- 181 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2021/12/05(日) 21:03:15.65 ID:vrpPWZ4+.net]
- 瀬古利彦氏、福岡国際マラソン終了に感慨「私の歴史がなくなるよう」
2021年12月5日 19時39分 写真:産経新聞 https://news.livedoor.com/lite/topics_detail/21305028/ ざっくり言うと 福岡国際マラソンで4回の優勝を果たした日本陸連の瀬古利彦氏 大会終了を受けて、「私の歴史がなくなるよう」と寂しがった 「福岡国際がなければ男子マラソンの強化はなかった」と惜しんだ 瀬古氏、福岡国際終了に感慨「私の歴史がなくなるよう」 2021年12月5日 19時39分 https://www.sankei.com/article/20211205-TZU44Q5T4JOWFDWBXGHE3R5YQI/ https://www.sankei.com/resizer/xoDsS7M_vtXK5PCD96ownb_6n-U=/0x1200/filters:focal(683x329:693x339)/cloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com/sankei/7QLIQP3CDRPYFDBR5SEIWFTK2Y.jpg 第33回福岡国際マラソンで競り合いを制し優勝した瀬古利彦と、宗猛、宗茂(左から)=1979年12月、平和台陸上競技場 5日で最後の開催となった福岡国際マラソンをひときわ感慨深げに見つめていたのが、日本陸連の瀬古利彦副会長だった。 過去に5回出場し、3連覇を含む4回の優勝。「私の歴史がなくなるよう」と寂しがった。 一番印象に残っている大会に挙げたのは、1979年の第33回大会。宗茂、宗猛(ともに旭化成)との三つどもえの争いを残り200メートルでのスパートで制した。「まだマラソン選手として確立していなかった時期。福岡国際で勝ち方を学んだ」と振り返った。 宗猛氏(現・旭化成総監督)も「自分にとっては、その年の世界一を決めるような位置付けだった」と話した。75回の歴史の中で世界記録が2回誕生し、近年も日本人選手にとっては、五輪や世界選手権の代表選考会として世界の強豪に挑戦する舞台だった。瀬古氏は「福岡国際がなければ男子マラソンの強化はなかった」と大会終了を惜しんだ。 (丸山和郎)
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