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爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1



1 名前:日本@名無史さん [2006/11/06(月) 03:56:09 ]
君が爺さん、婆さんから聞いた、リアルな実体験話を
皆に聞かせるためのスレッド。

歴史上の有名人との接触
歴史上重要な出来事に関わった話
先祖が英雄で、身内しか聞けない話
その他、どうでもいいがおもしろい話

こんなところかな
個人的には黒船から日露戦争までの時代の話を聞きたい


とあるスレのご希望により立てさせていただきました。

232 名前:日本@名無史さん [2006/11/30(木) 15:16:46 ]
俺の婆さん(90歳。ご存命!)が子供の頃、近所に住んでいた老婆は
(天保以前、ひょっとして文化、文政生まれくらいか?)
少女の頃、打ち首になった自分の父親の首をフロシキに包んで、家まで
持って帰ってきたらしい。「ミニにたこができる」ほどこの話を聞かされた。

233 名前:日本@名無史さん [2006/11/30(木) 16:51:52 ]
>>232
リアルだな…


234 名前:日本@名無史さん [2006/12/01(金) 00:09:03 ]
ドラマティックな人生のほとんどが世の中の流れの影響受けてるんだと再確認。
だからこそ戦時中などは心の中にしまってあるドラマ多いんだろうな。
それを聴きだして世に出してあげる役目だな、このスレは

235 名前:日本@名無史さん [2006/12/01(金) 00:38:41 ]
俺の爺ちゃん
若い時、本田宗一郎の知り合いで
本田宗一郎がバイク屋を始める時に
一緒にやらないか?と誘われたが
金にならないからと言って断った
爺ちゃんの見る目無し!

236 名前:日本@名無史さん [2006/12/01(金) 01:10:24 ]
>>235


 ウ ホ ッ !  や ら ま い か ?

237 名前:日本@名無史さん [2006/12/01(金) 01:11:00 ]
当時本田家の近所(赤坂?)では「スピード狂のオヤジ」扱いだったらしい

238 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/01(金) 11:09:51 ]
世界を変えるのはいつも奇人変人
凡人はその後をついていくだけなのだ

239 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/01(金) 17:17:04 ]
明治生まれの俺の祖母は戦争中に近所の人を田舎の実家に疎開させて食料とかも世話してたからみんなに感謝されたって俺に自慢げに話してた


240 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/01(金) 19:26:32 ]
>>239
いい祖母さんだな。その祖母さんの子孫としての誇りを持って生きろよ



241 名前:日本@名無史さん [2006/12/01(金) 22:54:03 ]
良スレには、荒らしの入る余地がないな!全く・・・。
俺の父親(昭和40年入社。来年春定年予定)が新入社員の時、
ひいきにしてもらってたお客さんの家には、まだ慶応生まれの
爺さんが生きていて、会話もしたらしい!維新から97年後の
1965年の話。ほんと、時代の転換点やったんやな〜。

242 名前:日本@名無史さん [2006/12/02(土) 11:05:26 ]
この板では全然盛り上がらないだろうが、オレが入社した時、職場で再雇用されてはたらいていたおじいさんが元海軍の航空整備士。
プロペラが後ろに着いた飛行機が飛ぶのを見たって・・・・それ震電だろ

243 名前:日本@名無史さん [2006/12/03(日) 23:13:10 ]
税所篤の縁者がタイフォされた。
明日のトップニュースだ。

とんだ政争の巻き添え。

244 名前:日本@名無史さん [2006/12/04(月) 02:48:34 ]
>>235
もし受けてれば今頃お前は大金持だな

245 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/04(月) 03:08:52 ]
うちの母親桂太郎が韓国の小さな幼皇帝日本に招き京都の街連れて
あるいてイルのみてあぁもうすぐ合併だなぁ、と思ったそうだ。
おやじは日清戦争でチャンコロやっつけろと幼少の身ながら町を練り
歩いたそうな 今でも変わらんナァ

246 名前:日本@名無史さん [2006/12/04(月) 03:41:33 ]
100年も前か。あんたも結構な年だな

247 名前:日本@名無史さん [2006/12/04(月) 18:48:58 ]
父からのまた聞きの話だが、
うちの爺さんかひい爺さんは、幼いころの与謝野晶子のご近所さんで、
与謝野晶子は近所では「あの子と遊んじゃいけません!」なんて言われている
不良娘だったらしい。

248 名前:日本@名無史さん [2006/12/04(月) 19:08:08 ]
>>245
日本語で書き直してくれ。

249 名前:日本@名無史さん [2006/12/04(月) 22:07:22 ]
明治〜大正〜昭和〜平成〜4世代を生き抜く力

250 名前:日本@名無史さん [2006/12/04(月) 22:52:13 ]
>>247
ま、今では当たり前だがその頃恋愛結婚なんてふしだらな事やったんだからな
40年前にジーパン履いて歩き回るようなもんだよ



251 名前:日本@名無史さん [2006/12/14(木) 17:13:26 ]
うちの曽祖父曾祖母はお互いの顔を結婚式当日まで知らなかったらしい
父方も母方もそう言ってるから「結婚は家同士で行う」って意識が強かったんだろう

そんな曽祖父ですが、はっちゃけた伝説が多いらしく親戚からは割りと白い目で見られてたそうな
北関東の片田舎から東京の下町に出てきて店おこしただけで結構大変なことと思われてたらしい
(大正期の話ね)

その夫婦の娘(=ばあちゃん)とこに婿入りしたじいちゃんは
太平洋戦争時に大陸で戦ってきたんだそうだが
非常に体格が良いので兵隊に甲種合格したのが自慢
自分が小さい頃、一緒に風呂入ると肩やら鎖骨やらの傷見せてきて
「こっから鉄砲の弾が身体ん中入ったんだ」
と教えてくれたっけな
50年くらいたってようやっと摘出手術受けてたけど…

ばあちゃんは随分前に死、甲種合格のじいちゃんも今じゃ半身不随
とりあえず死ぬまでは優しくしてあげたいと思います。

252 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/14(木) 21:11:58 ]
うちの祖父は関東軍で、終戦でシベリアに抑留され復員したのは昭和24年。
その時うちの親父は5歳で、写真でしか自分の父親を知らなかったから
写真とは変わり果てた父親から「お父さんだよ」と言われても実感がなく、
見知らぬおじさんだと思って逃げてしまったそうだ。祖父も辛かっただろうな。
シベリアの収容所では全員が栄養失調で、毎日のように戦友が死んだそうだ。
夕べ「おやすみ」と言い合った仲間が、朝になったら死んでいる。
「こんなところで死ねるか、絶対に生きて帰ってやる」と強く思いつづける事で
生き抜いた、と言ってた。8年前に死ぬまでロシア人を呪っていたよ。
祖父の口グセは「ロスケだけは信じるな」だった。

253 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/15(金) 21:43:30 ]
子供の頃、婆ちゃんが字が読めないということに気付いたときは、
ちょっと厳粛な気持ちになった。

254 名前:日本@名無史さん [2006/12/16(土) 01:18:58 ]
>>253
明治生まれの俺の婆ちゃんも漢字はあまり読めなかった
小学校は4年ぐらいまでしか通えなかったみたいだし

255 名前:日本@名無史さん [2006/12/16(土) 01:25:27 ]
爺さん婆さんの話って時系列がゴチャゴチャになってるし人名とか固有名詞も適当だから困る

256 名前:日本@名無史さん [2006/12/16(土) 01:41:16 ]
うちの曽祖父は、天誅組と戦った。
マジで凄い。

257 名前:日本@名無史さん [2006/12/16(土) 05:47:45 ]
>>256
それは凄いですね
良かったら詳しく教えてください

258 名前:日本@名無史さん [2006/12/16(土) 08:22:05 ]
曾祖母は乗馬となぎなたの名手で、大変なお転婆娘だったそうです。
で、おとなしい曽祖父(従兄妹にあたる)に嫁として押し付けられたそうです。
おそろしく気が強くプライドの高い女性だったとか。
昔は同族結婚ばかりしていたみたいですよ。

259 名前:日本@名無史さん [2006/12/16(土) 10:20:51 ]
明治生まれの祖母は英語読めたけど当時としては珍しいのかな?

260 名前:日本@名無史さん [2006/12/16(土) 11:15:00 ]
>>256
詳しくお願いします。



261 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/16(土) 11:15:50 ]
死んだ祖父の親戚見たことないなあって思ってたら実はお妾さんの子供だったらしい
親がこの前ポロッと言って、あんた知らなかったっけ?と言われた
旦那はけっこうな大店の主人だったらしい(妾は子供三人生み、贅沢な生活ができてた)が…
調べたいが病床の祖母には聞きにくいorz
でも今聞かないと知ってる人いなくなるだろうしなあ…

262 名前:日本@名無史さん [2006/12/16(土) 12:22:05 ]
曽祖父はクリスチャンになって(元は曹洞宗)、ピアノを弾きながら賛美歌を歌っていたそうです。
表紙が子羊の皮の大きな聖書が残っています。
伊達男だったので、英国直輸入の生地で洋服をあつらえさせていたそうで、
当時は洒落ていたという帽子も残っています。
元は武士でした。ずっと昔に郷里から取り寄せたという戸籍が士族になっていますし、
郷里には親戚もいるし、県とか町の郷土史みたいのにも苗字が出ているそうです。
家宝はないので傍流だったんでしょうが、明治維新後にうまく転身できたんですね。
子孫はパッとしないですけどw

263 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/17(日) 13:01:05 ]
明治生まれのうちの爺ちゃんもクリスチャンで、
子供の頃からカナダ人宣教師に教わっていたから英語が出来た。
戦後、米軍が進駐して来たら引っ張りダコになったが
通訳の仕事は板挟みになるから嫌だ、と言って嫌がっていたそうだ。

ただ、うちの親父曰く「爺ちゃんの英語は変だった。学生時代、
家で爺ちゃんに英語を教わっても、それを学校で話すと英語の先生に
間違いを指摘されて混乱した。aをアじゃなくて、エと読んでいた。
でも爺ちゃんが進駐軍の将校と早口で喋っている姿は何度も見ているし、
我々のジャパニングリッシュじゃなくて、本当の英語だったんだろうな」
とのこと。ちなみに爺ちゃんには子供が4人、孫が7人いたが
誰も英語はモノにならなかった。英語を教えるのは苦手だったみたいだ。

264 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/17(日) 15:21:24 ]
>>261
戦前にお妾さんになる女性が多かったのは、
女性の就職機会が極めて少なかったのと、
社会福祉制度がほぼゼロに近かったため、
女性が男性に依存せずに生活してゆくことが
難しかったことによるものでしょう。
もちろん人生の幸福は本人の価値観によるものですが・・・

265 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/17(日) 15:43:45 ]
>>264
それは関係ないんじゃないか。
今のように女性の就職機会が多くて、
社会福祉制度があっても、
妾になる人はいくらでもいるよ。

266 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/17(日) 21:42:35 ]
うちの曾祖父
晩年はボケてしまって、隣家の囲炉裏端に座って隣人が帰ってきたら「よくいらっしゃったなあ」とか言ってたそうだ
徘徊老人のはしりだな

267 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/17(日) 22:23:15 ]
>>265
本番ありの風俗やAVにいく女性も増えてるね。
不景気にも関係あるんだろうけど。

268 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/18(月) 02:28:03 ]
バブル期でも風俗に行く女性はいっぱいいたから
景気より手っ取り早く大金が稼げるってのが大きいのかもね

269 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/19(火) 20:46:23 ]
>>262-263
うちはひい爺さんの代に田舎から出てきたけど、檀家にしてくれる寺を探すのに苦労したらしい。
なんとか小さい寺に引き受けてもらえたけど、最後まで見つからなかったらクリスチャンになってたかも。
ちゃんとした葬式を出してもらうあてがないまま死ぬのが物凄い恐怖だったらしいね。

270 名前:日本@名無史さん mailto:age [2006/12/25(月) 09:08:18 ]
誰か明治30年〜45年頃の話を聞かせて




271 名前:OPS mailto:oohira@gctv.ne.jp [2006/12/26(火) 19:13:27 ]
>>270
僕の死んだ曾祖母は明治41年生まれ


272 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/26(火) 22:37:06 ]
うちのひいばあちゃんは明治35年(1901)生まれ、でもって話好き。
四国の生まれだが8歳のとき蝦夷開拓移民団で北海道へ
17歳で四国に帰り大阪へ奉公に
そこで結婚した。
北海道へ行く時の船は四国から、下関 金沢 新潟 函館 と(江戸廻船!)ルートだったそうな。
途中で日露戦争の大砲の音を聞いたといってた・・
北海道の開拓はものすごかったが若かったのでおもしろかったとか
クマの話や馬橇に乗るのは病人の出たときだけだったって。
結婚したら米騒動、
鈴木商店や三菱(大阪)の倉庫の周りを
銃剣つけた兵隊さんが囲みその周りを竹やりのおっちゃんたちが囲んでいるのを目撃したらしい。
「男が俵もって逃げるのを見てたら、
ほいねぇちゃん・・いうて米ぎょうさん地面にこぼしてくれて、
おおきに いうて手ですくうて前かけいれて・・」と話し出すときりがない・・・
ばあちゃんの小さいころすでにおばあさんだった人から
エエジャナイカ参りの話を聞いて「昔はむちゃしたんやなぁ」と思ったそうです
99まで生きて2000年没

273 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/26(火) 23:33:48 ]
>>272
すげーな。
もっと聞かせておくれ

274 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/28(木) 00:50:09 ]
それでは・・・
おばあちゃんのうち(下町の長屋)には太平洋戦争中もでかいユニオンジャックがあった
これは、日英同盟のとき町内会で購入したもので
日の丸とぶっちがいにして家の前に飾った
大きな木綿の布なんて戦争中は貴重品だったけど
「柄が柄やから、買出しの風呂敷にも使えん」
仕方がないので、押入れで布団を包んであったそうです
みんな1945年3月の大阪大空襲で焼けた


275 名前:日本@名無史さん [2006/12/30(土) 22:32:20 ]
婆さんが子供の頃、決して刃物を使ってはいけない厳しく言われた時刻があった
(6時から7時だった気がする)。と言うのは、この時刻に何代か前の先祖が
切腹したかららしい。
なぜ切腹させられたかというと、勘定役だった先祖の部下が仕事中にうまの合わ
ない同僚を刀を抜いて切り殺したそうだ。その場にいた人たちは、先祖も含めて
クモの子散らすように逃げ出してしまった。江戸時代後期になると武士も結構軟
弱になったてたのだろう。
その士道にあるまじき行為を咎められ、上司としての部下の管理責任も問われ、
先祖は謹慎を命ぜられた。処分は近親だけだったが、それを恥じて切腹したらしい。

276 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2006/12/30(土) 23:02:19 ]
蜘蛛の子散らしたように逃げる武士たち
ちょっと微笑ましいな

277 名前:日本@名無史さん mailto:age [2007/01/04(木) 18:44:39 ]
幕末に流行った「ええじゃないか」の逸話が聞きたい

278 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/06(土) 14:29:08 ]
ええじゃないか参り うちのおばあちゃんの話
明治の終わりごろすでに年寄りだった人からの伝聞
 (at 徳島県北部)
最初はどこから始まるんかわからんのやけどな
道を行列でひとがくるらしい
おなかがすいたら、
人のうちの台所(だいどこ)に大勢で勝手に入って
そこにあるもん勝手に食べるんやて
文句ゆうたら
「ええやないか、ええやないか、なんでもええやないか」
それだけ言うて、ほかにはなんにもしゃべらへん
人数の勢いで食べたら出て行くねんて
大勢で入れる台所やから大きな家でそんなとこは
しゃないなぁ・・ってことになるらしい。
(徳島だから)船も「ええやないか」でどやどやのったら
乗せていってくれたんやて。
お伊勢さんのそばまで行ったらもう歩かれへんほどの人で
おまつりみたいやったそうな
「帰りはどうしたん?」(by孫)
さぁどうしたんやろなぁ
とにかく、返ってはきはったらしいで、四国まできたら
お遍路さんのお接待もあるさかいねぇ・・・

こんな話です。(あたしと母とで思い出した分のみ)
あんまり話が面白いのでうちではテープにとったものがあるのですが、
昔のオープンリールなので再生ができん。


279 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/06(土) 16:30:19 ]
>>278
>昔のオープンリールなので再生ができん。
それってすごく惜しい!
伝承館とか博物館とか?そういう側でも聞いて見たいんじゃないかな。
貴重だと思うよ。

280 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/06(土) 16:43:37 ]
>>278
大学かどっかの研究機関なら涎垂らすぐらい欲しいんじゃないか?それ。



281 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/07(日) 19:46:02 ]
278です
じつは私も少し関係のある分野にいるのですが
ええじゃないか参りについては曾祖母も伝聞ですので
あまり資料価値はない様に思うのです

むしろ、米騒動は彼女が実際に経験したものですし
いち庶民の事件への受け取り方の例として意味があるかもしれないとは思っていました

ちなみに、うちの父の家は商家で、米騒動のときは襲われて逃げたほう
店を閉めて表戸に筋交いを張り、
二階の物干しから裏の家の屋根に逃げたそうです
表戸はすぐに壊されたそうですが
「いつも来てくれるお客やのに、顔色が変わってた、」
「ああ○○はん・・って名前呼んでも聞こえへんみたいやった」
「引いてはまた戻ってきて波みたいになんべんも入って品物もっていった」

曾祖母は母方でこちらは米の高騰で
一ヶ月近く米櫃がほとんど空だった状態を経験してます
上に書いた鈴木商店倉庫の話はそのときのもので
「あのおっちゃんはええひとやった」
「あのときほど男が頼もしかったことはなかった」
「銃剣つけた兵隊さんもなんもせえへんかった」
「目ぇそらして見えへん振りしてたで、しゃぁなかったんやから」

これはおもしろいとおもいました




282 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/07(日) 19:48:05 ]
>>281
父方の話は父方の大叔父の話です
曾祖母と同世代 

283 名前:日本@名無史さん [2007/01/10(水) 00:59:38 ]
嫁の母親の曽祖父は、寺の坊主だったが志願して兵になり、
武士の資格を手に入れた。
戦争では鉄砲玉を身体の中に食らったまま戦い、それでも
生きて帰って来た。
そのおかげで、嫁の実家は「会津武士の末裔」をいまでも
誇りにしている。

284 名前:日本@名無史さん [2007/01/16(火) 20:57:54 ]
皆、じいちゃんばあちゃん大事にしろよ・・・

285 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/17(水) 01:51:37 ]
つい最近知ったんだけど
曾祖父が満州国の関東軍司令官だったらしい
満州かあ…

286 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/17(水) 03:49:17 ]
身バレするぞ

287 名前:日本@名無史さん [2007/01/18(木) 22:26:34 ]
貧乏の子沢山ってやつで、うちのじいちゃん、十四人兄弟の末っ子。
一番上のお兄さんとは親子くらい年が離れてたらしく
早くに両親がなくなってからは戸主になったそのお兄さんに育ててもらったんだそうな。

去年じいちゃんが90歳で亡くなって相続関係のために戸籍を取り寄せたんだけど
見てみたらなかなか面白かった。
じいちゃんは八男で、仲の良かったらしい六男の話は生前聞いたことがあったんだけど、
七男の話は聞いた事が無かった。戸籍を見てみたら七男は四歳で亡くなってたよ。

昔の戸籍は手書きで味があるね。文字が読みにくくて解読に時間かかったがw
今回初めてひいじいちゃんの名前を知ったんだが、それ以前のご先祖様についてはわからなかった。関東大震災で焼失しましたって書いてあった。残念。

288 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/18(木) 22:30:39 ]
>>287
本家や菩提寺に行ったら過去帳とかあるかもよ

289 名前:日本@名無史さん [2007/01/19(金) 01:39:14 ]
幕末から明治初期生まれのひいひいじいさんの話です。
話の時代は明治中頃から大正あたりにかけてその人は何でも秋田を拠点に材木商で相当稼いだらしい。
宮城県北部にある家は元々農民(郷士?)の家柄だけどその人がどんなつてで商人になったかは不明です。
地元にもどってからよく着流しに紋付き羽織と流行りの帽子を被って近所を堂々とあるっていたらしいです。
一時は村一つほどの土地をもっていたのに博打に手を出しおかげで没落。なんとかうちのじいさまあたりで持ち直したけど(^_^;)
しかし一だいでそこまで家をもり立てた先祖は尊敬してます!

290 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/19(金) 03:13:04 ]
着流しに羽織に 帽 子 
明治の流行だったのかな



291 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/19(金) 07:21:48 ]
明治生まれのおばあちゃんは自分の事を「俺」って言ってた


292 名前:日本@名無史さん [2007/01/19(金) 07:23:15 ]
ウチの田舎では今でも女の人も「オレ」だよ

293 名前:日本@名無史さん [2007/01/19(金) 07:57:06 ]
大正生まれの故人はとにかく物が無かった。食料の調達が
大変だったといってた。
それから、何かにつけありがたい、ありがたいと言ってた。
感謝の心は大事だね。

294 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/19(金) 15:04:20 ]
西南の役時、周りはうちの先祖の畑だった。
(元地方豪族なんで土地だけはやたらある訳で)
そりゃー畑にゃ死体や弾丸が転がって処理に苦労したそーな。
田原坂を通ると必ず金縛りに合うんだけど超迷惑(`Д´)

295 名前:日本@名無しさん mailto:sage [2007/01/19(金) 15:09:41 ]
>>290
どちらかというと大正時代に流行ったような

296 名前:山下健三 [2007/01/24(水) 03:17:01 ]
幕末の話なんてのはないけど
昔の人はすごく早死にですぐ病気にかかっては死んでいったと言うよ
じいさんの戦争中の話だったら幾度も聞いた
兵隊には小遣い以上の給料が貰えたんだって、それで好きな本やお菓子を買って
楽しみにしていたらしいよ
あと、ビルマ・シンガポール・中国を転戦して
誇らしげに語っていたな
満州の中国人は日本人とすごく仲がよくて
日本人の親切な配慮にすごく喜んでいたそうだ
別に中国や朝鮮で差別らしきものがあったとは語っていなかったな



297 名前:日本@名無史さん [2007/01/24(水) 04:24:46 ]
1 :山下健三:2007/01/23(火) 03:20:25
あの西郷隆盛が朝鮮人であることが発覚しました
西郷隆盛は島津氏が朝鮮出兵の際に日本に連行した
朝鮮人陶工の末裔です
西郷隆盛の実名は西隆といいます
西郷隆盛の写真が一枚も残っていないのは、実は
あまりにも顔が朝鮮人顔していたからでした
西郷隆盛は朝鮮人です
academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1169490025/

298 名前:日本@名無史さん [2007/01/26(金) 23:47:43 ]
>>275
興味深い話をありがとうございます。まあ、逃げた云々はさておき
切らなくなくてもよい腹を切るのは、廉恥を知るもので武士として
立派な態度でしょう
ご存知かも知れませんが、江戸城でも同じような事件がありますので
ご参考まで
ttp://homepage3.nifty.com/motokiyama/nagai/nagai28.html

299 名前:日本@名無史さん [2007/01/27(土) 08:13:42 ]
子供の時に夜に口笛を吹くと明治生まれのおばあちゃんに怒られた


300 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/27(土) 10:45:40 ]
オナニーすると婆ちゃんに起こられた



301 名前:日本@名無しさん mailto:sage [2007/01/27(土) 13:30:56 ]
>>299
♪真夜中に一人吹く 口笛を 叱ってくれる 人もなく

という歌謡曲を覚えていますが、水木しげるによりますと
妖怪を呼ぶという伝承があるからだということだそうです。

302 名前:藤原南家工藤氏34代目 [2007/01/28(日) 00:07:30 ]
こんなスレッドあったんだな、今日知ったよ。それでは俺が聞いた本物の話を。

20年ほど前に97歳で亡くなった祖母(明治25年生まれ)が、そのまた祖母から聞い
たと言っていた話。
@自分(祖母)のばあやんの頃にひどい飢饉があって(たぶん天保の大飢饉のこと)、普段な
ら普通に道端に生えているはずの草までが食べ尽くされて一本も無かったと言っていた。
A昔、大地震があって、すごい揺れのために善光寺の軒が地面についたということだ。
Bやはりその地震の時に、善光寺の裏手から大きな火柱が上がったのを見たそうだ。

今から25年ほど前に亡くなった近所のおじさんが言っていた話。
@自分の祖父が子供の頃、官軍が石村の道(今の長野市豊野町石)を通って進んで行った
のを見たそうだ。そしてしばらくすると大道橋のあたりからパンパンという鉄砲の音が
したんで、屋根に上って眺めていたと言っていた。

こういう話って、やっぱ貴重だよね。




303 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/28(日) 04:04:38 ]
みなさん、ちと情報拝借。
みなさんの爺ちゃん婆ちゃんのお名前で、ちょっと変だ?ってのありました?
誰か「ケサクマ(爺)」「ケサカメ(婆)」の意味というか由来みたいなのをご存知の方は
いらっしゃいませんか?
こんなところにごめんなさい。存命中の明治生まれの方がもしもいらっしゃったら
訊ねてもらうことってできないでしょうか・・・

よろしくお願いいたします。

304 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/28(日) 04:45:59 ]
あいかわらず日本語下手だな
どこの国の人だろう

305 名前:日本@名無史さん [2007/01/28(日) 09:54:30 ]
>>302

善光寺が大揺れした地震は、弘化四年(1847年)三月に起きた
「善光寺地震」のことと思われ

「弘化4(1847)年3月24日、善光寺を中心として起こった地震。
善光寺開帳の参詣者約6〜7,000人が地震と火災によって死亡した。 」

⇒ www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/disaster.html

曾祖母の方が見られたのはきっと吹き上がった大火の火炎だったのでしょうね。



306 名前:日本@名無史さん [2007/01/28(日) 16:50:13 ]
うちの祖父は生まれつき病弱。
太平洋戦争のとき志願したけどイランといわれてとても悲しかったそう。
祖父の弟は健康で180センチ以上の大男だったからもちろん兵隊になれた、
兵隊さんたちが行進をしてくると必ず一番前で(兵隊は背の高い順だから)祖父の自慢だったらしい。
でも南の島で戦死、遺骨は帰ってきていない。

その祖父のお父さん(この人も180以上、地元相撲では必ず勝っていた力もち)は、
日露戦争の時、敵に撃たれた味方の兵隊を助けた功績でいくつか勲章をもらっている。
助ける時に手を撃たれていて、その銃弾はずっと手に残っていたそう。


307 名前:日本@名無史さん [2007/01/28(日) 17:02:08 ]
祖母は一応武士の家系。
刀狩りの時、埋めて隠すような者がいた中、祖母の家は正直に全て出したといっていた。

武士の家系でしかも長女という事もあり、厳しくしつけられたようで、
小さい頃はあれこれ良く注意された。
筋が通っていたから不満ではなかったけど。


308 名前:日本@名無史さん [2007/01/28(日) 23:51:05 ]
武士の家系なのになんで隠さないといけないんだ?

309 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/29(月) 00:31:15 ]
ほんとだw 変だね

310 名前:日本@名無史さん [2007/01/29(月) 00:42:07 ]
>>307
恐らく、明治の廃刀令のことか。



311 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/29(月) 01:29:47 ]
廃刀令と刀狩間違って書いてるようじゃ・・・

312 名前:日本@名無史さん [2007/01/29(月) 01:48:18 ]
それまで大事にしてきた刀(身分的特権)を取り上げられる武士達にとっては、まさに「刀狩り」って
認識だったんじゃないかな?

313 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/29(月) 03:24:40 ]
武士の家系だから隠す家もあったと思うよ。
それまでの身分的特権だしね。

うちの父方の祖先は隠したんだけどね…。何でも廃刀令の時に一番大切な刀は所有する山に埋め隠し
二束三文のどうでもいい刀を届け出し、その後掘り返し秘蔵してきたそうな。
だから今も本家の家にあるよ。俺の父が三男だからうちの物では無いけど。

314 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/29(月) 03:53:33 ]
刀を戦争の時に国に出さなかったの?
非国民なんじゃ

315 名前:日本@名無史さん [2007/01/29(月) 04:22:52 ]
武家の人っておでんとか食べるんだろうか

316 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/29(月) 04:57:40 ]
ガキの頃本物の焼夷弾の筒を爺様に見せてもらったことがある。
それだけ。

317 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/29(月) 17:05:02 ]
我が家は先祖代々一生童貞の家系なんだ

318 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/01/29(月) 23:49:38 ]
奇遇だな。俺んちもだよ

319 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/02/02(金) 16:34:37 ]
もう、母方も父方も祖父、祖母ともに死んでるし
もともと空襲があまりない地域に両親がいたからあまり聞く事ないけど。

父のお父さんは関東軍で父は満州生まれ。

お父さん(祖父)は生粋の職業軍人で最後は少佐。
前線に出ない部隊にいたけど、最後は病死でした。
お父さんの出身地の名士には名前が載ってます。

どこの家にもあるんだろうけど、遺留品がたくさん。
満州の女優さんと撮ったらしき写真。処刑した人の写真(´Д⊂
勲章、短刀、杯など。

の妻の祖母は戦争中でもいい暮らししてたらしく
おうちにマヨネーズとかあったそうな。(戦後かも知れん)

母方のお父さん(祖父)はどうやら兵役審査で落とされた様子
(もしかして、長男だったらというのもあるかもしれないが)
村で一人だけバイクを所有し、珍走団してたそうなwww

そのほかの親戚の男子達は殆ど南方で戦死。

父のおかあさんは俗にいう「はいからさん」でその後
粋な姉御風でキセルでタバコを吸い、父達を良く叱り飛ばしてたそう。

320 名前:日本@名無史さん [2007/02/06(火) 01:19:26 ]
 



321 名前:日本@名無史さん [2007/02/06(火) 01:58:05 ]
>>262
後漢書には次のように書かれている。
安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見

これを素直に読むと、倭国王帥升等が生口160任を献じ、請見を願う、
となる。
どうして帥升自身が行ってはいけないのかその理由のほうが聞きたい。

322 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/02/06(火) 04:01:16 ]
どこの誤爆だよw

323 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/02/06(火) 18:23:25 ]
12年くらい前にいた会社(小さい海運会社)の社長(当時70代)が
226事件の時に出兵してたそうだ
下っ端で雪の中ずっと見張りだけしてたらしい
詳しく聞けばよかった

324 名前:家系 mailto:15代目ぐらい? [2007/02/06(火) 20:57:54 ]
うちの家は安土桃山時代から続いてるらしい、その性の本家なんだって。
確かにじいちゃんちの周りには同じ性の人達が密集してるわけだ。
じいちゃんちの蔵には天保何年って書いてある古い木のお札がいくつかあった。しかも、戦時中の軍刀があったし。メッチャ錆びてたけど。
じいちゃんの弟は満州で戦死したんだって、仏壇の前には出兵前の写真があった。確か左胸に幾つか勲章を付けてた気が…。それと先祖(じいちゃんのじいちゃんのぐらいの世代)の写真も仏壇の上に立て掛けてある。
あと逸話だと思うがあの名将、武田信玄が訪問してきたらしい。
何げに自分の家の歴史を調べるのは面白い。


325 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2007/02/06(火) 21:28:06 ]
おまえがエロいことだけはわかった

326 名前:日本@名無史さん [2007/02/06(火) 22:31:34 ]
>>324
性の本家!

327 名前:日本@名無史さん [2007/02/06(火) 23:13:48 ]
同じ性の人達が密集してるわけだ

328 名前:日本@名無史さん [2007/02/06(火) 23:14:27 ]
西郷隆盛がイモを喰って死んだという説は割と流布してたらしいw

329 名前:日本@名無史さん [2007/02/15(木) 10:45:38 ]
>>328
良スレなのに!

330 名前: mailto:sage [2007/02/15(木) 11:25:47 ]
俺のひいじいさん 日露戦争で工兵だったんだけど 戦争の時は 倒れてうめいている兵隊の上を踏んづけて進まないといけなかったらしい 何の戦いか分かりませんが



331 名前:日本@名無史さん [2007/02/18(日) 19:52:19 ]
age

流行ってないから

332 名前:日本@名無史さん [2007/02/18(日) 20:52:25 ]
≫144






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