- 1 名前:代理人 [2017/11/17(金) 11:10:50.20 .net]
- 普通の長さのテンプレの邪馬台国畿内説の本スレです。
1、内乱の激しい中国や、2世紀末の倭国大乱の影響を避けるため、都を、大陸からより離れた奈良盆地の纒向にした。 大和は、瀬戸内海に近く、交通の要衝である。人口も多く、日本の中心に位置しており、都にふさわしい。 2、倭国の大乱は全国的な内乱である。その結果、3世紀には、中部日本と西日本とを統一する大和朝廷が成立した。女王国の出現は、このような広い領域を支配する国家の誕生であった。 3、卑弥呼が魏からもらった鏡は三角縁神獣鏡である。その証拠に、卑弥呼の時代である「景初三年」の銘が入っているものが出土している。 三角縁神獣鏡は、畿内から数多く出土するが、九州や関東からも出土するので、古墳時代の前、すなわち鏡が輸入された卑弥呼の時代には、大和の勢力が九州や関東に及んでいた、と見るべきである。 4、朝鮮から邪馬台国にいたる行程記述は、、伊都国以降も一直線に繋がったもの(順次式)と見るべきである。 不弥国から東は、船で行った。航路としては、瀬戸内海ルートだけでなく、日本海ルートを通った可能性もある。 この場合、投馬国として、出雲や但馬を比定する。 5、「女王国の東に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭種である。」との記述は、 伊勢湾や琵琶湖を渡ったむこうにも、倭人がいたことを述べている。 カキコミは自由に語ってください。 なおできれば前スレを埋めてから書き込んでください。 ※前スレ lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1510632067/
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