- 15 名前:名前が無い@ただの名無しのようだ mailto:sage [2009/02/06(金) 23:56:50 ID:24abnRAT0]
- >Q.勇者も殺してるし、どっちもどっちなんじゃないんですか?
>A.勇者に限りませんが、人類はあくまで凶暴化した魔族に対して自衛で戦っている形です。 ちなみに魔族が「凶暴化した」という作中情報はない。 「それまでいなかった地方にも出るようになった」「夜行性だったのが昼間も活動しだした」ならある。 魔物の出現を示すメッセージが「あらわれた」であるのに、 「こちらが何もしていないのに向こうから一方的に襲って来た」に変換するのは 明らかに悪党派がいつも罵りたがる妄想・脳内補完だ。 また、もし仮にこの脳内補完を認め、魔物は凶暴化したというのなら、その原因は作中の説では 「エスタークの復活が近づいたから」である。そのことに魔物を凶暴化させる作用があるのなら、 ピサロだって魔物であり、彼がそれに耐性を持っているなどの作中情報は皆無である。 ならばピサロ自身も本来の意思によらず「凶暴化」させられていることになる。 これは日本法なら心身喪失に当たるほどのとてつもない「同情の余地」だ。 >一般的に「同情の余地」とは、同情する人が居るかどうかとは無関係な使われ方をしています。 >このスレでも同様です。同情するしないは個人の自由ですが、「同情の余地」が有るか否かは >あくまでも酌量の差し引きによって(一般的な意味で)客観的に決めるという考え方をします。 同情する人がいなければ「同情の余地がある」と唱える人もいなくなるので、あきらかに有関係。 単に、「同情の余地がない!」というほど強い憎悪を持っている人は、他人の同情意見などに 耳を貸さずにそう言い続けるというだけに過ぎない。なお、「同情の余地がない」と言う人の方が 同情する人より正しい根拠など、言うまでもなく有りはしない。「同情の余地」はあくまで主観である。 >現実にも凶悪犯に同情して獄中結婚する事例がありますが、だからといってその凶悪犯に >「同情の余地」があったという事にはなりません。 単にその結婚した人の価値観では同情の余地があったというだけの話に過ぎない。 >時系列的にもロザリーの件がピサロの酌量の要素に当たらない AがBに恋人を殺され、復讐のためBを殺した場合、情状酌量がなされるだろう。 たとえAが恋人を殺される以前からBを殺したいほど憎んでいたとしても、殺人を実行に 踏み切らせた一押しは恋人を殺されたという事実であり、酌量の要素にも同情の余地にもなる。 ピサロの場合も同様である。 >Q.そもそもピサロは人間ではなく魔族であり、人間とは違う価値基準を持っているはずです。 >人間の価値基準で彼らの所業を悪だと断じることはできませんよね? >A..「ピサロに同情する」という意見も人間の価値観でのものです。 人間の価値観を適用できず、ピサロを悪と断じられなかった時点で、 「デスピサロは同情の余地なき悪党」という説は間違っている。そもそも悪党ではないのだから。
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