- 1 名前:ゲー製作半年 [02/04/02 15:50 ID:I6sdJYCr.net]
- ぼくはスーパーマリオ風のゲームを作りたいと思っているのですが、
こうゆう繊細な動きを作るにはやっぱりアセンブラとかじゃないとだめ でしょうか? どこかソースを公開しているような参考になるサイトがあれば教えて もらえませんか?できればC,C++,HSP,JAVA,などでお願 いしますです。
- 110 名前:名前は開発中のものです。 mailto:sage [03/11/28 02:48 ID:Z4xyQQZB.net]
- 連続行きます
「デジキューブ入滅で日本にもアタリショックがやって来るのか?記念 新電子立国#4 抜粋」
- 111 名前:名前は開発中のものです。 mailto:sage [03/11/28 02:49 ID:Z4xyQQZB.net]
- 1983年 TVゲーム群雄割拠時代
家庭用ビデオゲーム機がアメリカの家庭で30%も普及したという事実に刺激され日本でも続々と新製品が現れた。 中でも有力だったのは、セガコンピュータ3000(SC−3000)と任天堂ファミリーコンピューター。 これが、セガコンピュータ3000。当時マイコン製品としては破格の29800円で売り出された。 (セガ常務 佐藤秀樹の言葉) 「まさしくコンピューターという位置付けでそこにはキーボードまでくっついていたんですね」 「ですから色んなものを取り去れば、かなり安くなる…というのは我々にも見えてた訳です。」 「ただ、いかんせん最初のスタートがですね、さっきから申し上げてるようにパソコンで出た。」 「だが任天堂さんは…もうゲーム!って割り切られたわけですね」 「そうするといざゲームで遊ぼうと言った時に、どうしたって専用なものと コンピューターの機能まで併せ持ってるものこれで行くと差が出てきてしまった。」 「いうことで残念ながらですね、任天堂さんの方が、まあ、セガより ゲーム専用機という観念からで行くと一歩前へ出られちゃったと。」
- 112 名前:名前は開発中のものです。 mailto:sage [03/11/28 02:49 ID:Z4xyQQZB.net]
- 1983年 ファミコン誕生
ファミリーコンピューター登場 カセットを入れるとカラー52色の鮮やかな画像 コンピュータを相手に麻雀・五目並べ そしてポパイ・ドンキーコング・二人で楽しめるマリオブラザーズなど10種類 ポーズボタンと切り替えスイッチで簡単にTV番組に変わるTV共存タイプ 家族揃ってファミリーコンピューター 昭和58年に発売された任天堂ファミリーコンピューターは家庭用ビデオゲームとして空前のヒット商品となった。 ハードの値段はセガコンピュータ3000の半額、14800円だった。 「ユーザーはぁ、ハードを飼うんじゃないんですから。」 「ね。ユーザーはソフトを飼うんですからね。」 「だからそのユーザーは おもしろいゲームで遊びたいということでソフトを飼うんです」 「しかしそのところがコンピューターですから、ハードがないと遊べないんですね」 「仕方なくハードを飼うんですよ」 家庭用ビデオゲーム機の開発にあたって山内社長は1万円以下の商品を開発するよう命じた。 担当したのは、当時開発部にいた技術者、上村雅之さん。シャープからスカウトされた半導体の専門家であった。 「玩具って言うのは ホント正月にはだいぶお金が出ますけれども 通常はなかなか出ない。」 「だから、子供が親にねだって、親が教育的見地から出しうる値段、それで通常一万円と言うのはプライスライン。」 「で、ファミコンも同じように最初一万円と言うプライスラインが始めに出ているんですよ。」 「(ああ、出てたんだという答えに)出てたんです。」 「1万円目標に作ってみたら2万円近い機械ができちゃったんですね。はっきり言えば。」
- 113 名前:名前は開発中のものです。 mailto:sage [03/11/28 02:50 ID:Z4xyQQZB.net]
- ボディのプラスチックは製造コストの安い白と赤を選んだ。
複雑な形の部品は使わない。ネジ一本に至るまで徹底的なコストダウンが検討された。 これが、ファミコンの心臓部・半導体基盤である。 ここに、ゲームソフトを動かす2つのマイコンチップがある。 上村さんは、このマイコンチップを設計する上で コストダウンによってゲームの面白さを損なっては意味がないと考えた。 小さなコンピューターの限られた能力を何に集中的に使うのか。 色数・音質などゲームの面白さに直接響かない機能を次々と削っていった。 「(例えば理想的な色数と言えばいくつという質問に)いちばん言われているのが何十万色でしょ。」 「(それを何色にしたかという質問に)五十何色しか使ってない。54色ですか。」 「それは横に宮本君のような絵描きさんと一緒に、さっき言いましたように電子技術屋さん70名、 技術屋さん30名の世界ですから、まあ一緒になって、「これで絵描かれへん?描いてーや」と、 こういう世界ですね。」
- 114 名前:名前は開発中のものです。 mailto:sage [03/11/28 02:50 ID:Z4xyQQZB.net]
- どの色が表現力を左右するのか。二人は幾度となく打ち合わせを重ねた。
最後に54の色を決めたのはハードの設計者ではなく、ゲームデザイナーの宮本さんであった。 「あとは音ですね。いい音を出すのに越した事ないんですけどね。これがまた高こーつくんですよ。」 「で、それを入れちゃったらそれこそ2万円どころではない、と。」 ピコピコ音という特有な音もまた、ゲームに必要な音とは何かを考え抜いた結果であった。 「ジョイスティックという、こういう、レバーが中にあってボタンバンバン…とかまあ、 アメリカのビデオゲームは全部こういう…こう、棒がぴっと立っとる、こういうものだったんですね。」 「で、コタツ。テレビが置いてあって…コタツがあってですね、そこに機械置いて遊ぶはずですから そうすると物を置く場所が不安定ですからね、そこを持たすにはこれ(棒)よりはこれ(十字キー) のほうが良いんじゃないかと」 平らな面に十字のキー ボタン操作が簡単な、コントローラー 「しかも踏んでも潰れない。し、非常に安く作れると。それが重要なんですけどね。」 「それで、2万円近い奴をどんどんどんどん減らしていったと。」
- 115 名前:名前は開発中のものです。 mailto:sage [03/11/28 03:33 ID:Z4xyQQZB.net]
- 1985年 スーパーマリオ発売
ファミリーコンピューターに 夢の大冒険ゲーム 「スーパーマリオブラザーズ」 秘密の力で 大きく変身! 地上に 地下に 海に 空に 次々に展開する不思議な世界! 「スーパーマリオブラザーズ」新発売! 昭和60年に発売されたこのゲームソフトがファミコンを爆発的に普及する原動力となった。 作ったのは ドンキーコングの作者・宮本さんだった。 「ドンキーコングをモニターに取った時に、結構不思議な手応えがあったんですよ。そのテストプレイをした時に」 「その時と同じような手応えだったんですよ。スーパーマリオをテストプレイした時に。」 「あの、なんか色々文句は言うてるけど顔は笑ってる風な状態だったんですよ。」 「で、こーれーはー売れるよーって 一緒にやってるデザイナーに言って。」 「ただね、これが桁が違うんですよ。」 「僕らがその頃売れるよって言ったのは100万本いけるかなとか150万本ぐらいかなっていうことですよ。」 「ところがこれがワールドワイドまでばーっと浸透して、数千万売れるとは全然思いませんでした。」 「全部入れてね、この間一億本を越えたって聞いたんですよ。」 「ただその「T」がね、何本かわかりません。」 「多分ね、アメリカの本体も一緒に売れてますから3000万本か…その辺りだったと思いますよ。」
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