- 814 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/09/02(日) 18:49:34 ID:+g+R4ing]
- >>781
古墳期に形質的に渡来系が増えたように見えるトリックは単に墓制が 大きく変わり、より一層人骨の保存状態が向上したからであって、 これは甕棺墓が急速に普及した弥生前期末の九州北部にも同様の事が言え、 それ以降、渡来形質の人骨の出土は急増していきます。 しかし彼らが入ってきたのは土器の移り変わりで見ても弥生前期末とは 考えにくく、やはり縄文から弥生の変遷期と考えざるを得ないでしょう。 ツンギーテとシニーデの明確な区分は私も顔面平坦度で正しいと 考えていますが、耳垢の頻度のデータはシベリアがやはり抜けています のであまり参考にしない方がいいでしょう。 黄河文明が西アジアの影響も受けているというのは間違いないでしょうが、 近年、黄河流域から9000年以上前の彩陶文化以前の遺跡が見つかり始めて いるのでまだ簡単に速断はできる段階ではないでしょう。
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