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もしも、三島由紀夫が天下を取っていたら?



500 名前:日本@名無史さん [2005/12/16(金) 22:49:20 ]
12月10日午後九時半頃、政治思想家の三浦重周(本名 三浦重雄、重遠
社代表、三島由紀夫研究会事務局長)は郷里の新潟市の岸壁で寒風吹きすさぶ
なか、壮絶な割腹自決を遂げました。
 遺体の発見は翌日(12月11日、日曜日)午前九時頃で、直ちに近くに住
む兄上が立ち会われて検視の結果、心臓部は肋骨に達し、咽喉部を切ったので
喉に刃物がつきささったままの状態でした。
 三浦代表は皇居遙拝のかたちで正座したままうつぶせの状態であったことが
判りました。菩提寺の三浦家代々の墓には本人が前日に訪れた足跡がありまし
た。
 壮絶にして見事な割腹を遂げた大西中将の最後を思い出させてくれます。
 急遽、遺体の安置された三浦長兄氏実家を弔問、兄上は開口一番「立派な最
後でした」と言われました。
 12日夕刻から親族のみによる密葬の通夜が執り行われました。
 三浦家は親戚が多く、しかし密葬ということで、友人関係は多くを呼ばない
でほしいといわれました。このため「友人一同」として花輪を出すことにし、
友人知人の皆さんの分まで何回も何回も合掌しました。

 12月13日午前11時半より本葬が新潟市赤道の斎場で執り行われまし
た。
 兄上は「重雄クンは憂国の情やみがたく、青雲の志を抱いて上京後、理論研
鑽と運動に挺身し、自決は覚悟の上」としっかりとした口調で挨拶をされまし
た。
 出棺後、小生は友人二人と火葬に立ち会い、最後に骨を拾いました。一年分
の泪が三日間で出尽くしました。火葬場までに道のりは日本海の荒波、吹雪で
した。








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