- 1 名前: [04/04/25 15:37]
- なんでだ?
江戸時代とか180cm越える武将がゴロゴロいたじゃん。 徳川吉宗やら宮本武蔵やら武田信玄もそうか? とにかくでかいやつ多かったじゃん。 つーか確かにいたじゃん。 それなのになんで明治時代になると急に平均身長150cmとかになってんの? 江戸時代は平均160cmはあったのに。 どういうこと?? おかしくねえか?それと室町やら平安時代の平均身長ってどうだったの?
- 129 名前:月に吠える [04/09/16 01:34:47]
- >>128
> そいつらだって仏教のせいで獣肉は食えなかった 無知な「もんもん」に知識の光を投げかけてやろう。。。 (引用始め) 江戸で獣店(けものだな)、ももんじ屋などと呼ばれた獣肉店が 繁盛するようになった。 〈ももんじ〉は江戸時代にイノシシ、シカ、タヌキなどの野獣を 総称した語で、そうした野獣・野鳥の肉を売り、あるいは食べ させた店を〈ももんじ屋〉といった。江戸には寛文(1661‐73) ころから鵬町五丁目、のち同所に隣接する平河町にそうした店が あり、イノシシ、シカはもとよりキツネ、ネコ、ヤマイヌ、 カラス、トビなどまで売っていた。牛馬などの家畜は食用に すべきではないとする観念は強かったが、それらも当然売られて いたと思われる。 薬食(くすりぐい)、つまり保健、治病をうたって、店主はその 薬効を説いたものらしく、〈けだもの屋藪医者程は口をきき〉 (《柳多留》第3編)という川柳がある。また、蕪村に 〈くすり喰人に語るな鹿ヶ谷〉の句があるので、京都にも同種の 店があったようである。5代将軍徳川綱吉の時代の江戸では 獣店の名を避けて、〈鵬町の鳥屋〉と通称されていたが、 儒医香川修徳(しゆうとく)(1683‐1755)のように、〈邦人ハ 獣肉ヲ食ハザル故ニ虚弱ナリ〉と栄養面から肉食の必要を 説いた人もあり、化政度(1804‐30)ころから寺門静軒のような 肉食愛好派はおおいにその効用をたたえた。
- 130 名前:月に吠える [04/09/16 01:38:00]
- しかし全体としては、国学者などを中心にあくまで肉食を不浄視
する保守派のほうが多く、幕末にいたるまで肉食の是非に ついての論議が盛んに行われた。 その一人、天保期国学の大家とされる小山田与清(おやまだ ともきよ)は《鯨肉調味方(げいにくちようみほう)》という 鯨料理一式の本の著者に擬せられてもいるが、大の肉食反対 論者で、〈文化文政年間より以来、江戸に獣肉を売(うる)家おほく、 高家近侍の士もこれを稼(くらう)者あり。猪肉を山鯨と称し、 鹿肉を紅葉と称す。……いづれも蘭学者流に起れる弊風也。 かくて江戸の家屋に不浄充満し、祝融の怒に灯(あう)事 あまたたび也〉と、肉食の悪風が流行するのは蘭学者連中の 始めたことだが、それが火の神祝融(しゆくゆう)の怒りに ふれて江戸には火事がたえないのだと、とんでもない感情論を ぶちまけている。 鯨が魚であった時代であるから、彼自身には矛盾はなかった のだが、いまからみればまことにほほえましい。 (『世界大百科事典』平凡社による) このように、「文化文政年間より以来、江戸に獣肉を売(うる) 家おほく、高家近侍の士もこれを稼(くらう)者あり」とある。
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