- 378 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2007/07/07(土) 16:51:13 ID:hvSzqL41]
- 約3000年前にシベリアから九州北部にやって来た渡来人は当初は
少数渡来であったが、在来系よりも精子の段階から生殖能力が高い上に 形質遺伝も在来系よりも優性だった事を背景に、徐々に渡来形質の勢力を 拡大していく事で日本人の形質を一変させる事が可能だった訳である。 無文土器も陶質土器も西日本の各地の弥生遺構から出土している。 しかし、これらは交易物がほとんどである。 なぜなら生産がほとんどされていないからである。 無文土器しか出てこない集落遺跡もなければ、無文土器そのものと 言える土器も非常にわずかである上に、無文土器を模倣したと思われる 土器さえもすぐに生産が消滅してしまうのである。 しかも陶質土器に至っては古墳期まで全く生産がされていない。 土井ヶ浜も吉野ヶ里も時代がズレるだけで同じ弥生土器人です。 無文土器人でも中国土器人でもありません。 そして、内蒙古に入ったとたんに身長が低くなり、形質が変わる。 ツンギーテとシニーデの地理的な区分地域は思っているよりも明確なのである。
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