- 103 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2011/01/21(金) 18:12:34 ID:riDfS4z7]
- 江戸時代の首都は多機能であった!
(1)3都に機能を分散した江戸時代の首都 明治以来、日本の首都機能はすべて東京に集中して発展・拡大してきた。 しかし面白いことは、明治時代以前の日本における首都の機能は、 (1)皇居の所在地、(2)行政の中心地、(3)経済の中心地、の3つの都市に巧みに分散して配置されていた。 そして更にこの3首都は、他の地方都市との間に機能的ネットワークを形成することにより、 数百年の長きにわたりわが国の首都機能は安定的に維持されてきたように見える。 江戸時代の首都機能の第一は、皇居の存在地つまり「帝都」である。江戸時代を通じて、それは京都にあった。 第二の機能は行政の中心地である。それは江戸時代には幕府の存在地の江戸にあった。 ただし、幕府が担当した全国的な行政機能は軍事、外交が中心であり、内政機能の多くは各藩の自治にまかされてきた。 第三の機能は、国民経済の中心地であり、それは大坂にあった。 つまり江戸時代における首都機能は、京都=天皇の都、江戸=行政の都、大坂=商業の都の3都に分散され、その間に首都機能が巧みに分担されていた。 (2)3都間のネットワークも巧みに活用された 江戸時代における京都、大坂、江戸の3都は、それぞれの町を中心にして全国的な金融、 物流、情報、交通などのネットワークが巧みにつくられていた。 そしてこの3都と地方都市の間が機能的に結ばれることにより、全国的な社会的ネットワーク・システムが構成されていた。 そのしくみは、まさに当時の日本が世界に誇るべきものであった。
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