城に居住した。
- 217 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:27:46.83 .net]
- >>213
>後漢書という根拠を示しています。 >少なくとも、倭という呼称を用いた中国人は、狗邪韓国から倭奴国までの間の国を示す言葉としていました。 後漢書と関係なく貴方の意見を言ってる限り 後漢書という根拠を示してることにならないんでは?
- 218 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:27:54.37 .net]
- >>208
出雲の国譲りにおいて大国主が降伏した後、豊葦原中国の王となるために邇邇芸が筑紫の日向に降臨して即位しました。
- 219 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:29:11.26 .net]
- 饒速日の実在は考古学的に根拠づけられるのですか?近畿諸豪族の出自を天孫と結びつけるための神話的装置に過ぎないのでは?
- 220 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:30:57.69 .net]
- >>216
それ、筑紫倭国とやらと何も関係ないですよね? それって神武が東征の前に高千穂宮にいたという日本書紀のダイジェストですよね?
- 221 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:32:18.77 .net]
- Wiki 饒速日より引用
天照大神から大和建国の神勅を拝し『十種の瑞宝』を授かった饒速日尊が船団を組み、自らも『布都御魂劔』と日の御子の証である『天羽々矢』を携え天磐船に乗り込み、物部八十の大船団を率いて高天原を出航した。 天磐船が鳥見の里を見渡す哮ヶ峯(たけるがみね『生駒山』)に着くと、饒速日尊は辺りを見渡し「虚空(そら)にみつ日本(やまと)国)」と賛じた。 これが日本の国号の始まりとなった。 当時の河内と大和の一帯は鳥見の里と呼ばれ、穏やかな自然と海や山の幸に恵まれた豊な土地であった。 鳥見の里を治めるようになった饒速日尊は、水が豊かで稲作に適したこの土地に水田を拓き、大きな実りをもらすようになった。 これが近畿地方の稲作文化の初めとなった。
- 222 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:32:45.04 .net]
- 記紀原理主義
文字もない時代 どうやって正確に伝わるのか? 不思議だな。
- 223 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:33:03.43 .net]
- >>218
そういう神話盲信の九州説って、皇国史観そのものでは?
- 224 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:33:11.20 .net]
- >>215
史料批判もなく記紀を盲信した皇国史観そのものですね。
- 225 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:35:27.94 .net]
- >>217
後漢書にそう書いてありますけど?
- 226 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:36:38.05 .net]
- >>219
それこそあなたの憶測です。 その根拠はありますか? 饒速日の実在性について、どのような考古学的証拠を求めますか?
- 227 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:36:45.33 .net]
- >>225
原文 コピペは?
- 228 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:37:23.19 .net]
- >>216
新唐書は1060年に成立したもの 日本側の歴史資料を読む過程で混乱した記述になっている
- 229 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:41:05.13 .net]
- >>220
>>220 32世だと日本書紀より多いようですから、別資料でしょう。 現代では元資料が残っていないため、新唐書そのものが資料です。 筑紫城にいたとありますが、これも日本書紀にはない表記です。 しかしかつてはそのように書いた資料があり、中国に伝わっていたことがわかります。
- 230 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2022/08/21(日) 13:41:28.08 .net]
- >>100
庄内甕・精製器種B群といった土器群は中河内地域の中田遺跡群でその成立をみるとともに、 その後の展開については中河内地域と、纒向遺跡を中心とする大和東南部、 摂津・北山城・南山城地域に存在する拠点集落同士の交流をもとに各地域へ展開してい く 中田遺跡刑部土坑では、大量の吉備系土器及び、吉備系土器との折衷品、初期庄内甕が共存する 中田遺跡群と船橋遺跡、纒向遺跡を中心とする大和東南部・中部においては初期庄内甕が見られる 北部九州IB期 - 大和庄内2式期に博多で筑前型庄内甕が成立する
- 231 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:42:35.62 .net]
- >>218
邇邇芸は列島の盟主だったが 神武は地方豪族というあなたの感覚がまったく理解できません
- 232 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:42:44.63 .net]
- >>223
すべて大和の神武を中心に考えるのが皇国史観です。 卑弥呼の時代も当然大和が王権を持っていたはずだからとする畿内説はその延長です。
- 233 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:43:45.53 .net]
- >>227
倭在韓東南大海中依山㠀爲居凡百餘國自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案令邪摩惟音之訛也) 樂浪郡徼去其國萬二千里去其西北界拘邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同
- 234 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:44:55.71 .net]
- >>232
卑弥呼と今の皇室がつながってるかなんて知らねえよ ただ卑弥呼は近畿に居たってだけで
- 235 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:44:56.70 .net]
- >>228
中国側のあらゆる史書を否定しないと成り立たない畿内説 しかし邪馬台国は中国側の史書に登場する国なのですよ
- 236 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:45:48.22 .net]
- >>226
基本的に実在しないことを示す根拠を提示することは不可能だと思いますので、実在を示す根拠を可能な限り教えて欲しいと思います。 例えば彼の出自は天孫族ということになるのでしょうが、それは大陸から稲作を持ち込んだ人々ということになるのでしょうか。宮殿、墓所などにあたりそうな遺跡はあるのでしょうか。
- 237 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:49:12.02 .net]
- >>233
拘邪韓國は含まないだろ。
- 238 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:50:32.16 .net]
- >>231
神武は王都を捨てて都落ちしました 移動先には天照から勅命を受けた饒速日が王国を経営していました 神武が列島の盟主だというのは無理があります そして神武の跡、欠史八代という何の事績もない天皇が続きます その後の崇神天皇は実在性が高いとされますが、母方が饒速日の末裔であり、王宮も饒速日の地盤であった磯城纒向にありました
- 239 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:51:23.86 .net]
- 纏向の次がわからんのよね
飛鳥の宮ってのがあるにはあるがこれショボいんだよな
- 240 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:54:08.69 .net]
- >>235
>中国側のあらゆる史書を否定しないと成り立たない畿内説 そんな抽象的なこと言ったって、ただの悪口でしか無いんだが 九州説さんって、そういう自戒もできないの?
- 241 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:56:17.64 .net]
- 筑紫大和説の人はいわゆる九州王朝説の信奉者のようですね
しかし筑紫倭国につながる卑弥呼の時代をヤマト王権を仮冒する勢力というのはどうでしょうか 極めて特異な説を信奉して、かつまたその説に登場する人物に何の愛情もない きわめて奇怪です
- 242 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 13:58:42.70 .net]
- >>238
>神武は王都を捨てて都落ちしました だから九州説さん、どんな神話の我流解釈聞かされたって誰も説得力感じないって 皇国主義を天皇家ディスる方向に恣意的にねじり書き換えただけの変種皇国史観だよね、九州説って
- 243 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 14:01:33.61 .net]
- >>236
天孫族より前にスサノオ一族も日本各地に農業を広めたとありますから、天孫族が直接大陸から持ち込んだわけではないでしょう。 大国主の神奈月の祭りは、明らかに秋の稲の収穫を祝う新嘗祭の原型です。 ただ、畿内に関しては日本海沿岸より稲作の開始が遅れます。 筑紫に始まった弥生稲作文化が日本列島全体に広まるには、約200年かかっています。 前方後円墳は饒速日から始まる物部氏の墓制だとする意見がありますね。 特に饒速日が降臨した河内は大仙陵古墳など、巨大前方後円墳が集中します。 前方後円墳の起源は吉備など瀬戸内方面だとされますが、それも饒速日の足跡と一致します。
- 244 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 14:02:40.59 .net]
- >>232
>すべて大和の神武を中心に考えるのが皇国史観です。 つまり神武なんてヒトコトも言ってない畿内説は 皇国史観とまったく関係ないよね
- 245 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 14:03:11.26 .net]
- >>241
客観的に判断しているだけなので、愛情なんてありません。 でも中国の史書に基づくなら、他に考えようがない。
- 246 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 14:05:12.82 .net]
- >>244
神武という単語を出さないだけで、畿内説が言っている中身は皇国史観そのものです。 ずっと昔から畿内ヤマト王権が列島を代表したいたとあうことですよね。 根拠ないですけど。
- 247 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 14:05:53.64 .net]
- >>243
そんな九州説って、現実の歴史を無視した神話アテハメ遊びだな
- 248 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 14:07:29.36 .net]
- >>246
じゃあ「すべて大和の神武を中心に考えるのが皇国史観です」 と言ってたのは嘘だったのか 嘘が多すぎるよ
- 249 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 14:07:35.83 .net]
- 范曄の解釈と思われる箇所
國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國 魏志倭人伝と異なる。
- 250 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2022/08/21(日) 14:07:50.55 .net]
- >>246
もう少し落ち着いてタイプするようにしてください。
- 251 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 14:08:03.53 .net]
- >>242
筑紫がざわざわして落ち着かないので、王である立場を捨てて、遠い親戚である饒速日を頼って筑紫を出ていったんですよ。 ディスっているのではなく、普通はこれは都落ちですよ。 敗退を転戦と言い換えているのと同じです。 本来なら、王が都を出ないでしょ?
- 252 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 14:09:57.48 .net]
- >>246
>畿内説が言っている中身は皇国史観そのものです。 どこがどう「皇国史観そのもの」なの? 理由無視で、ただ無理やりレッテル貼ってる様にしか見えない
- 253 名前:日本@名無史さん [2022/08/21(日) 14:11:28.53 .net]
- >>252
ずっと昔から、ヤマト王権が列島の盟主であったと盲信しているところがです。
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