- 1 名前:朝一から閉店までφ ★ [JP] [2019/05/21(火) 06:34:46.91 ID:CAP_USER9.net]
- 2019/05/21 06:30
【大人のMusic Calendar】 “ダーリン”が“愛しい人”を意味する英語だと知ったのは小学2年生の時だった。そう、「ハロー!ダーリン」で始まる「恋のダイヤル6700」(73年/フィンガー5)が大流行したからだ。洋楽では頻繁に使われるこの単語、1960年代にブームとなったカバーポップスでは使用例が散見されるが、そのあとに生まれた筆者にとっては、フィンガー5の歌が人生で初めて認識した“ダーリン”。その後「ルージュの伝言」(75年/荒井由実)を経て、第二の洗礼を受けたのが、ジュリーこと沢田研二が歌う「ダーリング」であった。 1948年6月25日生まれの沢田研二は、ザ・タイガースのボーカルとして、67年2月に「僕のマリー」でデビュー。バンド解散後は、萩原健一らとPYGを結成し、71年11月には「君をのせて」で本格的なソロデビューを果たす。その後はTOP10ヒットを連発し、「危険なふたり」(73年)、「追憶」(74年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)の4作がオリコン・シングルチャートの1位を獲得。77年には「勝手にしやがれ」で日本歌謡大賞と日本レコード大賞のダブル受賞を達成するなど、文字どおり歌謡界の頂点に君臨する。 だが当時は「大賞の翌年は苦戦する」という“2年目のジンクス”があった。それを意識したのか、78年の沢田はそれまで敬遠していたバラエティ番組にも出演するなど、年明けから精力的に活動。1月21日に発売された「サムライ」は、ナチスのハーケンクロイツを腕章にした衣装が物議を醸し、途中で変更を余儀なくされたが、オリコン2位をマークし、まずは順調なスタートを切る。 そして30歳を目前にした5月21日、23枚目のシングルとしてリリースされたのが「ダーリング」であった。同作を手がけた阿久悠(作詞)×大野克夫(作曲)のコンビは「時の過ぎゆくままに」以来7作目、編曲の船山基紀は「さよならをいう気もない」(77年)以来5作目の起用。ファッション誌のグラビアを思わせるジャケットのアートワークは「危険なふたり」以来、衣装デザインも手がけていた早川タケジが担当した。 初めて「ダーリング」というタイトルを耳にした時は「なんで“グ”が付くんだろう」と、些か不思議に思ったものだが、それが映画の題名に由来すると知ったのは、だいぶあとになってからのことだった。自他ともに認める映画マニアの阿久は、他の歌手にも「また逢う日まで」(71年/尾崎紀世彦)、「さよならをもう一度」(71年/尾崎紀世彦)、「絹の靴下」(73年/夏木マリ)、「さらば友よ」(74年/森進一)、「若き獅子たち」(76年/西城秀樹)など、映画と同じタイトルの作品を多数提供しているが、沢田に対しては特に思い入れがあったのだろう。 初めて作詞を担当した「時の過ぎゆくままに」のタイトルは、米国映画『カサブランカ』(42年)のテーマ曲「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」に由来、「憎みきれないろくでなし」(77年)では、同映画主演のハンフリー・ボガートの名台詞「そんな昔のことは覚えていない」「そんな先のことは分からない」を想起させるフレーズを織り込んでいる。さらに「勝手にしやがれ」は60年公開の仏映画、「サムライ」は67年公開の仏映画と同タイトルとするなど、“洋画路線”が続いており、この「ダーリング」もその流れに沿うものだったのだ。 ===== 後略 ===== 全文は下記URLで www.1242.com/lf/articles/176164/?cat=entertainment&feat=music_calendar
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