- 1 名前:悩む名無し [2006/01/27(金) 06:19:07 ID:+j+6rN0H.net]
- 生まれたとき680g、早産でした。現在中二の男の子です。
身体的には障害がありません。知的障害も多少あります。療育手帳は「B」 出来る所と出来ない所の差が激しいのです。 正直、今まで探究心から色々な物を壊され無くされ・・・兄弟もうんざりしてます。 長所短所はさまざまですが、ADHDと診断された子供の数はまだまだ少ないのが現状です。 そうです、診断されていないだけで、推定ですがクラスに1人以上ADHDの子がいると言われています。 じっと出来ない・・・すぐキレてしまう・・・ 自分の好きなことには何時間でも集中できるが興味が無いと教室を出て行ってしまう・・・ 何か一つ普通より優れている面がある・・・などなど まだ認知度が少ない障害ですが そんなお子さんを育ててる方、是非、意見交換しませんか?
- 149 名前:116-118の作者 mailto:sage [2006/10/01(日) 14:14:54 ID:q66vxxfE.net]
- >96-100ですが
肝に銘じておいてほしいことがあります。 事の善悪というものは、自分がどちらに感情移入してるかによってどうとでも変わってきます。 俺は障害者(便宜上、慢性疾患や障害のフシがあるものも含む)と接して嫌な思いをしてきました。 だから、あなたはADHD児の親であるがゆえにそちらに感情移入しているように、俺は障害者によって負担を蒙った周囲の人間に感情移入します。 負担の例として……。 human5.2ch.net/test/read.cgi/handicap/1129649300/604 human5.2ch.net/test/read.cgi/handicap/1112194092/906 これに加え、小学校時代は近所に住む知的障害児との交友関係を強要されました。 終始よだれを垂れ流してるため生理的に受け入れられず、一緒に食事する羽目になったときは吐きそうになりました。 どんなに遊び方を説明しても数分後には拭い去ったように忘れられてうんざりする、しまいには「ドラゴンクエスト3」で幸せの靴を手に入れたセーブデータを消されました。 自分の時間を潰され、他にもたくさんの宝物を壊されました。 でも、大目に見れないこっちが悪いと見なされ双方の親に責められました。 学校では給食の熱いスープを隣の子にかけて火傷させたりペンのインクをこぼしたりするトラブルが頻発する子がいた。 本人に問いただしてもきょとんとしていて、何でそうなったのか本人もわかってない様子。 (これだけでADHDと判断するのは短絡的だが) 虚弱体質によるものか非常に無気力な女子がいて、授業中に先生に当てられてもひたすらに沈黙、ソレによる授業の停滞は馬鹿にならないものだった。(発達障害のひとつらしい) 給食を食べるのも極端に遅く、さっさとご馳走様宣言をして残すわけでもなく、食べもせずぐちゃぐちゃとかき回すだけ。 非常に迷惑でありクラスメイトの不満が募る一方だったが、体が弱いのだから仕方ないという(体が弱いことがなぜそういう問題行動につながるのか不明だが)先生の通達により、彼女に文句を言うことは許されなかった。 当事の俺は彼女と同じ班の班長で、班員が問題行動を起こせば注意する義務を持っていたため、本人に言うに言えないクラスメイトの不満は俺に集中した。 虚弱であるから仕方ないとするのか、そうやって甘やかすからいけないのか、統一見解がないため、注意すればイジメと見なされ、放置すれば迷惑蒙ったクラスメイトから文句を言われた。 この件では、将来を見据えて一生懸命勉強したい人と授業が潰れてラッキーと思う人、さっさと給食終えて遊びに行きたい人とそうでない人との温度差も大きく、クラス内ではひどい軋轢を生んだ。 あと、俺は奇形児でありそのことで苛められたことがある。 加害者の中には、はっきりとした嫌がらせではなく、無神経にズケズケと形が変であることを指摘する人がいた。何度も何度も。 やめてと言ってもちっとも態度は改まらず、先生は「可哀想な子なんだから」と、俺に泣き寝入りを強要してきた。 ADHDではないが発達障害の症状である他人の心を察したり相手を思いやることの困難、こだわりなどが、肉体的欠陥に対する侮辱を繰り返すという行為に向かった可能性がある。 そういう障害であることを教師は「可哀想な子」と婉曲的に伝えていたのかもしれない。 はっきりと障害のせいとは説明されてはおらず俺の憶測であるケースがほとんどだが、発達障害の諸症状が重大なトラブルにつながる可能性は否定できないと思います。 少なくとも俺にとっては重大な問題だった。 >どこらへんに身勝手なものを感じられたのでしょうか? >決して、ADHDを免罪符扱いせよという趣旨ではないことを申し上げたいです。 作品を晒すなら、あとがきの重要な部分も書いたほうがいいでしょう。 少なくとも俺は、晒された本文からは自己正当化に明け暮れる身勝手な障害児やその取り巻きという印象しか感じませんでした。 「おかあさん ほんとうに よく がんばってきましたね」 この言葉は、こうたに迷惑をかけられている教師やクラスメイトにこそかけられるべきではないでしょうか。
- 150 名前:116-118の作者 mailto:sage [2006/10/01(日) 14:15:36 ID:q66vxxfE.net]
- >なにか実体験に基づいての事なのでしょうか?
作中でも書きましたが、人それぞれいろいろなものを背負っています。 でもたいていの人は周囲に過剰な配慮は要求せず、うまく折り合いをつけて周囲と調和して暮らしています。 その背負ったものがたまたま障害に分類されてるからって優遇されていいわけがないでしょう。 作中では「こうた」が引き起こすトラブルがどうも軽いものに捕らえられがちなので、クラスメイトがどんなものを背負ってるかを描き、こうたや保護者にとっては大したことないように感じるトラブルも相手にとってはとんでもない被害である可能性を示唆してみました。 でも おれがぐあいわるくなったら かあさんは しごとを やすんで おれをむかえにこなくてはならない かいしゃのなかまにも めいわくがかかる 障害から離れますが、子を持つ女性が職場から敬遠される場合があり、その理由がコレです。 自分の子の面倒というプライベートな事情を職場という公の場に持ち込む可能性が高い、母親としては正しいでしょうが営利を求める企業の一員としては問題です。 更に言うなら、「子供を持ってみればわかる」「子供がいない人間にはわからない」、こう言って、異なる立場からの異論に耳を貸さなくなっている場合があります。 これでは社会から受け入れられなくても仕方ないと思います。 障害者やその取り巻きにもいえることではないでしょうか? >ADHDの特徴を知り、対処の仕方を知れば本人ばかりか周囲にとってもメリットがあるということですよ。 そうですね、ソレはわかります。ただし、 >その対処の仕方が、簡単に言えば「励ます」「褒める」「ありがとうを言う」なんですよ。 これを、害を及ぼした側が害を蒙った側に要求するのが身勝手だと思うんです。そういうことも含めて書いたつもりなのですが。 特に、絵を描くのを邪魔されたさとるくんや暴行を受けたりえちゃんに、さらに加害者に対し寛容になれと要求するのは酷ではないでしょうか。 >「こうた」が皆とうまくやっていけるようになったかが簡単にしか書いていないので分かり辛いかもしれませんが(絵本ですからね)。 >あなたの作品は後半部分に相当の悪意というかADHDに対する恨みのようなものを感じましたが 障害者(特に知的障害者)の問題について話すと、「障害なんだから仕方ない」「好きで障害者になったわけじゃない」「健常者にも迷惑な奴はいる、むしろ健常者のほうが迷惑で犯罪起こす奴は多い」などと言い逃れする人がいます。 そういう人への皮肉として、保安基準を満たさない危険な車で公道を走る事を正当化する身勝手な人を登場させました。 もしあなたが交通事故に遭ったとき、加害者が作中にあるような言い逃れをしたら許せますか? 『オチツケ』ではさとるくんやりえちゃんという被害者についてのフォローはないまま、こうたは自分は悪い子じゃないんだなどと言ってるのだからADHDを免罪符にしてるとしか思えないのです。こうたは自分が犯した罪と向き合っていないのですから。 こうたが皆とうまくやっていけてるとありますが、俺は自分の経験から、泣き寝入りを強要されている人の存在を考えずにはいられないのです。 さとるくんやりえちゃんは、まさにそういう立場に立たされてるのではないでしょうか? ADHDに限らず、障害について理解を求める人たちの主張には周囲に対する負担を詫びる姿勢が欠けていると思います。 それどころか障害の害という字をひらがな表記にしたり障害は個性だのと言い出したり、こういう欺瞞に満ちた態度は非常に不愉快です。
|
|