1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2005/06/03(金) 00:23:54 ID:0o/sM63K] YAP+遺伝子をもっているのは東アジアでは日本人とチベット人だけ GM血液型遺伝子もそっくり YAP recon.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img-box/img20040907115249.jpg GM www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
661 名前:白馬青牛 [2007/08/05(日) 22:31:16 ID:XJShF0E3] >>658 「漢委奴国王」の印から、倭は漢に隷属し、同時代の雲南のチベット・ ビルマ系の?(テン)国の「?王之印」に漢の字が付いてないんと 違います。産業も乏しく、独立心もない、漢に生口を献上する他ない 漢から見たら奴隷民でしょう。 神話でも海姫のトヨタマ姫が、山幸彦の子を海中で産まず、夫の陸上で 産んでおるのも、北方民族の習慣ですよ。天皇家の系譜についても、 崇神・応仁・継体期の系譜か解りませんし、系譜など、後世の徳阿弥の子孫 徳川氏が、藤原氏を名乗って、後に新田流源氏を名乗るようええ加減な もので、天皇家も、確率上、土着民の可能性は低いんです。 世界的にも、在地勢力が上位じゃった例など知りません。同じ島国の 英国でも、支配層は渡来したアングロ・サクソンで、在地勢力のケルト系は 山間部や辺境に追いやられました。日本列島でも、在地勢力は、中央から 追いやられたんは、形質人類学からも、そう云えます。 縄文系在地人が、海外に雄飛ならば、ケルト系がヨーロッパ大陸に、 進出した云う夢物語になります。 >>660 北方系の無文土器人が、韓人の支石墓人と同一ではあるまい。 甕棺墓は華北起源の可能性が強いが、半島南部の伽耶地域〜九州東北部に 集中しとる。甕棺墓人が本来の新モンゴロイド系倭人文化じゃろうか。 支石墓が、朝鮮西岸〜九州西部におった縄文的形質人との違いじゃろうか。 2000年前、シベリア寒冷地帯は充分北方新モンゴロイド化しとったよ。
662 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/05(日) 22:54:04 ID:4SNjc8wF] 神話エリック、シンヘソンw 朝鮮www
663 名前:月光仮面 [2007/08/06(月) 08:33:19 ID:38oxKsTr] >>661 >「漢委奴国王」の印から、倭は漢に隷属し、同時代の雲南のチベット・ >ビルマ系の?(テン)国の「?王之印」に漢の字が付いてないんと >違います。産業も乏しく、独立心もない、漢に生口を献上する他ない >漢から見たら奴隷民でしょう。 渡来人であり、漢と通交していた。海岸から取り付き、鹿狩り乃至は鹿の 牧畜を専らとし、石段建設が得意であった。参考ですが、豊前求菩提山↓ www.city.buzen.fukuoka.jp/minwa/minwa-2/oninoabumi.htm 男鹿半島五社堂には彼らが石段を築いた記録 ↓ www.oganavi.com/data/037.htm 「昔、この島にはたくさん鹿がいて、鹿の角1万本を納めた鹿角堂(しかつ のどう)があります。」↓ www.fuku-c.ed.jp/schoolhp/jhsika/gosinkosai.htm >神話でも海姫のトヨタマ姫が、山幸彦の子を海中で産まず、夫の陸上で >産んでおるのも、北方民族の習慣ですよ。 その通りでしょう。が、これは渡来倭人は縄文人ではなかったということを物語り、 金印を受領した志賀島の主は倭人であった、つまり、その1000年も前から列島 穀倉地帯を支配している縄文・中国系農民層が列島の主体であったと考えられ ます。 >天皇家の系譜についても、崇神・応仁・継体期の系譜か解りませんし、 >系譜など、後世の徳阿弥の子孫徳川氏が、藤原氏を名乗って、後に新田流源氏を >名乗るようええ加減なもので、天皇家も、確率上、土着民の可能性は低いんです。 既述の通り、倭人が天皇になれる確率は低いと思うんですが。 >世界的にも、在地勢力が上位じゃった例など知りません。同じ島国の >英国でも、支配層は渡来したアングロ・サクソンで、在地勢力のケルト系は山間部や >辺境に追いやられました。日本列島でも、在地勢力は、中央から追いやられたんは、 >形質人類学からも、そう云えます。縄文系在地人が、海外に雄飛ならば、ケルト系が >ヨーロッパ大陸に、進出した云う夢物語になります。 スコットランド、アイルランドは負けん気強いですよ。
664 名前:月光仮面 [2007/08/06(月) 08:52:52 ID:38oxKsTr] 「紀元前1世紀の日本 夫れ楽浪海中に倭人あり、分れて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ。 (出典:「漢書」地理志)」 www.geocities.co.jp/Berkeley/9457/shiryou/text/kanjo.html
665 名前:月光仮面 [2007/08/06(月) 09:37:54 ID:38oxKsTr] >>663 www.occh.or.jp/kokomade/kokomade-ya/kokomade-ya.html 「弥生終末−交易拠点の乱立 弥生終末になりますと,瀬戸内や大阪湾岸で三韓土器の形を持つ在地産土器がみら れ,特に大阪府の久宝寺遺跡などには渡来人が居住した可能性が高いようです。 日本海側でも島根半島での三韓土器の出土が知られております。これは,三韓の 人たちの側の変化というよりも,西日本各地で,いろいろな人が,いろいろな場所で, いろいろな相手と,盛んに交易をするようになったため,西日本各地の倭人が三韓の に直接会ったり,あるいはそうした交易ルートをたどって三韓の人が西日本の各地に 赴く機会があったのでしょう。」 www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2001b.html 殷の「商人」、つうか、もともと殷そのものもそうした商人の集まりから発したので しょうが、商活動こそ弥生末期の実態で、バイキング、コルテス・ピサロのような 実態ではなかったと思われますね。
666 名前:月光仮面 [2007/08/06(月) 09:45:11 ID:38oxKsTr] www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/kenkyuhokoku/031221/shiryo2.pdf 倭人はこの地図では朝鮮半島西部海岸、楽浪海中から遠く日本海男鹿半島付近 まで進出、三韓の商品と漢への献納の品々を調達する交易に従事していたのでしょう。
667 名前:月光仮面 [2007/08/06(月) 10:03:42 ID:38oxKsTr] 参考→畿内王権の成立とその前後の過程 academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1160892510/menu378-379 ここで大勢の渡来人が九州を征圧したように描かれるが、それは2千年という 歳月に耐え他人々の生存能力の結果相であり、初期状態は点と線に海岸沿いに 伸びる姿をイメージするのが妥当だと思う。
668 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/06(月) 13:22:43 ID:goFlICLr] >>660 無文土器の発祥地の特定はできないが、分布は朝鮮半島から満州、 西は遼河から東は黒龍江・松花江にまたがる地域であるので、 やはり満州のどこかなんだろう。 これに比べて支石墓は遼東半島から満州南部あたりと発祥の地域が 絞り込まれていて、そのあたりから周辺に拡散していった文化だと いう事が分かっている。 だから無文土器と支石墓を朝鮮半島にもたらしたのが 同一ではないとも言い切れない。 土器棺墓は縄文前期から日本にもあった非常に古い文化だが、 有名な弥生式の甕棺墓の登場は弥生開始から300年ほど経った 弥生前期末頃で、支石墓よりも時代的に後にあり、しかもそれまでの 土器棺墓は壺棺墓であったので、弥生式の甕棺墓は九州北部で 壺棺墓から独自に発展したものだろう。 ゆえに弥生式の甕棺墓が渡来系の文化であっても日本に渡来してから 何百年も後に生まれた文化であるので日本独自の甕棺墓文化だと言える。 それと2000年前ではなく20000年前と書いたので、ご確認のほどを。
669 名前:月光仮面 [2007/08/06(月) 14:16:25 ID:38oxKsTr] >>661 >神話でも海姫のトヨタマ姫が、山幸彦の子を海中で産まず、夫の陸上で >産んでおるのも、北方民族の習慣ですよ。 山幸、海幸共に北方民族というのは鹿児島/宮崎に多い「タンカンサー」がジンギスカン とか、ファラオのような被り物をしていることから、それらが田の神であると共に、天の神 タケリ、タギリ、テングリであったことを意味するので、神武が安芸の多祁理宮にいたこと は、神武もテングリアニズムであったことを物語るのではないかと思います。時代の流行 ですから天皇が仏教徒であってもおかしくはないのと同じことでしょう。
670 名前:XYZ [2007/08/09(木) 04:30:23 ID:LZf5nDvA] >>600 少し遅レスですみません。 はは(笑)、自己抑制が足りないと思ったのはお酒の事でしょうか、それとも 朝鮮人の事についてでしょうか…。お酒は適量であれば大丈夫そうですよ!(^^) 確かに歴史的に支那文明の影響の度合いは日本よりも朝鮮のほうが強かったのでしょうが、 ツングースからの影響の度合いも、地理的な関係からしまして朝鮮のほうが日本よりは はるかに強かったのではないでしょうか? ですからあなたの言うツングースなどの「高貴な気質」は、もしかしますと朝鮮人のほうが 強く受け継いでいるのかもしれませんよ。それに少なくとも形質的には日本人よりも 朝鮮人のほうがツングース寄りでしょう。 しかしわたしからしますと、多少の差こそありましても日本人と朝鮮人の気質など 世界の中では大した差ではないと思います。といいますか、かなり似ていますよ! 特に、群集心理から(悪い意味で)集団行動に走りやすい点などはね…。 >>606 > ・朝鮮は地理的条件から農耕に走っただけで精神面は完全に騎馬民族。 > 朝鮮人は中国人以上に気性の上下が激しく、また決断を急ごうとするのは有名。 騎馬民族の気質とは、そうした習性ですかね? わたしは違うと思います。 また、わたしはこれは“騎馬民族”の気質と言いますよりも、“狩猟(漁労)民族”や “遊牧民族”の気質と言ったほうが適当だと思います。
671 名前:白馬青牛 [2007/08/09(木) 23:03:49 ID:AZkxliRu] >>663-665 その倭人も北方習俗の卜占と抜歯の南方習俗の混合です。支配層は後背地の 縄文系でなく、港市の漢人や渡来系倭人でしょう。 他に英国の土着系のウェィルズ人も北海道のアイヌ人も負けん気は強いで しょう。瀬戸内地方が北方モンゴロイド化するんが、古墳期以降で、 現地民との交易が主で弥生末には列島人口移動もさほど多くなく、4世紀の 寒冷化世界的民族移動期から列島へも多くの人達が移住したと云えます。 >>666-667 倭人が男鹿まで進出したかどうか?弥生期の東北は縄文系じゃと思います。 現代の領域国家の面の支配と違い、点と線の拠点支配は同意です。 >>669 神武帝が実存したかどうか解りませんし、記述の出来た時代の瀬戸内の 交流を表しておるだけです。
672 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/09(木) 23:46:09 ID:bgSgm/7V] 抜歯は南方習俗も糞もない。 抜歯は世界中の原始社会で見られる。 日本では先土器時代から行われ、風習としては4000年前頃に 仙台湾周辺で始まる。 支配層に漢人などいない。 当時の漢人の定着を示す灰陶、特に当時の中国土器の進んだ器形、 瓦屋根、様々な楽器類、金銀細工や金銀メッキ、漢字、龍信仰、 漢人の衣類、ただの1つも伝わっていない。 あるのは宝器として輸入された楽浪遺物だけ。 4Cに列島へも多くの人達が移住したと言えるような土器文化や 金属器文化も服飾文化も無い。 伝わっているのは百済にあった朝鮮陶質土器とその器種と服飾文化だけ。
673 名前:白馬青牛 [2007/08/09(木) 23:52:18 ID:AZkxliRu] >>670 自己抑制、自制心が足りんのはわし自身のことです。酒が適量であるか どうかは個人的判断からの感想です。地理的に近いだけで、ツングースの 影響が朝鮮のほうが日本人よりははるかに強かったとは云えんでしょう。 韓語より高句麗語の方が数詞の一致など、日本語に近く、容貌も南部の 朝鮮人より北部朝鮮人に近く、それ以上に満洲族がより日本人に近いと 江上波夫氏も云われますが、わし自身も同じ感想です。 HLAのB44−DR−13が韓国に多くより北方の中国朝鮮族に少なく、 西日本より北陸・東海で多いよう地域的な違いもあり、近接地が、 言語・習俗・民族が近いとは、必ずしも云えんのじゃないかと思います。 チベット人でも遊牧地帯のカムバ(チベット東部、四川省西部つまり 西康省)やアムド(青海省)のタングート達と農耕地帯のチベット中部人は 気質が違います。>>312 や>>315 でも多少書きましたが西川氏の見解では、 農耕地帯の中部チベット人が朝鮮人の気質を持っているに対し、 遊牧・狩猟地帯の西康人の性格は日本人によく似ているとされます。
674 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/10(金) 00:23:45 ID:/ilr+A7t] ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=89129 DNAで半島と日本が全く別系統であることが判明して喜ぶ日本人、 なぜか火病る朝鮮人。あれだけ罵る日本となぜ同じでありたいのだろうかw
675 名前:白馬青牛 [2007/08/10(金) 00:47:36 ID:fCQqXNYq] >>670 補足として、ツングースの自制心の強い、嘘を吐く人物を嫌う特質と、 「奇数で序列組織を作り、階級を付けて団結し、経歴に嘘を半分以上 まぜて説明する。そして皆がそれを真面目に聞き、押しの強そうな者から 兄貴分になあて序列を決める」朝鮮人の気質は違うと思います。 日本人も上層部の政治家らは嘘吐きですし、権力に弱い、逆に権力に 近ずくと居丈高になる日本人と朝鮮人は似た部分が多いんはその通りです。 農耕民は自分の土地に労働投資しておるゆえ、支配者に対しても鬱々と 気持ちから、我慢しながら恨の精神を持つが、遊牧民の場合、支配者が 気に入らんのなら、さっさと他所へ行くと、為政者側からの支配の 度合いが違います。遊牧民同士や農耕民同士でも気質が違うことは、 「蒙古人(モンゴル人)の家畜のラクダの温なしいが小心な性質は、 蒙古人を表し、タングート人(青海遊牧チベット系)の家畜ヤクの、 精力的で獰猛な性格はタングート人の性格となり、ロバの疲れを知らぬ 辛抱強い性質が、漢人の性質で、意地の悪いラバの性質が、回教徒の 性質となっている。」と、西川一三氏は云われます。 移動性が強く、獲物を平等に分ける山分け精神は、狩猟・漁撈民や 遊牧民に強く、農耕民のある人が土地を広げると、他の人が その分だけ土地を減らす現象と違います。
676 名前:白馬青牛 [2007/08/10(金) 01:20:09 ID:fCQqXNYq] >>672 抜歯がシベリアで一般的じゃった根拠が無く、東南アジア〜オセアニアの 習俗じゃろう。倭が生口を献上したんに支配層に漢人はおらんなど 妄想じゃ。4世紀以降の風習の埴輪に現れる胡服・筒袖と前時代と 民族が違う。 日本だけが、4世紀前後の世界的な北方民族の移動期から例外云うんは 排外鎖国主義じゃろう。 >>674 DNAでもHLAでも、日本人と韓国人は近く、DNAでは、本土日本人は 沖縄人より韓国人に近いのに今更何を云わんじゃ。彫りの深い顔の日本人を 挙げよるwakatakeruは白人崇拝のこの板の常連のアイヌ君と同一人物か? YAP+の多いチベット人やモンゴル系土族の何処が彫りが深いん じゃろうか?ニューヨークタイムズに採り上げられた嫌韓厨の アジア蔑視で白人に奴隷根性を持った者の典型じゃろう。 毎度日本人の恥を晒しょうるのう。
677 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/10(金) 01:56:14 ID:EAbt1sgK] ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=89129 DNAで半島と日本が全く別系統であることが判明して喜ぶ日本人、 なぜか火病る朝鮮人。あれだけ罵る日本となぜ同じでありたいのだろうかw
678 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/10(金) 21:25:14 ID:ImfUvP8A] 抜歯の儀式は、現在でもアフリカ、東南アジア、オーストラリアの 一部の民族に残っているために、まるで東南アジア〜オセアニアだけの 特産物かのように吹聴してくる人を稀に見かけますが、 世界の狩猟採集民族のなかでは抜歯は比較的あたりまえに行われていて、 それほど奇習というわけではないのですよ。 むしろ先土器時代から抜歯が見られる日本こそ風習としての抜歯の 起源だった可能性も高いのではないでしょうか。 それと生口を献上したら支配層に漢人がいなければならないという 論調の方がおかしいでしょうね。 支配層として漢人なんて高等人類が支配定着していたのなら、 漢字の伝来や竈の伝来が数百年も早まってしまうだろうね。 魏の服飾や魏の料理や酒の作り方や酒器なんかも伝わったであろう。 豚や鶏やアヒルを家畜とする事もな。
679 名前:XYZ [2007/08/11(土) 03:49:37 ID:SsNf7dIg] >>673 ,>>675 なるほど。確かに地理的な関係と民族的な関係が必ずしも一致するわけでは ありませんよね。 しかし、それにしましてもその西川さんなどの東アジア人に対する見方が 現実を正確に捉えた見方かどうかは、わたしには疑問です。 第三者的な立場の人の見解でしたらともかく、多くの人はとかく自分が属する 集団の事を良いように解釈しがちです。その話もこうした感じ…。 そのラバと回教徒の関係に対しての描写もそうです。日本人の中にはその政治体制や 慣習の違いからか、アメリカやユアラップなどに“不用意に”迎合し、 アラビア人をはじめとしたイスラム文化圏に住む人々に対する偏見や差別意識を 持った人々が少なくありません。もし今までわたし達が話してきましたように 狩猟民族や遊牧民族の精神性が優れているのでありましたら、イスラム圏の人々は その大部分が近年までは遊牧民族なわけでして、そうしますとその回教徒に対する 見解はおかしいのではないでしょうか? ちなみにあなたは知っているかもしれませんが、支那におきましてもイスラム教徒の多い ウイグル地方の人々は、日本の沖縄のように長寿の人々が多い地域として 有名なのだそうです。
680 名前:月光仮面 [2007/08/11(土) 06:55:00 ID:BwpigGr4] >>671 ありがとうごじます。 神武なしで「8時だよ!全員集合」では具合が悪い。確度の低い情報の人物には 年齢にオッズを加算してでも架上しないことには大和は九州の反乱軍が独立した かの形となる・・・こんな考えもあったのでしょうか。
681 名前:白馬青牛 [2007/08/12(日) 01:48:49 ID:N2plRijq] >>678 ほいで、シベリアにおいて、抜歯が一般化しとったんなら、例は 何ですか。抜歯が日本起源云う根拠も何処に伝わったんか例も知りたい ものです。列島の港市にゃあ漢人商人もおったと考える方が自然でしょう。 奴隷供給者や需要者がおることも、交易には必要じゃないですか。 豚の骨は吉野ヶ里でも出土しとります。 >>679 西川氏が特務機関の日本側のスパイであったことは、考慮して考える必要も ありますが、現地民と起居を共にした記録と云う面で各民族の性質を 知りつくした人でもあります。西川氏は、インド人の同じ東洋の民と 親しみを持っておられます。むしろアジアを破壊した西洋文明に 反対の立場の人でしょう。西川氏のイスラム圏の回教徒について、 批判的なんは、中国国府軍の青海省主席回族の将軍、馬歩芳 (後に台湾のサウジ・アラビア大使)の暴政に対する怒りもあったで しょう。「漢、回両族は自分達を文民族だと考え、タングート族を番子、 蒙古人を韃子と軽蔑視し、彼等に対してはただ圧迫征服してた」続く。
682 名前:白馬青牛 [2007/08/12(日) 02:19:01 ID:N2plRijq] >>681 の続き。「馬歩芳は武力を以て、蒙、蔵のニ族に当った。堕弱な 平和を好む蒙古人は彼に下り、散々踏みにじられ、滅亡の一途を辿って いるのであるが、タングート族は、武力を以て侵入して来る回教軍、 役人を次から次と襲撃殺戮してこれに抗した。 馬歩芳もこれには散々手を焼き、彼等の部落を焼き払い、婦女子を殺害し、 ただ武力だけの統治を計ろうとしている状態であった。 武力だけの統治政策で、果たして民族問題を解決することが出来ようか。 どうして蒙、蔵二大民族の人心を把握し、友とならないのか、 かえって深い溝を造ろうとしている。 放浪している我が身にも、日本、日本と威張るな日本。回教軍、回教軍と 威張るな回教軍。日、支、回、蒙、蔵人、少しも上下の区別のない真裸の 人間なのだ。」と、西川一三氏は書かれてます。
683 名前:白馬青牛 [2007/08/12(日) 02:48:11 ID:N2plRijq] >>679 ほいで、イスラム圏の人々の大部分が近年まで遊牧民族ではありません。 トルコ系のカザフやキルギスは遊牧民族でしたが、ウズベクやウイグルは 部族名の先祖は遊牧民ですが、生業としてはオアシス農耕民でした。 移動性の強い商業民族要素を含む農耕都市民で、中国へ移住したイスラム 教徒の末裔回族もそうです。 そうです。グルジア・フンザと共にウイグル人が長寿が多いことでも 知られてますね。 >>680 神武があっても崇神・応神・継体と同一王朝とは考えておりません。 蘇我氏が天皇であったかも解りませんし、記述以前のことですから。 九州も吉備も西日本は、半独立勢力じゃったでしょう。 西日本の「君」姓が多いのに対し、王朝直属傾向の東日本は「直」姓が 多いことも関連するんじゃないでしょうか。
684 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/12(日) 03:55:17 ID:id9NqjLI] ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=89129 DNAで半島と日本が全く別系統であることが判明して喜ぶ日本人、 なぜか火病る朝鮮人。あれだけ罵る日本となぜ同じでありたいのだろうかw
685 名前:月光仮面 [2007/08/12(日) 08:46:14 ID:Pn5e//cH] >>683 >>690 記紀には聖典の面もあり、聖書のように系図を連ねています。古代においては 相当無理があるんでしょう。西日本、東日本は稲作の石高、年貢の安定性で行くと、 当時は西日本が「君」、東日本は不安定につき「君」のような大物「領主」的なものが いなかったということでしょうか。
686 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/12(日) 12:20:16 ID:sKr9qJAz] そういえば血液型も 日本・チベットは A:O:B:ABがそれぞれ 4:3:2:1だが 韓国・中国では 3:3:3:1なんだよな。
687 名前:XYZ [2007/08/13(月) 03:49:49 ID:42oqA2Zg] >>681-683 へ〜なるほど…。 「回族」も結構な圧政者としての歴史があるのですね。 ということは、もしかしますと回族もオアシス“農耕民”でありましたが為に モンゴル族やチベット族に対し強圧的な方策を採ったのかもしれませんね…。 また、わたしもフンザの人々が長寿だといいますのは聞いた事がありましたが、 グルジアは初耳です。 話を戻しまして、余談になりますが先の「イスラム圏の人々」についてなのですが 現在のエジプトやイラク、そして中央アジアやそのウイグル地方なども昔は現在よりも ずっと緑が豊かで“農耕”もよく行われていたそうですが、その影響からかある時期から 土地が乾燥化し、それに変わり“遊牧”生活がその地域の人々の主流となった、 という話を以前わたしは聞いた事がありまして、そこでわたしは尋ねたいのです。 これらの地域では実際 農耕民→遊牧民 という変化が起きたのか、 あるいはその農耕民達は別の土地に移り住み他の地域から遊牧民達がやって来て 彼らととって変わったのか、いったいどちらなのですか? 世界史的な話題ですみませんがよかったら教授願います。
688 名前:XYZ mailto:sage [2007/08/13(月) 06:22:29 ID:42oqA2Zg] >>687 《誤字訂正》 ×とって変わった ○取って代わった
689 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/13(月) 06:51:28 ID:gMsymwC5] 朝鮮人と南方人は同レベル 中華の奴隷、朝鮮人の奴隷。 そして、劣等民族が日本人にした最悪の仕打ちの数々。 皆殺しにしましょう。
690 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/13(月) 07:07:34 ID:gMsymwC5] 落ちこぼれの南方土人・朝鮮人は日本の土を踏むな、日本人のふりをするなwww お前みたいなゲロは焼身自殺しろ。じゃなきゃ俺が処刑して山中に埋める。
691 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/14(火) 00:53:35 ID:fHInD4z3] 日本人はタミルから来たのですか
692 名前:白馬青牛 [2007/08/14(火) 01:04:24 ID:GSVMA871] >>685 東国の貴種流離を権威とした伝統は、頼朝等鎌倉幕府にも受け継がれる 伝統です。豪族の大小より、その土地柄の社会制度の問題でもあります。
693 名前:白馬青牛 [2007/08/14(火) 01:37:46 ID:GSVMA871] >>687 現在も昔もエジプトやイラク、ウイグルの住民のほとんどは、農耕民か 都市民です。緑が豊かであった時代とはいつの時代のことか解りませんが、 農耕民が天幕で生活する遊牧民に簡単になれるんでしょうか? オアシス農耕民の土地が乾燥し枯れたら、他地域に移住しオアシスを また造るだけです。家畜飼育の農耕民から遊牧しか出来ない土地で、 遊牧専業化したのは事実ですが、歴史時代では逆で、遊牧民が農耕民になる んは、その土地を支配するか、同化した時に顕著なことです。 例えば蒙古セレンゲ川地方で遊牧生活をしたウイグル族が、今の 新疆ウイグル自治区の現地民アーリア系語族住民を支配し、トルコ系語族に 同化させても、生活様式は現地民と同じオアシス民になったように。 世界史的には同じイラン系でもペルシャ人は農耕民、スキタイ人は遊牧民に なります。山岳地域の半農半牧民は区分に難しいですが。 西アジアは乳利用文化圏なので、誤解を招き易いのですが、農耕民が、 羊を放牧しても農業を基盤に定住しておる限り、天幕生活の 遊牧民では無く、農耕民です。 ほいで誤字脱字はわしなんかしょっちゅうです。>>681 の「文民族」は ×で、○は、『漢、回両族は自分達を「文化民族」だと考え』です。
694 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/14(火) 02:04:55 ID:U93p8+EB] >>686 www.geocities.jp/kamuiluke/essay/bloodgroups-w.html チベットはもっとA型、AB型が多い '36 チベット O型15% A型47% B型15% AB型24%
695 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/14(火) 08:49:16 ID:jQSHmzCg] 日本人にO型が多いのは 東南アジアの血だろ
696 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/14(火) 16:15:26 ID:Jg5InZ5g] 日本 O型31% A型38% B型22% AB型9% チベット O型30% A型37% B型24% AB型9% ネパール O型37% A型30% B型24% AB型9% 中国華南 O型44% A型27% B型23% AB型6% ttp://homepage2.nifty.com/tabbycats/blood/world.htm
697 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/15(水) 01:06:00 ID:DJJOiDX4] >>681 では聞きますが、日本では風習としての抜歯はBC20C頃の仙台湾あたりから 始まり、広がっていく訳ですが、江南、東南アジア、オセアニア、アフリカ などの南方において、日本よりも古い風習としての抜歯はあるんですか? それが日本こそ風習としての抜歯の起源地だった可能性も高いという 根拠です。 抜歯は南西諸島や琉球の古代人骨にも確認でき、台湾にも見られるという 事ですので、むしろ日本から琉球経由で華南に伝わり、南北に拡散して いったのではないでしょうか。 それに何でその3C三国志時代の漢人商人たちは最大の交易品になるべき 当時の中国の鉛釉陶や青磁の灰釉双耳壺や緑釉獣環壺や青磁四耳壺なんかを 一切持ち込んでいないのでしょうか? そんな商才のない商人は商人としては失格ですね。
698 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/15(水) 01:14:07 ID:4iMPdpq7] 最近の調査に基づく、日本人チベット人の血液型分布はほとんど同じだな
699 名前:XYZ [2007/08/15(水) 05:33:18 ID:1qa6HWmQ] >>693 はは(笑)。大丈夫です、わたしはそれはすっかり“文化的な民族”の事だと 思って読みましたから。そのような言い方もあるのかと…。 「イスラム圏の人々」の解説、どうもありがとうございました。そして抽象的な 時代設定で質問してしまい、すみませんでした。わたしもこの話は他人から小耳に 挟んだ程度ですので詳しい時代を挙げる事が出来ないのですが、現在は乾燥しています レバノン付近にも昔は“レバノン杉”と呼ばれる杉の木が沢山生えていたらしいですし、 現在の支那西部の砂漠地帯も昔は広範にオアシスが広がっていて都市文明の形跡がある ですとか…。またサハラ砂漠の方面もそうでしたとか…。まぁ中途半端な知識ですから、 わたしもこれ以上の発言は控えたいと思います。 しかし今回のあなたの解説でわたしも随分と勉強させてもらいました。わたしも、 > 農耕民が天幕で生活する遊牧民に簡単になれるんでしょうか? と同様の疑問を持っていましたので、それがそれなりに解けましたような…。 流石にそれは難しいですよね!? また、厳密にはその二者の境界も難しいところが ある、という事のようですね…。 本当にありがとうございました。
700 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/16(木) 00:14:06 ID:YpPdItcJ] NHKで「五木寛之のブータン探訪」が始まった♪
701 名前:白馬青牛 [2007/08/16(木) 22:41:03 ID:N6EY7nll] >>697 山東省や江南の江蘇省の大?(モン)口文化の方が古いでしょう。 島国の日本は、起源の国ではなく、大陸や半島の文化を受容した国です。 漢人商人にとって、奴隷民の倭人などに最大の交易品を与えるレベルに あったとも思えませんし、文化要素が他の文化に移っても、移って来た 文化は、在来文化から様々な干渉(インターフェアレンス)を受け、 変形されるか、機能せん状況となりえます。 例えば、高句麗人が多く移住した信濃や関東でも、高句麗の積石塚が あっても、牛車文化が無い。弥生期に渡来形質の墓に甕棺があっても、 土器や楼船等の大型船も無く欠落部分は出ます。 漢人商才云うより、生口(奴隷)を輸出した(列島に住んだ)倭人の 文化レベルの方が問題でしょう。
702 名前:白馬青牛 [2007/08/16(木) 23:29:50 ID:N6EY7nll] >>699 オアシス民は、砂漠化すると他地域に移住し、新しいオアシス都市を 作りますし、地域環境から移動性の強い農商民です。厳密に農耕民と 遊牧民と二元論でのみ解釈出来ん部分もあります。14世紀人の イブン=ハルドゥーン氏も『歴史序説』で、同じ農耕民でも「農産物も 畜産物も、薬味(スパイス)も果物も、豊富で生活の豊かな地域の住民は、 概して心の愚かな、身体の貧弱な人間である。薬味も良質の小麦にも 恵まれているマグリブ(現チュニジア共和国、チュニス生まれの、 イブン=ハルドゥーンの出身地)の住民と、バターも無く、もろこしと オリーブ油を主食にしているスペインの住民とを比較した場合、 スペインの住民の方が知的にも鋭敏で、身体も敏捷であり、 知識の受容性にも優れている。」 「薬味とくにバターは保健上良くないとか、肉を食べ過ぎると 有害とか、云われる反面、駱駝の乳と肉で生活している人も、辛抱強く、 忍耐力があり、都市の住民を違い身体の健全」とも、云われます。 矛盾しとるように見えますが、要は質素、簡素な生活から生まれる 自己抑制、自制心のことです。
703 名前:白馬青牛 [2007/08/17(金) 00:27:38 ID:+DueJSye] 続きですが、>>600 のサイトの2・イブン・ハルドゥーン氏の「誰にも 支配されない自由」と云うことです。「幼いときから技術や諸学問や 宗教儀礼などの教育を施そうとする支配体制に依存している人々も、 勇敢なる精神を失う。彼らは敵対行為に対して自らを守ることが 出来ない。これは読書に没頭し、教師や宗教指導者に師事して勉学し、 あるいは権威と厳粛の支配する集まりで教育に従事する学生学者の 場合である。教育教授を通じて得られる技術[の対象〕に過ぎなくなって しまい、公権威に対する恭順が人々の性格にまでなってからは、 彼らの自立的な勇気ある気風は弱まってしまった。 国家的訓育的権威が、外部から与えられるものに対し、宗教法の場合、 その抑制力は内面に生まれるものであるから、自立の気風を損ないは しない。砂漠の住民(遊牧民)は政府や教育、感化といった諸々の権力から 隔たっているので、このような状態になることはめったに無い。」 >>700 「ブータン探訪」は面白かった。自我よりもコミニュティにおける自己の 抑制にある。縁も個人的自我より、共同体全体の理解の問題でもある。
704 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 00:51:36 ID:ZYtlIqyA] >>701 風習としての抜歯の始まりを大?(モン)口文化に100歩譲るとしても、 家畜の飼育から土器の器種器形に至るまで、その他の大?(モン)口文化 の主要文化や文物が何も伝わってはおりませんよ。 やはり日本の風習としての抜歯が中国から直接伝えられたものだとは 全く考えられませんね。 朝鮮半島では抜歯の形跡のある人骨の出土がないという事なん ですが、まだ見つかっていないだけで、やはり半島経由だろうと いう事にしておく事にしますよ。 伝来した文物のその後の変化は分かりますが、伝来当初の文物の 原型は遺物としてちゃんと残るのですよ。 朝鮮半島には中国から持ち込まれた鉛釉陶の出土が楽浪郡設置以後の BC1C頃からあるのに日本にはそれが3Cになっても一切ない。 信濃には無いというだけで牛車は高句麗人が来た7Cにやはり 日本に伝わっていますし、甕棺という器種の立派な土器を作って おきながら、中国土器の焼成技術も伝えない、その他の器種器形も 一切伝えない、出土もない、そんな狐に包まれた様な話に誰が 賛同するんですか。 それで漢人商人たちは3C当時の中国の最大の交易品であった鉛釉陶を 商品とせずにいったい何を商品としていたというのですか?
705 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 00:59:17 ID:QqQSb94i] ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=89129 DNAで半島と日本が全く別系統であることが判明して喜ぶ日本人、 なぜか火病る朝鮮人。あれだけ罵る日本となぜ同じでありたいのだろうかw
706 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 18:09:56 ID:ZYtlIqyA] 抜歯は世界中の原始社会で見られるが、日本では先土器時代から行われ、 風習としては4000年前頃に仙台湾周辺で始まる。 抜歯の儀式は、世界の狩猟採集民族のなかでは、比較的あたりまえに 行われていて、それほど奇習というわけでもないのです。現在でも アフリカ、東南アジア、オーストラリアの一部の民族に残っています。 www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/kodai/kodai-64.html 原始・古代の世界中に、抜歯風習はあったという。ことに長く続いたのが、アフリカ、 中国、日本だとされてますね。中でも目立ったのが、縄文・弥生の日本列島。 www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub12..html 歯を抜いたり、歯を削り歯を飾る風習は、日本だけでなく中国、台湾、 アジア、オーストラリア、アフリカにもみられた。 www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/hakubutukan/wa_bassi/index.htm
707 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 18:10:36 ID:ZYtlIqyA] 佐倉市にある国立歴史民俗資料館の春成秀爾氏によると、抜歯そのものは 縄文時代以前の先土器時代にもあるが、風習としての抜歯は約四千年前頃に 東北地方の仙台湾周辺ではじまり、それ以後に関東地方をはじめ全国に 広がったという。国立歴史民俗資料館前館長の佐原真氏によると、こうした 抜歯は現在でも世界のいくつかの民族の間に風習として残っており、 子どもから大人になるための儀礼(成人儀礼)としての事例、近親者が 亡くなると歯を抜く事例、勝利の明かしに捕虜から歯を抜く事例などが あって、このうちも最も多いのは成人儀礼にともなう抜歯であるという。 www.jona.or.jp/~ichiyomi/rekisi/index4.html
708 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 19:02:50 ID:ZYtlIqyA] 確認しておこう。 日本における抜歯の開始は先土器時代からで中国に端を 発するものではない。 風習としての抜歯も約四千年前頃から始まっており、大?(モン)口 文化の時代とは合致しない上に、そんも始まった場所も中国との 玄関口である九州ではなく、東北地方の仙台湾周辺である事から 考えてみても、日本の風習としての抜歯は日本独自に出現したもの と考えられる。 問題は弥生前期に登場した上顎左右の側切歯を抜く大陸系の抜歯型式 なのだが、遺跡からは中国土器や中国金属器などの当時の中国の文物が全く 見当たらない上に、この抜歯型式の朝鮮半島からの報告も無い。 ここから考えられるのは以下の2つ。 @やはり朝鮮半島経由で伝わったが、朝鮮半島からはその人骨が 単に見つかっていないだけ。 A中国からこの抜歯型式が伝わっていた北方アジアの蛮族が 朝鮮半島には定着せずに日本までやって来て間接的に伝わった。
709 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 19:24:41 ID:0FwOUTW+] ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=89129 DNAで半島と日本が全く別系統であることが判明して喜ぶ日本人、 なぜか火病る朝鮮人。あれだけ罵る日本となぜ同じでありたいのだろうかw
710 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 19:58:18 ID:ZYtlIqyA] >>709 アナタ、ニホンジンニシテハ、クロイデスネ〜 アナタ、ニホンジンニシテハ、ハナガ、ツブレテ、ヒロガッテイマスネ〜 アナタ、ニホンジンニシテハ、クチガ、ツキダシテイマスネ〜 アナタ、ニホンジンヨリ、タイワンジンニ、ニテイマスネ〜 アナタ、セローイデスネ〜 アナタ、セロイセローイデスネ〜 アナタ、セロイセロイセローイデスネ〜 アナタ、セロイセロイセロイセローイデスネ〜 アナタ、セロイセロイセロイセロイセローイデスネ〜
711 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 21:55:23 ID:81hZgcFl] ↑ 710の顔および人種的特徴。 @顔は大きく、扁平 かつ短頭。 A頬骨が非常に高い B顎は後方にへこみ、えらは張る。 C鼻は低く、小鼻は大きい。鼻根部は甚だしく低い。 D眼は小さく、一重で、蒙古襞が強い。 E耳は小さく、耳たぶはない。 F歯は大きく、出っ歯気味である。 G体色は淡色だが黄色がかる。 H直毛で髪は硬い。 I体毛は非常に薄い。J筋肉の発達は弱い。 新モンゴロイドの特徴をすべて備え、一般的にいって醜男。
712 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 22:28:01 ID:26vVwC9v] 半分以上あてはまらないなw 俺はよく福山雅治とか稲垣吾郎に似ていると女性軍から言われるよw 茶色広鼻でウンコそのもののタイワン工作類人猿くんw
713 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/17(金) 23:09:17 ID:81hZgcFl] ↑ 不細工なやつは嘘つきでもある。 しかし、掲示板に書くのは君みたいな醜男でも自由だよ。 君の唯一の楽しみを奪ったのがいけなかった。 妄想の世界にどっぷりと浸ってくれ。 最後に一点だけ、君の醜男の遺伝子だけは日本列島には残さないで くれ。頼む。
714 名前:白馬青牛 [2007/08/17(金) 23:12:17 ID:+DueJSye] >>704 家畜飼育は、牛・豚等アムールのポリツエ文化まで伝わっていますが、 日本の弥生期は、現在豚が確認出来る程度です。伝播された土地によって 在来文化の要素から欠落部分が出ます。じゃけえ、信濃等東国は、牛車も 無く、家畜飼育文化が西日本以上に欠落したことを云うたんですが。 犂文化も西日本までです。宮本常一氏の「(東日本は)つまり(馬)乗る ことも下手、車や犂にひかせることも下手。ところが西日本のほうに 行きますと、こちらでは牛に犂をひかせている。これはいまの岐阜県あたり まで、ひじょうに古い時代から犂をつけてひかせているのです。 騎馬民族の末裔というのは、そのあたりまで分布しているのです。 乗馬技術がそれから東へはひろがっていったでしょうが、いわゆる騎馬民族 は、それから東へ容易にひろがっていかなかったのではないか。」 宮本氏の騎馬民族と云われるのは家畜飼育文化要素のことです。 高句麗人が東日本に多く移住しても、文化全体が伝わった訳でも無く、 アムールのポリツエ文化人の家畜飼育文化に比べ、日本列島が家畜飼育に 乏しいので、沿海州からの人の移動が無かったと云えんのと同じです。
715 名前:白馬青牛 [2007/08/17(金) 23:52:29 ID:+DueJSye] >>704 ほいで、中国の最大の交易品が陶器云う根拠はどがあなもんですか? 織物の方が需要が高いと思うんですが。 >>706-707 シベリア等の北方民族に抜歯はあったんですか?2番目に挙げたサイトの 下野氏の「渡来人が、縄文人の抜歯を真似た、とは考えられないよね。 独自にその風習を持った、大陸系の民族が、日本海岸に上陸した。としか 考えようがない。そして事実、同じ形質を備え、しかも抜歯の跡のある 頭蓋骨が中国の山東省からでも見つかっている。これは当然、つながって いるよ、土井ヶ浜に。(以下省略)」は無視ですか? 春成秀爾氏の4000年前の抜歯が仙台付近の例を挙げてないですが? 春成氏の縄文晩期の中部日本の習俗とされとるんじゃなかったか。 >>708 あんた自身が確認出来ていません。つまり空理空論の自爆で笑いましたよ。
716 名前:白馬青牛 [2007/08/17(金) 23:59:01 ID:+DueJSye] >>711 Bのえらは張る。と云うことは、縄文系のえらの張った形質と混血し、 >>710 氏は、古モンゴロイド要素もある云うことか。面白いのう。
717 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/18(土) 01:56:04 ID:cfCHVpDi] >>715 こちらもそれ以上の抜歯の情報がないものですから、あくまで 推測の域を出ない訳ですよ。 それにポリツェ文化が何世紀頃から何世紀頃までという時代区分が全く 分かりませんので是非教えていただきたい。 ただポリツェ文化は鉄器文化という事ですので弥生時代開始よりも 相当後の文化だという事だけは分かりますよ。 それと伝来した文物はその後の変化したり消滅したりという事は 分かりますが、伝来当初の文物の原型は遺物として残ると先述しましたよ。 牛車は東国には及ばなかったけれども、日本にしっかり伝わっています。 騎馬民族が出たとたんにコミックになってしまいますのであまりコメント しませんが、馬型埴輪と須恵器の登場が一致するところやそのころの文献に 秦氏しか登場しないところから見ても騎馬民族の正体は秦氏の事でしょう。
718 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/18(土) 02:03:17 ID:cfCHVpDi] 楽浪・帯方漢人の末裔であった秦氏が漢人式の騎馬文化に、のちに 伝わってきた扶余の満州式の騎馬文化が融合した当時の朝鮮半島の 騎馬文化を持ち込んだだけでしょう。 高句麗人を東日本に強制移住後、ほどなく東日本に須恵器が登場 してきますし、ポリツェ文化に家畜文化があっても家畜文化が伝わる 前に人が移動してきてしまえば家畜文化が伝わる訳もないのです。 中国の最大の交易品が陶器という根拠はその後本格的に始まる中国との 貿易での最大の交易品が青磁や白磁などの中国陶磁器だったからですよ。 それに別に一方的な渡来のみでなく、いわゆる遣隋使・遣唐使スタイルで こちらから訪問滞在しても抜歯形式くらい享受できる訳ですし、抜歯の跡の ある頭蓋骨が中国の山東省から見つかっていると言っても、その他アジアの 莫大な地域のほとんどが発掘調査されていないというのが現状でして、 あくまで参考程度までにしかならない一材料に過ぎないというのが正直な ところでしょう。
719 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/18(土) 02:11:40 ID:l6SLRr46] 支石墓も胡散臭い中国絡みだなw 北廻り、南回り系があるらしいw
720 名前:XYZ [2007/08/18(土) 03:26:49 ID:6CqwxIew] >>702-703 いいえ、わたしはその話が矛盾しているとは感じていません。 むしろ、わたしは大いに納得しています。全くその通りでしょう。 要するに“感性”が大事、ということですね。バターでしょうが肉でしょうが 摂り過ぎが良くないというだけでして、それらを日々の生活の中でどのくらい摂取するかは、 それらを摂取する一人ひとりの感性(この場合“感覚”とも表現されるでしょうか)に依ります。 この点で、その話の中の当時恵まれてはいなかった「スペインの住民」達などは優れていて、 恵まれていない中でもそれなりにバランスのとれた食生活をする“感性”が備わっていた ということでしょう。 また、肉体的にも“物”に恵まれていない環境(社会)のほうが、“身体”を使っての 労働(行動)が多く、それにより身体が鍛えられ、且つ行動が怠惰になりません。 一方で、現在の日本などの社会では“情報(教養)”も“(科学)技術”も人々に 普及してはいますが、肝心の“感性”や“身体”が悪く(鈍く)あるいは弱くなっています が為に、往々にしてそれらが正しい“行動”に結びついてはいません。 といいますよりも、害になっていると言ってもよいかもしれません…。 (続)
721 名前:XYZ [2007/08/18(土) 03:32:57 ID:6CqwxIew] (続) ひとつその話にわたしはツッコミを入れますと、 > 国家的訓育的権威が、外部から与えられるものに対し、 は、それは「訓育」というよりも「教育」と表記されるべきでしょう。 国家というもの(の法律)により外部から物理的な強制力をともなって施される 教育こそが「教育」でして、教育用語としての「訓育」は、まさにその後の > 宗教法の場合、その抑制力は内面に生まれるものであるから、 > 自立の気風を損ないはしない。 にあるような、宗教倫理に基づく内面的な抑制心を育む教育の事を指します。 これは簡単に言いますと「しつけ」ですね。 つまり、この話は先ほどの話にも共通しますが、 現代社会では国家による強制的な教育によって“知(頭)”は育まれていましても、 “心”は育まれてはいないという事ですね。昔の社会ではこの“心”を育む為に、 各々の家庭において宗教倫理に基づく「しつけ」がしっかりと施されていたという事でしょう。 これは物理的な強制力(暴力)に基づくものではありません。 (※厳密な意味では、「しつけ」において「叱る」事が音の“暴力”に入るとも 思われますが、それはこの場合ではありません)
722 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/19(日) 04:19:42 ID:du0ExRUr] 約半々であった縄文人と弥生人 それでは、日本人の由来はどうだったのだろうか。結論から言えば、ミトコンドリアでははっきり、 縄文系と渡来系弥生人に別れなかった。それでも様々に推定されてはいるが、これが縄文系のミトコンドリア、 これが弥生系渡来人のミトコンドリアとは単純に別れなかったのだ。 この理由は中国を含む近隣の地域のミトコンドリアが多様であり、日本も多様だったからである。 ミトコンドリアは分岐して多様化した年代が古いので、縄文人と渡来人の区別がはっきり付かなかったのである。 しかし、多様化した年代が新しいY染色体は違った。縄文系と渡来系が、だいたいはっきり別れたのである。 そして、縄文人由来のY染色体と渡来人のY染色体の比率は、だいたい半々であった。これは意外である。 (中堀豊『Y染色体から見た日本人』岩波書店,2005、あるいは、最新の研究 www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf を参照) Y染色体から見ると日本人の三分の一から半分は中国で大多数の系統(中国や東南アジアで多数を占めるO型と) であり、渡来系弥生人が持っていたと思われるタイプである。しかしもう半分は、ほとんどチベットにしかないD型と、 広く環太平洋に見られるC型の混合である。いわゆる縄文系である。D型とC型に別れるのは縄文系もやはり二種類に 分かれるという一部で言われていた説を、ある程度裏付ける結果である。フィンランド人や東シベリアのウラル語族に 多いN型も数%ある。このN型は遺伝的にはO型の兄弟ではあるが分岐年代は1万年以前であり、これらの民族は 北極近辺に集中している。もしかするとN型はO型に近くても「渡来人」系ではなくて、「縄文人」系なのかもしれない。 この結果からいえることは金属器と稲作を持ってきた弥生人が増えるのと併走して、なぜか縄文人の遺伝子も 爆発的に増えてきたのである。 ethol.zool.kyoto-u.ac.jp/kura/JapanEemp/FameleEmp/1-3.htm
723 名前:XYZ mailto:sage [2007/08/19(日) 04:22:50 ID:boM8EZ9L] >>721 (訂正) 文中、かぎ括弧付きの 「教育」→「教授」 に訂正させてもらいます。
724 名前:XYZ mailto:sage [2007/08/19(日) 04:32:30 ID:boM8EZ9L] 紛らわしくてすみません。
725 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/19(日) 22:32:29 ID:arx7NXm7] 白馬青牛様、えらが張るのは、朝鮮半島からアムール川領域の新モンゴ ロイドとイヌイットの最も顕著な特徴です。縄文系も顎が発達しますが、 形態は大きく異なり、縄文系はえらの発達より、顎のおとがいが発達し、 俗に言うあご割れの状態になります。日本列島にYAP+の遺伝子もたらし た縄文人の末裔を形態的に見分けるなら、おとがいを見るのが手っ取り早 いでしょう。
726 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/20(月) 21:21:20 ID:bfxNobWM] >>725 >えらが張るのは、朝鮮半島からアムール川領域の新モンゴロイドと >イヌイットの最も顕著な特徴 で、これらのソースは?
727 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/20(月) 21:42:16 ID:FcDh+Ejh] >>726 片桐はいり 嘘
728 名前:白馬青牛 [2007/08/20(月) 22:31:30 ID:VoT6usJ0] >>717 抜歯地域の習俗地域から南方の可能性が強いよ。 ポリツェ文化(BC1000年〜AD3〜4世紀、アムール川南部と 朝鮮北東部に広まった初期鉄器文化で、前ウリル文化と後の靺鞨文化との 間になる。)は、経済活動は狩猟・漁撈と供に、住居址からキビなどの 農耕穀物と、豚が多いですが、牛・馬の骨も現れ家畜飼育民でもあります。 弥生文化とポリツェ文化は、土器の類似、有肩石斧などが指摘されて います。弥生時代開始も、出来るだけ年代を古くしたいとするんは、 あんたが参考にされた、江南渡来説派の国立民俗博物館教授の 春成秀爾氏あたりじゃないんですか。 伝来当初の原型が残る云う根拠は何ですか? 牛車も西日本までで、東日本では未だありませんし、犂文化も西日本が 中心です。東西日本を政治国家的な要素で同一視しても、文化領域区分で は意味をなしません。騎馬民族がコミック云う意味は何ですか? そのころの文献云うても4〜6世紀に我が国に文献もありませんよ。
729 名前:白馬青牛 [2007/08/20(月) 23:11:01 ID:VoT6usJ0] >>718 秦氏が、楽浪・帯方の漢人の末裔か、楽浪に移住したチベット・ビルマ系の 秦人の末裔か諸説ありますが、土木技術に巧みなところは、チベット・ ビルマ系の秦人の要素が強いと思いますし、秦氏が聖武天皇の騎馬護衛兵で 平安期も随身の家柄という武人的要素もあります。秦氏の騎馬・武人的 要素は秦韓よりも4世紀以降の北方民族の南下にあったとも思われます。 その秦氏以上に騎馬要素の強い同じく朝廷の騎馬護衛をした東西文氏、 特に東漢氏は、神牛伝説や、新沢千塚古墳の鮮卑慕容部的要素、金飾、 歩揺の類似、慕容氏の名は歩揺から出たと『晋書』にありますが、慕容部は 青海にも移住してモンゴル系土族の祖先にもなりました。そうすると、 漢氏・秦氏もYAP+の多い地域の青海省と日本にも移住したと云う 面白い現象となります。>>722 の縄文人だけでYAP+とは云えん 訳じゃし、(宝来氏のDNAでは65%以上は弥生以降の渡来系とされ、 形質人類学でも7割以上は渡来系。その点YAPは、HLAやDNAより 精度が低くアジア北部と南部の人種分類も出来ん。)今後の成果次第と 云うことか。
730 名前:白馬青牛 [2007/08/21(火) 00:02:37 ID:VoT6usJ0] >>718 陶器云う後の時代を云われても、絹は出土品に残り憎いので無視ですか。 出土品で残るのはごく一部ですよ。消費するもんなんか余り残りません。 >>721 『歴史序説』森本公誠訳、では「訓育」です。公権威に恭順する限り、 「教受」より「訓育」の方が良いと思います。個人の信仰、自己抑制は 自己の内面ですから「訓育」適当で無いと思うのです。生活の「躾」は、 遊牧民の方が厳しいですね。よその家へ行って、腹が減ったと言うな。 逆に人が訪ねてきたら、自分の糧が無くとも客人に食べ物を与えるとか、 市場などで、人前でものを食うのは農耕民のやることで我々がやっては いかん等。日本人の習慣も、つい最近までは歩きながら物を食べる行為は 恥でしたが、最近では恥を知らん行動を取る人達が増えてます。 ファースト・フードを歩きながら食べるアメリカ風に染まったんでしょう。
731 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/21(火) 00:14:22 ID:h5P0HVCt] 大?(モン)口文化の頃に江蘇省あたりの人骨が高顔扁平に急変するんですよ。 だから抜歯は北方の可能性も高いですよ。それ以前に北方の発掘調査を 日本はほとんどしてないですから報告自体も無くて何とも言えませんが。 それとポリツェ文化情報ありがとうございました。 ただポリツェ文化は開始当初から鉄器使用や家畜飼育はしていたのでしょうか? それと逆に伝来当初の原型が遺物として残らないものなんてあるんですかね? 牛車も犂も東国まで及ばなかったがちゃんと日本に伝わっているではないですか。 それと、また騎馬民族ですか・・・ 例えば弥生人が北方からだという証拠の一つに言葉の一致点が多い事が あげられるんですが、では、騎馬民族の言葉の一つくらい馬具などに 残っているでしょうから一つ教えていただけませんでしょうか?
732 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/21(火) 00:15:03 ID:h5P0HVCt] その前に私から一つ、例えば、幼いという意味の「おぼこ」とか「おぼこい」 って関西方言、広島にもあるでしょう? オホーツクヤクートも幼い事を「obo」って言うんですよね。 それとその頃の事が書かれた文献とはもちろん日本書紀の事ですが、 仲哀天皇が秦氏を呼んだという話はあっても騎馬民族が来たとか いう話はあるんでしょうか? それと秦氏がチベットだとか北方民族だとか言ってるけど、 騎馬文化に高句麗などの北方の影響はあったでしょうが、青牛氏は 兵馬俑をご存知なんだろうか・・・
733 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/21(火) 00:26:43 ID:h5P0HVCt] それと宝来ミトコンドリアは調査サンプルに北方のサンプルが一つも ないんですよ。 大昔から北方民族が流入し続けた中国と朝鮮。 なのに中国と朝鮮のミトコンドリアには北方のミトコンドリアが一つも無い おかしさ。 全部、中国と朝鮮のミトコンドリアになっています。
734 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/21(火) 00:36:34 ID:96RzHPd4] ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=89129 DNAで半島と日本が全く別系統であることが判明して喜ぶ日本人、 なぜか火病る朝鮮人。あれだけ罵る日本となぜ同じでありたいのだろうかw
735 名前:白馬青牛 [2007/08/21(火) 00:52:55 ID:kSc59Hpv] >>725 えらが張るんが、朝鮮半島からアムール川流域とイヌイットの最も顕著な 特徴?後ろから歩いても、えらが張っとるんが解るんは中国南部や台湾人の 方が多いんじゃないですか(顎の細い逆三角形型もおりますが)。 韓国人と沖縄人を較べても、顔が横に広がった形質が多いんは、沖縄人の方 ですし。まあ、北方顔と南方顔の違いは、ある程度区別出来ると思います。 www.recordchina.co.jp/category.php?type=6 少数民族で北方系から南方系と様々な民族の女性が出てますが、 下の方に出ておるモン・クメール系ワ族や、その下のチベット系ラフ族は 南方系のエキゾチックな美女です。チベット系でも四川やチベットや ブータンは北方顔が多いですが、四川の一部や雲南では南方顔が増えます。 その下のツングース系オロチョン族の女性は四角っぽいシベリアや モンゴルにも多い北方顔です。 ワ族の左隣のチベット系イ族女性もやや南方系ですか。その左隣の満洲族の 女性、真ん中の下から数えて5番目にも満洲族の踊りでも、女性が出て ますが、狭顔の北方顔、ベルツ博士の云われる日本の上流階級の顔で、 一般に最も日本人に近い顔でもあります。他に韓国の女性も上の方に出て ますが、エキゾチックな美女南方系ワ族の女性の方がエラが張っています。
736 名前:白馬青牛 [2007/08/21(火) 01:54:03 ID:kSc59Hpv] >>731-732 シベリアや内蒙古の紅山文化に抜歯があれば、北方経由も考えられますが、 殷の北方、南方混合文化より南ですから北方起源の可能性は薄いでしょう。 ロシアのデレヴャンコ先生は、紀元前1000年紀の後半には鉄器使用していた とされます。家畜飼育はポリツェ文化の前のウリル文化の段階で ありました。 弥生人の言語など到底解明出来ませんし、そがあな証拠もありません。 高句麗語と古代日本語の数詞等類似点はありますが、その高句麗語も 全体的に解明されていません。騎馬民族と云うても、同一言語の集団で はありませんし、馬具の言葉は解りません。 トルコ系のヤクート語はそうですか。隣人のブリヤート語obokは、氏族。 obuは満州語で分け前。意味が違って来ます。広島じゃあ、「おぼこい」 云いません。日本書紀は後世のものですよ。しかも、伝承や記述など、 モチーフなど地域間の比較対称になりますが、文献に書いてあるから 真実じゃ云うたら電波になります。秦は元来西戎遊牧民でしょう。 秦の兵馬俑は今年も広島の美術舘で拝見しましたが、何か。
737 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/21(火) 04:32:31 ID:96RzHPd4] ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=89129 DNAで半島と日本が全く別系統であることが判明して喜ぶ日本人、 なぜか火病る朝鮮人。あれだけ罵る日本となぜ同じでありたいのだろうかw
738 名前:XYZ mailto:sage [2007/08/22(水) 16:01:00 ID:Dl2uAaDx] >>730 いいえ、漢字で訓育の「訓」の意味こそ内的規範、つまり倫理や道徳をおしえるという 意味でして、教授・教育の「教」の意味こそ人間が公権威というものを“つくり出し”た 上で、知識や技芸をおしえるという意味です。躾(この字は国字)は訓育の俗称です。 すみません、度々込み入った話になりまして。ただ、わたしは教育に関しましては 強い関心とこだわりがあるのです。信念といいますか信条といいますか…。 まぁ、わたしはあなたとは本質的な解釈に違いは無いと思います。 ついでですが、「食べ歩き」はアメリカの影響かもしれませんが、ファストフード文化は 世界中でも日本は最も進行していた(いる)部類の国なのかもしれませんよ! 寿司、そば、天ぷら、牛丼、たこ焼き(この二つは最近ですね)……などなど。 食べ方も、わたしは日本人ほど速い人々は他にはいないのではないかと思うくらい 皆さん速いですし(特に若い世代の男性)…。 こうした習慣も“豊かで貧しい”社会の表れなのでしょうね…。(嘆)
739 名前:白馬青牛 [2007/08/22(水) 23:07:58 ID:y4gKnHny] >>738 漢字で「訓」の意味なら、「説き導く」や「戒め」の意味もありますが、 「したがう」と云う意味もあります。 「訓育」となると、内的規範より外部からの「知」の感化の要素が強いと 思います。「躾」は日本語ですが、所属する共同体のモラル、日常生活の あり方を教える形態じゃと思うんですが。まあ細部の言葉の意味より、 本質的にどう考えるかが重要です。 江戸期のファースト・フード文化は、現代のジャンク・フード文化と 違うと思うのですが、確かに短時間で調理出来る日本食の一面ですね。 わし自身蕎麦は好きですが、シャコの鮨ネタは、水分が無く、素材を 殺しておるようで好みません。全体的に鮨より、素材を生かした刺身の方が 好きです。食事時間が短いのも、軍隊の非常時が常の状態は別として、 ゆっくり味わい喰う方が良いでしょう。しかし日本食自体、短時間で食える 要素が強い面があります。中国人は戦場でも冷や飯を食べず、温かく飯を 炊いて食べる習慣が戦前ありました。現在は中国でも日本料理の影響で 冷や飯の鮨、寿司を食べるようですが。
740 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/22(水) 23:13:21 ID:Cg7Co/g2] 魚を生で食べる文化はやっぱ魚肉が腐らないシベリアだろうな。
741 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/22(水) 23:37:20 ID:gpMcHGPJ] なれ鮨なども含めて東南アジアや雲南省と日本共通の文化です
742 名前:白馬青牛 [2007/08/23(木) 00:09:25 ID:YPXW3u+3] >>738 そう云えば、戦前広島県の呉では、日本の海軍上層部(佐官級)の 子息達は、弁当に冷や飯は喰わんかったようです。女中さんが昼前に 温かい弁当を持って来ます。「支那人みたいなのう。」冷や飯を 喰う人達は揶揄したそうです。庶民が貧窮し芋しか無い時でも 温かい飯ですから、生活格差はひどかったですね。 陸軍の将校も兵も同じ釜の飯を喰うんと違い、海軍は万事英国風で 上層部と末端の人達と食事メニューが違いますし。現在の自衛隊でも 受け継がれておるようです。 英国風と悪口を云いましたが、英国上層部が学ぶパブリック・スクールは、 当時、十分な食事は一日一回だけで粗食に耐えることも重要でした。 知性は低く見られ、風呂の水は冷たく寮は寒い。それが人格を陶冶し、 紳士を作るものとされてましたが、日本では上層部は贅六で駄目ですね。 感心な処を英国から学んでない。贅沢は敵と庶民に押し付けるだけです。 日本軍の兵や下士官が優秀で上層将校が無能なんもその例です。 昔から一部の教師が自ら規範を持ち生徒を導いた例もありますが、 全体的に日本の教育は優秀(エリート)な粗悪品の大量生産が伝統で、 日本の近代化以降の負の遺産ですね。
743 名前:白馬青牛 [2007/08/23(木) 00:57:55 ID:YPXW3u+3] >>740-741 魚を生で食べる文化は、ツングース系ホジェン(ナナイ)族から アムール諸民族、イヌイットの場合は海獣も含む満州、シベリア〜 日本、北アメリカまでの北方文化で魚を醗酵し食す文化は温かい 東南アジア系が一般的であるが、醗酵文化は北方にもある。 www.lbri.go.jp/omia/16/16-2.html#1 滋賀県近江のエリが<中国大陸から来たエリ>に、大陸起源で農耕民云々は 別として高句麗系移民によって、「塩と蒸し米=御飯で漬物とし、醗酵 させたもので、」「黄河以南、特に揚子江周辺あるいは以南では気温が 高いために同様な作り方をしても「シオカラ」ないし魚醤油状になり■の ような魚体形のまま醗酵魚にはなりません。」 <エリの原型と変容>に、「大陸東北部の遼寧省で、戦前、 迷封(ミィフオン)漁業という琵琶湖のエリとまったく同原理の漁法が 確認されていました。遼寧省の、その昔高句麗のあった地域で行われて いたのです。」後にも大陸南部の広東省の「棚箔」等と原理が違うことが 書いてあるが、日本の漁労文化の比重は南方系よりも北方系の比重が強い。 捕鯨も江南〜東南アジアで無く、東北アジアに顕著であるし。
744 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/23(木) 20:40:48 ID:vmZRNwW/] エラは普通、中国人の形質として有名なのであって、朝鮮人の形質だとか 見聞したのは私も2chが初めてですね。 観光で現地の朝鮮人たちの顔を観察していて、朝鮮人で目立った形質は 頬骨の飛び出た、やや扁平な広顔で輪郭が角張っていて絶壁頭が多い事 でしょう。 やはりアジア人も北上するに従い我々日本人の顔に似てきますね。 オロチョンの顔は西日本人によく見る顔ですよ。 それと毎度、ポリツェ文化情報をありがとうございます。 弥生人はポリツェ文化人ではないにしろ、ポリツェ文化人とはかなり近い 間柄の人類集団でしょうね。ポリツェ文化での鉄器登場を考えると 弥生開始に鉄器がないのも納得できるし、弥生人は犬を連れてきたとも 聞いていますよ。
745 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/23(木) 20:41:28 ID:vmZRNwW/] しかし、騎馬民族の持ち込んだ言葉が一つも分からないというのは どうも納得いきませんな。 納得はいかないけれども、ただ、これ以上、追求もしませんよ。 ため息しか出ませんから。 文献に書いてある事が全部真実だというならただの電波ですが、 一級資料とあろう文献が全部作り話だというのもただの電波ですよ。 何か書き残すべき出来事があったからこそ、真実なり虚構なり、 その出来事をきっかけにして書かれている訳ですから。 ただ、文献に全く触れられてもいない、虚構さえ出てこない、そんな とりとめもない話、どのくらい信憑性があるというのでしょう。 秦の始皇帝のシンボルは鼎。元来中原人でしょう。 ただ秦は西戎遊牧民の影響も受けているというなら話は分かります。 それと魚の生食文化と醗酵文化、非常に参考になりましたよTHX
746 名前:XYZ [2007/08/23(木) 22:13:38 ID:QPLOSd9p] >>739 ,>>742-743 いや〜、スレの本題には直接関係無い話でしょうが、実に面白いですね。 そしてあなた本当に物知りですね! プロの人かな…? ところで、そうですか、支那の人は戦場におきましてもご飯をしっかり温めて 食べていたのですね? わたしが以前見たTV番組では、支那には「真不同」という 言葉があるそうでして、気候の暑い夏場におきましてもスペインやイタリアの料理にある “ガスパチョ”のような冷たいスープなどは体の事を考え、摂らないのだそうです。 それだけ、体を労わる精神とある意味での‘美味しさ’を求める習慣があったのかも しれません。 わたしは日本食も好きですが、基本的には火を通した料理のほうが好きですから 外国の料理の方が美味しいと思う時はしばしばあります。わたしは日本食は見た目が 整然としていて見る分には良いのですが、味はイマイチというものも多いと思います。 また、生モノや調理が手軽なものも多く、その点で味覚を追求する精神にも欠けている ようにもわたしには思われます。勿論そうではないものありますが。 丁度これは、西洋におけますブリトゥンの料理に通じる所があるのではないでしょうか? よくブリトゥン料理も、西洋料理の中では簡素であまり美味しくないというように 言う人々がいますしね。どちらもその地域においての地理的・歴史的な情勢や 経済的・社会的な環境が似ているからなのでしょうかね…?
747 名前:XYZ mailto:sage [2007/08/23(木) 22:27:42 ID:QPLOSd9p] >>746 (訂正) 情勢 ⇔ 環境 のほうが良いかもしれませんね。
748 名前:白馬青牛 [2007/08/23(木) 23:46:32 ID:6pnKfYxY] >>744-745 エラの張った形質は、古モンゴロイドの遺伝子的には北方のアイヌ系や 遺伝子的には南方系の中国南部以南の傾向ですから、嫌韓厨の工作活動で しょう。朝鮮人は広顔と云うより中顔傾向にあります。 朝鮮半島でも北部と南部では容貌が違うんは、日本列島でも西日本と 東日本が違うようなもんです。西日本に、エヴェンキ的広顔容貌が東日本 より多いと思いますが、西日本は、概ね満洲的狭顔の方が多いと思います。 モンゴルや満洲・アムールでも北上するほどエヴェンキ的広顔が増えます。 ポリツェ文化人の?婁は「其人形夫餘」と容貌は夫餘あるいは高句麗人に 似ておったんでしょうが、アムールと渡来系弥生人との類似は、 石田肇氏の云われる顔面平坦度以外確認出来ません。 騎馬民族の言葉でも、トルコ系の馬(at)と、モンゴル・漢・満洲・朝鮮 ・日本のm音とは違います。文献は為政者にとって都合の悪いことは 書きませんし、書き残すより隠す作業でしょう。中原人と云われても、 周人は西方から渡来したオアシス系麦栽培の農牧民でしょう。 中原人の戦車文化も西方オリジンで、中原文化自体混合文化です。 秦は初期には異民族視された甘粛省渭水上流の遊牧民じゃないですか。
749 名前:白馬青牛 [2007/08/24(金) 00:33:15 ID:7NexROor] >>746 いいえ、物知りではありませんし、隠蔽を得意とするプロ学界の人間では ありません。中国人は冷や飯を食べませんし、台湾でも弁当を温めて 食べるようです。 そうですか。火を通した料理の方が文明的とは云えますが、わし自身は 素材の味を活かした簡素な日本料理の方が好きです。 まあ、瀬戸内地方の人間は、日本海の魚は大味で駄目じゃとか、 太平洋に至っては鮪を高級とする味を知らん云々など、素材に拘る面が あります。 わしは、魚や獣肉類でも刺身か塩焼きが好きで、野菜と一緒に味付けし 炒めたり煮たりの料理は毎度食べると飽きます。日本料理が、まずいと 評判のブリトン、英国料理と同じとは思いませんが、素朴な料理と云う 意味においては共通性もあるでしょうが、海産物の豊富さは日本でしょう。 アイルランド人も海草を喰えば、飢えて新大陸や豪州に多くの移住者を 出すこともなかったと思うのですが。ただし、ウエィルズ人は海苔を食べる 文化があるようで、同じケルト系でもゲール人とブリトン人は多少違う ようですね。ブリトン人はフランス(ガリア人)や特に同国の ブルターニュ地方との関連が強いせいでしょうか。
750 名前:月光仮面 [2007/08/24(金) 11:09:04 ID:sSZTlRmq] >>742 白馬青牛さん、御暑うございます。 「178年 中国 後漢書によると、鮮卑王 檀石塊(だんせっかい)が倭人国を襲い、 倭人を捕らえる」 homepage2.nifty.com/amanokuni/wani.htm 「107年 是年 倭の国王 師升ら、後漢に生口160人をおくり謁見を求める」これを 倭国が楽浪から洛陽に至る河川・海岸域を確保していたから、倭人が半島を通過中の 段階であったとも倭人が半島を通過中の段階であったともともいえますが、 もう一つには烏桓、蒙古語ukhaghan(賢),unagan(奴隷)をもって倭人とした。 この倭人が「後漢時代に中国寄りに移動してその北辺防衛部隊となり,後漢末の 混乱期に大同団結し袁紹に通じたが,207年(建安12)曹操に撃破され四散した。」 ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E6%A1%93 これが近江、烏丸半島 ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E4%B8%B8%E5%8D%8A%E5%B3%B6 和邇川 agua.jpn.org/biwa/wani.html こうした方面を経由大和に入り、大和朝廷の重臣となり、後には和邇部君手等を 出したのではないかと思いますが、どうでしょうか。 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%8F%A5%E9%83%A8%E5%90%9B%E6%89%8B
751 名前:月光仮面 [2007/08/24(金) 11:16:37 ID:sSZTlRmq] 帥升に同行した琵琶湖漁民の末裔が大陸で鮮卑・檀石槐に抑留され、漁業技術を 奪われたということと、烏桓亡命が一緒になったということもありえましょうか。つまり、 亡命者と引揚者の集団というか。
752 名前:月光仮面 [2007/08/24(金) 12:08:01 ID:sSZTlRmq] 「再び大地を踏んだ山幸彦は、3年前の兄の仕打ちに対する報復として海神から授かっ た呪文を使い、兄の国をたちまち貧乏にしてしまった。これに怒った海幸彦は山幸彦の 国へと攻めかかるが、山幸彦は兄を塩満玉によって溺れさせ、兄が命乞いをすると塩 乾玉の力で助けたという。これによって海幸彦は山幸彦へと服従を誓わされて、山幸彦 はめでたく支配者となった。一般に、海の民隼人(ハヤト)の筑紫朝廷への屈服を表す 神話といわれている。 やがて妻の豊玉姫命が臨月を迎え、お産のために夫のもとを訪 れた。いよいよ出産が迫ったときに、豊玉姫命は夫に「決してお産をする姿を見ないでく ださいね。」と言い置いて産屋へと入った。しかし山幸彦も好奇心いっぱいの若者。そん なことを言われて黙っていられるはずがない。彼がこっそりと産屋を覗くと、そこには身 をもがく八尋(ヤヒロ:一尋=180p)のワニの姿があった。出産後にこのことを知った豊 玉姫命はこれを恥じ、夫を恨んで我が子を置いて海へと帰っていった。」 www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/method/yamasati.html www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-10.html これは朝廷の起源を黙示するのではないかとおむのですが。
753 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/08/24(金) 23:54:44 ID:bRvKPWbV] >>748 嫌韓厨と言うよりもあれは在日台湾人の工作員だともう明言しておきますよ。 彼らのおかげで私の積年の朝鮮人嫌いも逆に吹き飛んだわけですが。 アムールと渡来系弥生人との頭蓋の類似は石田肇の他に故埴原和郎の Qモード調査なんかもありまして、これは形質研究者には必見ものです。 そういう為政者による工作文献もありましょうが、そんなものはごく一部 に過ぎず、ほとんどが事実を書き残しただけのものでしょう。 騎馬民族の襲来と定着という極めて大きな出来事を完全に隠蔽する必要が どこにあるんでしょうか。おまけに伝承もないのでは話になりませんよ。 ならば、フン族やゲルマン人やヴァイキングの征服はどうして隠蔽されていないのか。 商周文化が中央アジアの商人から小麦文化や馬車文化など西方文化の 影響も受けていた文化だと言うなら話は分かりますが、商周文化人は 三足土器人ですよ。西方のように小麦粉を焼いて食べていたのではなく、 麦も米も穀類は全て三足土器で蒸して食べていたのですよ。 異民族があってもやはり中心は土着系のようですね。
754 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/25(土) 00:02:37 ID:IUPME1bW] 前にも台湾でそんな事件があったよ。 こっちは変態台湾兄弟が5歳の女の子にチンチンを強制挿入。 169 :美麗島の名無桑:2007/07/12(木) 13:20:36 【輪姦】梅毒兄弟 輪姦5歳女童 逼童母在旁觀獸行「大伯的鳥鳥好臭」 「乾?、大伯用尿尿的地方,插進我尿尿的地方。」 梅毒兄弟 五歳の女の子を輪姦 母親を犯行の一部始終を見させる 「おじさんのチンチンは臭い」「おじさん達はおしっこのトコロを私 のおしっこのトコロに入れた」 1-apple.com.tw/apple/index.cfm?Fuseaction=Article&Sec_ID=5&ShowDate=20070711&NewsType=twapple&Loc=TP&Art_ID=3633314
755 名前:白馬青牛 [2007/08/25(土) 01:18:42 ID:zuMHvvDP] >>750 残暑厳しゅうございます。『後漢書』鮮卑伝に、光和元年(178) 檀石槐が、倭人国を撃ち千余家を得、従して秦水のほとりに住まわせ、 魚を捕らせて食糧を捕助した話ですね。三上次男氏は、倭人は? (穢、ワイ)と同質で北東アジアの水辺居住民族の総称とされます。 穢が日本海側に対し倭が黄海側ですか。 倭人が食糧を提供する集団で、武闘集団の要素は薄いと思うのですが。 また和邇氏になったかどうか解りません。
756 名前:白馬青牛 [2007/08/25(土) 02:21:16 ID:zuMHvvDP] >>753 ちんみに、石田肇氏は、顔面平坦度からは、渡来系が現代の アムールの集団に近いということで、現代日本人はシベリアの人達よりも、 北中国人を含む中央アジア(中部)の集団に近いとされる。 埴原和郎氏は新石器時代のシベリアと縄文人との比較でシベリアに近いと されとるゆえ、新モンゴロイドならシベリアでも華北でも近いことに なります。 唐王室も鮮卑系ですが、隴西の李氏と漢人ぶって、出自を隠してますし、 日本も、徳川氏を始め近世の大名なんか寛永系図の捏造だらけです。 朝鮮も、李王朝もそうです。東アジアが隠蔽と捏造が好きなんは、今も 伝統としとります。 三足土器は、イラン・西アジアにもあります。中原の先史文化は、 土器・戦車等含め概ね、西方オリジンでしょう。
757 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 08:42:46 ID:SamBOFkN] >>755 白馬青牛さんにシロコゴロフのツングース湖南省出身論を御教示いただいたことが あるのですが、倭についてもその出自を長江中流域とする説があるやに聞きます。 また、戦国時代の長江下流域からは倭人同様の人骨が出土するということもあり、 三苗を含め幾度もの民族の北上があったのでしょうね。
758 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 09:48:27 ID:SamBOFkN] >>755 >倭人は(穢、ワイ)と同質で北東アジアの水辺居住民族の総称 homepage3.nifty.com/alacarte/nanchuka12-chugokukodaibunmei.htm ↑これを見ると確かに倭人とは普遍的であり、遺伝、形質的に何らかの民族に 特定されるものではなく、生業的に水辺居住するものという意とも考えられますね。
759 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 10:27:39 ID:SamBOFkN] 言語学的に言うと、 「約 2,500年前に,身体語(※)や植物関係の語彙,数詞(注記 3),代名詞がビルマ系 諸語からもたらされて「日本祖語」が成立した。 中国の長江下流域(江南)に広く住んで いたビルマ系語族を主とする人たちが水田稲作文化を携えてやってきたため。 彼等は 人口的には必ずしも多くなかったが,文化的・政治的な先進性のゆえに一時支配層を 形成した可能性がある。」「ビルマ系のロロ語が,日本語と,それほどまでに強くはな いが,偶然以上の関係を示す。(ビルマ系の諸言語はとくに身体語などにおいて,日本 語と強い関係を示す)」 www.sun-inet.or.jp/~ryr58037/kr_orig.htm ロロをイー族というが、 「イー族は中国西部の古羌の子孫である。古羌は、チベット族、納西族、羌族の先祖 でもあるといわれる。イー族は、南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきて おり、現在では、雲南に最も多く居住している。 精霊信仰を行い、Bimawという司祭が先導する。道教や仏教の影響も多く受けている。」 「雲南北西部に住むイー族の多くは、複雑な奴隷制度をもっており、人は黒イー(貴族) と白イー(平民)に分けられていた。白イーと他民族は奴隷として扱われたが、高位の 奴隷は自分の土地を耕すことを許され、自分の奴隷を所有し、時には自由を買い取る こともあった。」 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E6%97%8F ところが、これがYAP+なのであります。
760 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 10:29:34 ID:SamBOFkN] Yi族を含む少数民族のYAP+率についての中国調査結果は YAP+ Tibetan (36.0%), Naxi (37.5% and 25.5%), Zhuang (21.3%), Jingpo (12.5%), Miao (11.8%), Dai (11.4%, 10.0%, 3.3% and 2.0%), Yi (8.0%), Bai of Yunnan (6.7% and 6.0%), Mongol of Inner Mongolia (4.3%), Tujia of Hunan (2.6%), Yao (2.2%) and Nu (1.8%) 219.238.6.200/article?code=01YC0226&jccode=06 YAP+ Zang 36.7%, Tu 23.8%, Yi 18.4%, Pumi 11.3%, Tajik 7.4%, Bai 6.7%, Jino 5.1%, Shandong Han 4%, Mulao 2.7%, and Maonan 1.3%. lib.bioinfo.pl/meid:7662
761 名前:月光仮面 [2007/08/25(土) 10:33:47 ID:SamBOFkN] で、韓国語、日本語の基本的文法はアルタイ型で、両国語は細部においても文法的 には一致している。つまり、どこかでアルタイ語の統治権下にあった。私はそれを遼西・ 綏遠であろうと想定します。あるいは、楽浪かもしれない。