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被差別部落の定義とは?



1 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/02(火) 06:36:23 ]
八瀬童子が被差別なのか否かよく論争されます。
であれば夙も歴代も藤内も物吉も宮番も巫も掌墓も茶筅も筅も慶賀も隠亡も
時代や地方により他の呼ばれ方をした賎民も被差別部落民なのか否か。
他から差別されているのに被差別部落ではない?被差別部落の定義とは?


12 名前:日本@名無史さん [2008/12/03(水) 18:33:46 ]
山瀬童子 ×
八瀬童子 ○
間違いました すまん

13 名前:1 mailto:sage [2008/12/04(木) 06:00:20 ]
eigaku.cocolog-nifty.com/jyosetu/2006/02/post_87e9.html

この方のブログがとても参考になりました。
簡単に言うと解放令前と後で間違いはなさそうですが、
前と後が連続している、していないは
研究者、学者でも意見が分かれるようですね。

それと「穢多非人等の称廃せられ候条自今身分職業共平民同様たるべき事」
俗に言う解放令ですが、これの穢多非人等の「等」がこれまたいい加減です。
地方により被差別の枠というか定義や呼び方の違いにより法の適用範囲が違う。
今のような情報の時代でもなく標準語もないに等しく呼び方に方言もあったりで
仕方のないことなのかもしれませんが、これでは後世に正しく伝わらない。
親切に取れば「差別を受けている全員」悪く取れば「等」を無視、
穢多と非人だけの解放をした地方行政官がいても不思議ではありません。

ただ>>1でスレタイとしてあげた部落の定義については基本的に
「解放令の適用を受けた身分の人とその子孫」このあたりになるのでしょうか?
解放令前、維新以前の賎民についてはまた別と考えたほうがいい気がしています。

14 名前:日本@名無史さん [2008/12/04(木) 17:02:25 ]
であるなら京都において歴代は含まれるが八瀬童子は含まれないことになる。

15 名前:日本@名無史さん [2008/12/04(木) 17:50:24 ]
>>9
まったく同じ。

うちの郷里では、地区、小さな地域を指して、
普通に「部落」っていうよ

部落対抗ソフトボール大会とかw

むしろ、部落って言葉に、別な意味合いが
あるような風潮になったのは最近だよね

16 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/05(金) 17:42:03 ]
>>15
そうつい最近。たぶん明治か大正の頃からだな。
江戸時代以前は個別の呼び名があったから部落民とは呼ばなかったろ。
被差別部落の前が未解放部落でその前が特殊部落ってとこか?

17 名前:日本@名無史さん [2008/12/05(金) 19:32:49 ]
禁句になったのはもっと後で昭和の30〜40年代と思うけど

18 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/05(金) 21:35:17 ]
>>17
禁句になんかなってないさ。
前の呼び方が差別的に聞こえると、変えてきただけ。今の呼び方は被差別部落。
集落という意味での部落だって禁句になどなってない。地方によっては今でも使う。
ただ言葉狩りをする部落解放同盟はじめ似非同和がうるさかっただけ。
被差別部落民に対してブラク、朝鮮人に対してチョウセン。
言う人と聞く人によって差別になる。
同じ人間同士、相手を差別する気持ちがなきゃ禁句なんかないさ。

19 名前:日本@名無史さん mailto:age [2008/12/06(土) 23:01:16 ]
明治以前に非人と云う階層はそれ以降に差別がなくなってきたのに
穢多と呼ばれる階層は明治以降マスマス差別が強くなってきていた
戦後は反差別の動きに対して逆差別があったり・・

被差別部落の定義は日本の歴史の本質を提示するモノかも知れない。
このスレタイに期待するねw

20 名前:日本@名無史さん mailto:age [2008/12/07(日) 00:18:06 ]
昔、死んだ馬や牛の皮を剥いでその肉を食べてた人が穢多と差別されていたけど
今は毛皮を着て肉を食べている人は差別されていない。
ただ昔、穢多と呼ばれた人が今何故差別されるのかが判らない。
何故なんだろか、教えてくれます?




21 名前:日本@名無史さん [2008/12/07(日) 00:29:40 ]
>>20
東京以外の人ならタカジンの番組を見るのがいいだろう、
時々部落のことをやっている。
この間も元共産党の筆坂が、集団で役所に押しかけては無理難題を
吹っかけて、自分たちの利益を図ろうとするからとか言っていた。
また、糾弾会を開いて吊るし上げをやっているから、一般の人は
引くのだとも言っていた。

22 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/07(日) 02:41:07 ]
>>20
こんなとこで聞くより、図書館で本借りてきて読んだほうがいいよ。
歴史や説も色々あるので、いっぺんにはわからない事だけど
むしろいっぺんになんてわかるわけ無いことだからね。

>>21
やしきの番組ごときで判断なんで出来るわけがないw


23 名前:日本@名無史さん mailto:age [2008/12/07(日) 12:55:51 ]
非人や穢多と同類の最下層の人は平安の時代から存在していた。
ただ被差別部落として固定化したのは江戸になってからと思います。
江戸の時代に被差別部落として固定化しなければならない理由があると思いますが、
その考えが多分、今の時代に影響を及ぼしている様な気がします。
それが何なのか?


24 名前:日本@名無史さん [2008/12/07(日) 18:46:35 ]
元来、ひにんや、えたと云われる人達は、特殊な仕事をしている者を云い
身分を指していなかったと思う
江戸期に入り武士層が農民へ厳しい年貢取り立てを始めると
農民は生きるか死ぬかの厳しい生活に追い込まれ武士層への不満が続出した
そこで武士層と農民層は農民より身分の低い層を考え不満の捌け口を作った
その捌け口となったのが特殊な仕事をしている人達だったと云う
そんな訳で後々まで差別したのは特に農民層であったらしい
ひにんとか、えたと云われる人達は被害者であると思うが

25 名前:日本@名無史さん [2008/12/07(日) 19:08:18 ]
>>23
>固定化したのは江戸になってから
それじゃ部落が古墳の周囲に集まってる理由が説明できないよ。

26 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/07(日) 19:15:37 ]
>>25
はいはい、この手のスレでお約束の厨房が来たぜ。
「部落が古墳そばに特に多い」ってのは俗説。
まともな部落史でそんなこと証明した論文はない。
そのそも日本全国に「古墳」がいくつあるか知ってる?
そもそも「古墳」の定義は?

27 名前:日本@名無史さん [2008/12/08(月) 16:28:43 ]
確かに古墳のそばは関係ないな。
しかし居住地区に対する差別は厳然としてあった。

江戸府内においては、新町(しんちょう)の囲いが有名だ
町一つ分を塀で囲いその内側に穢多身分の人達を住まわせた
もう一つは、吉原裏の囲い、こちらは非人身分の人々
どちらも小塚原からさほど遠くない
仕置きの手伝いや罪人の移動の手伝いをさせやすいからだろう

次に、職の差別だ
穢多は革のなめしや灯心の製造をしていた
非人は乞つ食と紙屑拾いを生計とした
後は民間芸能を生業とする人々、所謂「祝い人」

それから非人は髷が結えなかったらしいが確認していません

28 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/08(月) 20:06:10 ]
>>27
非人が髷を結えなかったという話はおもしろそうですね。

非人は身分というより私の感覚だと刑に近いような気がしています。
無宿人なども非人小屋行きになったようですし、
一般人への昇格というのもあったわけじゃないですか?
にも関わらず明治大正期に非人部落も差別を受け、
最初は水平社は穢多の組織だからと入れなかったが
後に解放運動に参加するようになる。なぜかしら?

江戸時代、特に江戸においては浦本さんの本の感じでいいと思うんですよね。

しかし部落史と言っていいのか賎民史と言っていいのかわかりませんが、
時代と地方で呼び名も差別の内容も違う。
被差別民でありながら公家の人間と席を同じくした例もあれば
天皇から見えてはいけないと頭に黒い頭巾を被せられた例もある。
羽織を着た立派な身なりの穢多もいれば、
温泉でも馬の入る浴槽にしか入れない穢多もいた。
女の子が生まれれば、穢多であるよりはマシと遊廓に捨て子した例もあれば
派手にお座敷遊びをしていれば「あれはどっかの穢多かい?」と言われたように
お座敷に上がれた穢多もいたということですよね?
穢多も差別というよりは江戸時代までは単に身分というか制度だった気がします。

やっぱり穢多の子孫を差別というか完全に白眼視するようになったのは
解放令が出た明治であり水平社が解放運動を始めた大正じゃないのかな?

29 名前:日本@名無史さん [2008/12/09(火) 00:51:49 ]
穢多・非人の髪型
長州藩が元分二年(1737)に令を出し
穢多男は「ちゃせん髪」、穢多女は「折わげ」と決めたらしい
幕府は享保八年(1723)に令を出し
非人は「ざんぎり頭」としてかぶりものは一切禁止としたらしい

穢多・非人が平民へ紛れ込むのを防ぐ目的だったのかな


30 名前:日本@名無史さん [2008/12/09(火) 01:05:59 ]
>>26-27
平成現代でも開拓時に掘り起こし
後々、全国各地で古墳が見つかる。知らずしてその地域に住んでる人もいるから関係ない。



31 名前:日本@名無史さん [2008/12/09(火) 16:01:01 ]
>>28
>非人は身分というより私の感覚だと刑に近いような気がしています。
>無宿人なども非人小屋行きになったようですし、

確か心中の生き残りは非人に落とされた言いますね。
しかし非人頭や小屋頭は世襲でしょう。刑罰だけとはいえないですよね。
車善七の支配を受け、囲いの中に住んでる抱え非人と
江戸府内に流れ込んだ無宿で、乞食をしていた野非人がいたようです。
単なる、乞食として見られていたのかもしれません
こうなると非人という身分が解らなくなる。

一方、江戸時代、穢多身分に対する差別は歴然としていたでしょう。
埼玉で灯心を売りに行った穢多に「お前らから灯心を買うと穢れる」と
差別発言を農民がしたところ
農民と穢多の間で数十人規模の騒乱になったと言う話しが残っています。

32 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/11(木) 02:45:59 ]
>>31
>農民と穢多の間で数十人規模の騒乱になったという話
それって差別なんですか?
単に百姓身分が穢多身分に喧嘩を売って乱闘になったという話では。
その前に何かトラブルになる伏線があったのかもしれないし。

例えば町人身分の商人が百姓身分の農民を見下していたことも
あっただろうし、
逆に農民が商人を見下していたこともあっただろうし。
それによりトラブルが派生した事例も
探せば見つかると思いますよ。

差別の定義とは?

33 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/11(木) 03:23:37 ]
>>31
灯心の専売は江戸のみだったということですか?
これまた興味深いですね。

吉原遊廓の隣に車善七さんのお宅はあったようですけど、
遊廓と関連する仕事もあったんですかね?
郭の中に暮らす男も差別の対象とされ
外に出ることはできなかったそうですが、
それが亡八者ですかね?これも非人でしょうか?


34 名前:日本@名無史さん [2008/12/11(木) 08:04:06 ]
穢多とは何か?
牛馬の屍を回収、屍を解体する者だった。
なんでそういう事をやってたかというと、獣の皮が欲しかったから。
彼らは皮細工職人だった。
えたとは中世の頃の職能民の一種で皮細工(または皮屋)の事。
時の権力から商業上の保護を受けていた。皮細工のみならず、
地域によっては、灯心や履物などの専売特許権を持っていた。
また、えたの者は、長吏として、時の権力に奉公した。
警護役、牢番役、刑吏役を務めた。
えたの長吏は苗字は公認されなかったが、帯刀は公認された。
えたとは、そういう「身分」だったとしか言いようがない。

部落史なんかのテキスト見ると
「穢多とは身分外の存在であり、賤民だった。」
と書かれている場合が多いと思うけど、本当?
確かに狭義の支配身分だった武士身分ではないし、百姓身分の定義にも
あてはまらない。町人身分でもないし。
だからと言って、「身分外の賤民」というのもおかしい。
「独立した身分だった」と解釈した方がいいのでは?




35 名前:日本@名無史さん mailto:age [2008/12/13(土) 02:10:56 ]
「ある被差別部落の歴史 和泉国南王子村 岩波新書」
を読むと江戸時代には随分ひどい差別があったようだけどね。

36 名前:日本@名無史さん [2008/12/13(土) 02:47:24 ]
あんま部落に詳しくない人が見切り発射でスレを建てたみたいね

37 名前:日本@名無史さん [2008/12/13(土) 05:07:06 ]
部落の先祖は代々動物の皮剥ぎや革の鞣革 ようはそれを鎧とか三味線等を作る革をはぐのが仕事
牢屋の看守や牢屋の番人など先祖がしていた人々を
エタ・ヒニンなどと下げすまし部落と言っ意味嫌らわれていた。

38 名前:日本@名無史さん mailto:age [2008/12/13(土) 10:49:47 ]
>>33
>灯心の専売は江戸のみだったということですか?
>これまた興味深いですね。

すいません。本を読み返してみると、穢多身分の人が売り歩いてたのは
鼻緒でした。呆けてました。
やはり、灯芯の専売は弾佐衛門の独占のようですね。

39 名前:日本@名無史さん mailto:age [2008/12/13(土) 11:25:15 ]
牛や馬の皮を剥ぐから差別されたのか、差別されたから牛や馬の皮を剥いだのか。
それがわからない。


40 名前:日本@名無史さん mailto:age [2008/12/13(土) 13:24:24 ]
>>39
>牛や馬の皮を剥ぐから差別されたのか

斃死牛馬の皮を剥ぐと穢れるとか、その仕事輪を賤しいと思う感情が
差別を生んだんでしょう
事実、穢多身分であっても、鳥追い、門付け、猿廻しなどは
祝い事や厄除けに呼ばれるくらい平人と付き合いがありました




41 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/13(土) 15:04:16 ]
すべての被差別民が牛馬の皮を剥いでたわけではない。
ほんの一部だけ。

漫画の「カムイ伝」レベルの知識だな。

42 名前:日本@名無史さん mailto:age [2008/12/13(土) 17:54:08 ]
>>41
それならば差別の根拠を示せるの貝。

43 名前:日本@名無史さん [2008/12/13(土) 19:26:57 ]
学生時代の友達の卒論が牛馬骨の流通と薩摩船だったな


44 名前:日本@名無史さん [2008/12/13(土) 19:44:55 ]
たしか抜け荷についての卒論だった

45 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/13(土) 19:49:32 ]
>>41
所詮、漫画は漫画だろ
「カムイ伝(架空伝)」だろ
仮面の忍者「赤か影」みたいな空想

46 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/13(土) 20:41:18 ]
牛馬の皮を剥いでそれを自由に売り買いできるってのは
むしろ賤民の中では特権階層だからな。
「役目」(義務)を負う=「権利」の所有者、と考えると、
差別の構造がそんなに単純なものでないことがわかってくる。


47 名前:日本@名無史さん mailto:age [2008/12/13(土) 22:00:58 ]
別な言い回しで
被差別部落が持つ草場権が差別の基なのか、
それとも差別されて草場権を持たされたのか。

48 名前:日本@名無史さん [2008/12/13(土) 22:12:17 ]
死穢がそのままでは肉にしろ皮にしろ利用できないから、それを払ってもらうための
職能が必要となるわけで、差別されたから、肉を取り皮を剥いでいた訳ではない。
その辺の理解が倒錯してるんだよね。
草場を持っていたのは部落の中でも古くからある家なのは事実。

49 名前:日本@名無史さん [2008/12/13(土) 22:31:19 ]
『同和教育の手びき 第34集 同和教育指導資料集
部落問題学習の充実をめざして−「部落史の見直し」と教育内容の創造−』(抄)
奈良県教育委員会(平成4年3月20日)
www.pref.nara.jp/jinkenk/siryou/siryoucenter4.htm

『奈良の被差別民衆史』
www.pref.nara.jp/jinkenk/siryou/minsyushi/index.htm

50 名前:日本@名無史さん mailto:age [2008/12/13(土) 22:56:21 ]
>>48
部落内部の階層分離を示唆している訳ではない。草場権がある部落が被差別部落である事を云ってるだけです。
つまり差別されたから草場権を持たされていないなら、差別の基は何なのか。
簡単ではない事はわかるが、可能な限り簡単、明瞭に教えて欲しいね。

>>49
官許の同和教育の本には興味はない。





51 名前:日本@名無史さん [2008/12/14(日) 00:10:38 ]
>>50
階層分離?
普通は階層分化って言うよね?
中卒だな

52 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/14(日) 00:13:42 ]
>>51 笑え

53 名前:日本@名無史さん [2008/12/14(日) 00:16:01 ]
このスレは中卒レベルしかいませんから(^_^;)


54 名前:日本@名無史さん [2008/12/14(日) 00:16:26 ]
>>52
牢屋の番人なれ!
皮剥ぎ業者になれ!部落職業じゃあ!水平社讃えろ!

55 名前:日本@名無史さん [2008/12/14(日) 00:18:48 ]
中卒レベルの人は日本史板はまだ早いんじゃないか?

56 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/14(日) 00:24:03 ]
>>51
中卒www
生きてていいの?

57 名前:日本@名無史さん [2008/12/14(日) 00:42:14 ]
階層分離ってなんだろ?

58 名前:日本@名無史さん [2008/12/14(日) 00:59:27 ]
>>49 [同和教育の手びき]には
天皇及び天皇制についての記述はあるのか?
下人、下男、下女の位置づけがあるのか?

部落差別を考える時にはこの2点は避けて通れないと思いますが。 


59 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/14(日) 01:02:37 ]
>>35
読んでみます。
ただ江戸時代ということになると身分による差別が当たり前の社会じゃないですか?
後半には武士身分を金で買えたとはいっても、武士は二本差しで刀が持てた。
無礼討ちなどもあったわけですよね?
町人に武士を討つことは許されなくても武士は許された。これだって差別ですよね?
となると農工商など町人と賎民との間に義務や権利で差異があっても不思議じゃない。
それが差別かと言われれば差別かもしれないけど、どうも単なる身分制度に思えてしまいます。
家がわからないよう隠されたことも温泉で馬と同じ湯に入れられたのも
土地や水利の権利を持てなかったのも他の身分と結婚できないのもね。
逆に灯心の販売や屍牛馬の処理という権利もあったわけですし。
差別が身分制度として当然だった時代は差別とは私には思えないんですよ。
そうなるとやはり「差別」の定義なのかなぁ?勉強不足ですいません。
>>43
読んでみたいです。
>>49
ありがとう。なかなかおもしろい。
差別を楯に利権を得ようとする人々に邪魔されず
研究が進むことを願いたいです。
ずっと上の文のような教えられ方をしてきましたから。

60 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/14(日) 01:21:19 ]
他人蔑むのはやめましょうよ。それこそ差別ですよ。
自分が知っていて他の人が知らないと思えば教えてあげればいいじゃないですか。
中卒だろうと丁雅や親の仕事を手伝い小学校さえ行ってなかろうと
賎民史の勉強してる学生だろうと教えている方の先生だろうと
興味があればいいじゃないですか。



61 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/14(日) 01:21:41 ]
武士には武士の世界、

農民には農民の世界、

賤民には賤民の世界、

それぞれにヒエラルキーがあった。

もし「差別」があったとしたら、それは各身分世界の内部の話。

それが「近世」という時代。

62 名前:日本@名無史さん [2008/12/14(日) 01:23:37 ]
庄屋の先祖は農民です。
農民世界です。

63 名前:日本@名無史さん [2008/12/14(日) 01:30:28 ]
やっぱりまた庄屋か


64 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/14(日) 01:37:05 ]
あ 庄屋の農民的世界感www
中卒 あ 庄屋の戯言には気をつけてぇ〜

65 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/14(日) 02:12:10 ]
差別したいなら人権板に池

66 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/14(日) 11:42:24 ]
非人である観阿弥、世阿弥も芸能以外では差別されていた。巫女、猿飼も祈祷が終われば
差別されていた。死穢も社会で必要な職能なのに穢多は差別されていた。

67 名前:日本@名無史さん [2008/12/14(日) 12:03:32 ]
和太鼓も被差別部落が無ければ存在しえなかった。
被差別部落も独立村なら税も徴収されていた。

職能が差別なのか、差別が職能をもたせたのか?


68 名前:日本@名無史さん [2008/12/14(日) 18:09:20 ]
我々が霊感があるとか、超能力があるという人間に会ったときのことを創造してみてください。

1)そういうことも大いにあるだろう
2)そういうこともあるかもしれない
3)そういうことはないんじゃないかな。
4)そんなことがあるか。お前は詐欺師だ。

などという反応が考えられますが、1)2)は体質の違いという受け止め方ですが、
4)の反応が強くなると、「敬して遠ざける」という態度から「差別」意識が強まってくると
思います。
実際これと似たようなことが江戸時代に起きていることが『奈良の被差別民衆史』で
読み取れます。西欧の啓蒙主義と同じようなことがゆっくりと進行した結果、部落と
部落外の関係性を支えてきた宗教意識が崩壊していくわけです。

69 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/14(日) 18:47:05 ]
>>49さんが紹介してくれた奈良の上の方の文書を見ても
自分の知識が古いことがわかります。
ただすべてが奈良と同じとは限りません。
何冊か本をよんでも場所や時代で違っていることもありましたので。
今後とも皆さん色々教えてください。


70 名前:日本@名無史さん [2008/12/17(水) 16:17:50 ]
藤内も被差別部落だけど、どんな差別を受けていたんだろうね



71 名前:日本@名無史さん [2008/12/17(水) 16:59:28 ]
>>1
八背童子の時代に被差別って言う
言葉あるか!?ドアホ

72 名前:日本@名無史さん [2008/12/17(水) 17:45:32 ]
藤内は北陸限定じゃないの?

73 名前:日本@名無史さん [2008/12/17(水) 18:18:28 ]
藤内は被差別民じゃないよ。
だって北陸には同和地区ないもん。
北陸出身者より。

74 名前:日本@名無史さん [2008/12/17(水) 20:13:05 ]
被差別部落=同和地区なんですか?

75 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/17(水) 21:15:51 ]
>>74
被差別部落とは歴史的背景があり、周辺地域から差別を被っている
地区。行政上は、特殊部落と呼ばれた。
後に特殊部落という言い方は差別的であると指摘されて同和地区と
呼称を変えた。
だから被差別部落=同和地区でほぼ正しい。
しかし明らかに差別を被っている地区なのに同和地区と指定される
のを拒否した地区もあるため必ずしも等式では結べない。

76 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/17(水) 22:25:52 ]
>>71
八瀬童子の時代?いつですか?
被差別というのは差別を被る立場です。
差別を受けていた賎民を指しています。
下記と同じような意味ですが、こんなことは改めて書く必要もないと考えました。

『被差別部落(江戸時代には被差別部落という呼称は存在せず、
「かわた村」・「えた村」などと呼ばれていたが、
ここでは便宜上「被差別部落」に統一して表すものとする)』

漢字の間違いまで指摘するつもりはありませんが、
八瀬童子の時代とはいつを言うのか詳しく教えてください。
ちなみにウィキペディアでは現在でも関係者により
八瀬童子会が組織されているとのことですが。
広義の意味での非人身分だそうです。
私は三一書房、上杉聰の「部落史がかわる」で読みました。
>>72>>73>>74
北陸限定かどうかは知りませんが、石川富山に多いとは読みました。
被差別部落≠同和地区
「元来、藤内平人交わり候儀、これあるまじく候」
1935年富山233地区、石川47地区、福井6地区
1993年富山 0地区、石川 0地区、福井6地区
慶応二年(1866)砺波郡374軒の賎民中、
皮田34軒、非人5軒、物吉2軒、藤内333軒。




77 名前:追加 mailto:sage [2008/12/17(水) 22:36:18 ]
>>74
同和地区(行政用語)→対策事業で指定された地区
被差別部落→指定地区と未指定地区を合わせたもの

78 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/17(水) 22:53:26 ]
まったく自明視されれて疑問に付されることがないが
たとえば「穢多」と「長吏」は実はまったく別物だったという見解がある。
で、これが明治の賤民解放令で全部一緒くたにされてただの「被差別部落」になっていったと。

79 名前:日本@名無史さん [2008/12/17(水) 22:59:20 ]
>>75>>76>>77
有難う御座います。よくわかりました。

80 名前:日本@名無史さん [2008/12/17(水) 23:16:53 ]
被差別部落の始まりとして
奈良時代に天武天皇の「天皇」と称する時に神格化するにあたり神聖の対極として
ゲガレを全て負う存在として一部の賎民を指定して、それが将来の「穢多」としたとの説と
平安末期に京に集まってきた川原者が始まりとの説があるが、どちらが有力でしょうか?







81 名前:日本@名無史さん [2008/12/17(水) 23:21:56 ]
畜産関係じゃなく竹細工系の被差別部落もあるよなあ(奈良県某所)

82 名前:日本@名無史さん [2008/12/18(木) 00:47:42 ]
被差別部落は存在しない!

そう断言して、なんら問題はない。
なぜなら、だれもその存在を示すことができないからだ。
「これが被差別部落だ!」と実物を提示して主張できる人は、世界中どこにもいない。

どんな事物であっても、「ある」と主張する側は、「ない」と主張する側に対して、提示義務がある。
学問の常識だ。
ところが「被差別部落は存在する」と主張する者たちは、誰一人としてこの責任を果たしていない。
こんないい加減な話があるだろうか。
これで「存在を信じろ」だなんて、あまりに無茶苦茶な話だ。

被差別部落などというものは存在しない。
こう断言してなんら問題はない。
これに反対な者は、被差別部落の存在を、誰にもわかるように示すべきである。


83 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/18(木) 02:50:28 ]
>>80
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AB%96%E4%BA%89
>>81
茶筅ですか?それは穢多じゃなく夙の子孫じゃないんですかね?
>>82
何が言いたいんですか?
旧被差別部落だから被差別部落じゃないとか哲学ごっこや言葉遊びなら人権板でどうぞ。
それとも同和対策事業特別措置法が切れ対策事業が行われ地区はなくなったとか?
外から人も住むようになり地区外に出る人も多く混在してるからないと?
過去、いくらでも存在する場所、つまり地区名は書かれたが
差別に繋がると削除されてきたに過ぎない。ゆえに書くことはできない。
しかし、あなたが本当にそう思うなら学問上の理由だと説明したうえで
人権連でも解放同盟でも全日本でも自由同和会でも崇仁協議会でも
行き易い場所に行き案内してもらうといい。

84 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/18(木) 19:02:31 ]
>>82 は地名を挙げさせて糾弾しようとしている輩

85 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/18(木) 21:15:36 ]
藤内は非常に熱心な真宗門徒であったと言われる。
北陸は中世以来の真宗王国の伝統を持つ。
真宗門徒のお百姓さんが藤内を差別するとは思えないが。
藤内は賤称廃止令とも関係ない。
でも明治以降、貧困層に陥ったケースもあったろうし、特異な「身分」だったため、
江戸時代の「旧賤民」扱いにされちゃったところもあるんだろうな。
ただ仮に差別があったとしてもかなり緩いもんだったと思うよ。北陸だから。
部落差別は地域的なもの。文化的要素もかなり係わってくる。
なんでもかんでも一緒にしてはいけない。

ところで、部落起源説論争だが、「近代説」が注目を受けつつある。
wikiなんてあてにならん。






86 名前:日本@名無史さん [2008/12/18(木) 21:39:56 ]
一般の農民と旧賤民層のあいだにはっきりとした境界線が引けるわけじゃなく、
グレーゾーンというか、曖昧な身分がたくさんあったというわけだ。
関西の夙なんかもその典型だろ。
ただ、明治の賤称廃止令が指定する対象が明確でなかったために、
現在まで続く厄介な問題を引き起こすことになった。

87 名前:日本@名無史さん [2008/12/18(木) 21:57:41 ]
>>85
そうすると中世説の川原者は応仁の乱以降の戦国時代の過程で
社会的混乱の中に賎民層が流動化して、
秀吉や家康によって再構築され穢多や非人の被差別の部落を
形成したと云うことですか?


88 名前:87の続き [2008/12/18(木) 22:03:14 ]
被差別部落が京都や奈良や大阪や福岡に多いのは何故なのでしょうか。

89 名前:日本@名無史さん [2008/12/18(木) 22:36:02 ]
>>88
経済的に先進地帯で、社会的に分業が進んでいたから。
逆に考えると、東北の農村になぜ被差別部落が存在しないかも納得が行く。

したがって、
被差別部落=封建遺制という考えは決定的に誤っている。
近代化が進んでいるからこそ、賤民身分が創出されたのである。

90 名前:日本@名無史さん [2008/12/18(木) 22:46:52 ]
>>89
納得できます。有難うございます。
福岡から瀬戸内海を経て関西から名古屋に部落が多いのは理解できます。
では長野や高知も比較的多いですが、それもやはり同じ理由ですか。
聞いたばかりで申し訳ないのですが・・・



91 名前:日本@名無史さん mailto:age [2008/12/19(金) 15:13:07 ]
>>90
>では長野や高知も比較的多いですが、それもやはり同じ理由ですか。

89ではないが。
農村部では、年貢の重さに苦しんでいた百姓身分の人たちが
特権的職業を持っていた穢多身分の人たちに、
感情的な差別感を増長さていたことは疑いも無い。
何故なら、牛馬の皮は売れば確実に現金を手に入れられる。

事実、弾佐衛門は何十万石の大名と同じくらい財力があったと言われている。

92 名前:日本@名無史さん [2008/12/19(金) 15:38:43 ]
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          `、ヽ     ヘ`\┼┼┼ ,!ヽ --==ニニ二,   早くゴルフだよ、ゴルフ!!
            ヽ\     \"ヽ-;:,,,,,,ノ /  /      "`''''''-----:;,,,,,,,,,_______,,,,,,
             l  `ー、_   \,,,,,__,,,ノ /ヽ. 
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    /.                          

93 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/19(金) 16:04:50 ]
>>85
『元来、藤内平人交わり候儀、これ有るまじく候』

『エタ非人等の称廃せられ候条、一般の民籍へ編入し申すべき儀等御布告に付、
右非人等とこれ有る儀は、藤内も同様に御座候哉と伺い奉り候所、
右伺の通り相心得べき旨仰せ渡せられ、〜』


Wikipediaを貼った理由は解答として貼ったわけではありません。
起源説は多くあり確実なものはまだないから、自分で調べるなり判断なさいという意味です。

浄土宗・浄土真宗は戒名を見ても坊主も信徒も差別はしますよね?
私は真宗門徒ではないのでわかりませんが、真宗は差別をしない何か理由があるのですか?

94 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/19(金) 16:29:24 ]
>>90
長野は部落多い。しかし各部落は規模が小さい。
高知は部落の数自体はそれほど多くはない。しかしやたら大きい部落がある。

↑この違いも近世の支配形態の違いを理解する鍵になる。

95 名前:日本@名無史さん [2008/12/19(金) 19:52:44 ]
>>83
>茶筅ですか?それは穢多じゃなく夙の子孫じゃないんですかね?

そう茶筅。あそこは自称(あくまで自称)では鷹山城の領主が織田信長と戦争
(半日で落城)して、領主幹部一族がペナルティーで部落民になったということに
なってるな

96 名前:日本@名無史さん [2008/12/19(金) 23:25:50 ]
江戸時代までは部落民は隔離されて生活していたが
明治になり解放令で混在する様になって強い排除の意識から
差別が補強された。
穢多は自分の土地を持っていたため被差別部落となり
非人は土地を持たないため被差別部落になりえなかった。

97 名前:日本@名無史さん [2008/12/19(金) 23:43:20 ]
浄土宗・浄土真宗も差別してますね。
富山の真宗が差別が少なかったかな?
所詮、お寺もその土地の檀家のお布施で生きていきますから、
檀家の意向に左右されますからね。
藤内は地元ではあまり差別を受けなかったのは、加賀藩の部落民への
施策が他と違ったという事ですかね!?


98 名前:日本@名無史さん [2008/12/19(金) 23:51:12 ]
>>94
長野の部落は街道の保守と警備を受け持っていたのは聞いたことがなるが
高知はわからない?

99 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/20(土) 01:13:23 ]
>聞いたことがある

どこで聞いたのか気になりますね

100 名前:日本@名無史さん [2008/12/20(土) 01:18:51 ]

>>92

何てキャラ?



101 名前:日本@名無史さん [2008/12/20(土) 01:21:01 ]
ここって日本史にしては幼いね

102 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2008/12/20(土) 13:09:11 ]
>>97
>>93において上の文、『これ有るまじく候』は加賀藩の資料です。
一般の人は藤内と付き合っちゃいかんよと言うのは充分差別じゃないですか?
住まいも藪で囲われてたのも他の賎民と同じでしょう。
ただ仕事が医者と産婆ですから、恐いと表現する一方感謝する人がいたのでしょう。
>>101
私が知識不足でもった疑問からスレがスタートしましたから仕方ありません。
皆さんに色々教えていただいています。
>>101さんも幼いと言わず、私に色々なことを教えてください。お願いします。

103 名前:日本@名無史さん [2008/12/20(土) 15:23:17 ]
長野というか信州の場合は普通は「穢多」じゃなくて「長吏」だよね。

104 名前:日本@名無史さん [2008/12/20(土) 18:45:38 ]
高知の場合は混住の例があるようですね
それでも所属の町内会がはっきり分かれているとか

105 名前:日本@名無史さん [2008/12/20(土) 18:56:02 ]
江戸時代、幕府町奉行所から弾佐衛門に対して
弾佐衛門由緒書の書付を認めて
穢多=長吏の見解が出ています。

106 名前:日本@名無史さん [2008/12/20(土) 19:38:18 ]
どっちみち弾左衞門由緒書なんて偽文書だし。

107 名前:日本@名無史さん [2008/12/20(土) 19:58:37 ]
>>104
江戸前期までの高知は瀬戸内側と違い経済的に進んだ地域とは云えない。
部落民の由来はやはり長宗我部の関連の百姓とかですかね?
あるいは平家の落ち武者とか?

108 名前:日本@名無史さん [2008/12/20(土) 21:21:03 ]
関西では穢多=長吏ではないけどね。

109 名前:日本@名無史さん [2008/12/20(土) 21:32:22 ]
>>108
かわただな

110 名前:日本@名無史さん [2008/12/20(土) 22:44:34 ]
>>107
土佐は江戸以前は流刑地だった。



111 名前:日本@名無史さん [2008/12/21(日) 00:15:04 ]
>>103
ほうほう。

112 名前:日本@名無史さん [2008/12/21(日) 00:21:02 ]
>>16
筑紫哲也の『メディアの海を漂流して』(朝日文庫版)という本では
「未解放部落」と書いてたな。初出は70年代の後半頃






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