- 172 名前:◇ファイナルアンサー ◆FQ0FGVLrOo mailto:sage [2015/10/13(火) 17:44:11.78 ID:rHVb3zs3.net]
- 雄略天皇の皇后・草香幡梭姫皇女は仁徳天皇の皇女とされるが、
そのお名前の最初の草香は、日本国を代表する天照大神(国母・丹生の日女神)の 初日の出を拝む祭祀に由来する、天日矛信仰上最も大切なキーワードであり、 現在は皇室ではなく、姫姓・息長氏の斎王家の御宗主様が伝承することが分かっている。 息長斎王家が天武帝によって真人の筆頭に位置づけられて、 最も高貴な皇室にとって大切なお家とされたのは、無理からぬことだろう。 息長斎王家は、天武天皇から見て、 単に母系の祖先とされる国母の血統というだけでは済まされない存在だった。 大海人王子が天皇になるための戦が、旗揚げした序盤は芳しくなかった状況下で、 伊勢の大神に詣でて、吉野や伊勢の鉱山労働者の集団(穴師)が奉斎していた、 伊勢の五十鈴川の滝祭の龍神を祭祀する丹生の日女神・明姫様から神託を授かったことで、 一気に形勢が逆転して、勝利することができたのだから、 日本国を守護する国母神として、新たな高貴な名で祭祀するのは当然の成り行きだった。 当時の状況を詳説すると、 天智天皇は滅ぼされた百済を再興しようと、 唐と新羅の連合軍に挑んで大敗を喫して、多くの国民を戦死させている。 百済と同様、唐が倭国にも侵略の手を差し向けて滅ぼしにくるのを恐れるあまり、 国内に防衛拠点を築きすぎて、労役で国民を苦しめ抜いて疲弊させた。 その悪政を、子の大友皇子(弘文天皇)が引き継いでしまったため、 ついに、息長斎王家の明姫様の堪忍袋の緒が切れて、 御神意に背く大友皇子討伐の天の声を発せられた、というのが真相だったらしい。 当然、日本(天照)国の神の精神を明姫様から授けられなかった大友皇子は、 真の天皇にはなれていない。
|
|