- 5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2021/08/23(月) 23:06:28.54 ID:ZxAU2GIs.net]
- 十二世紀後半、即ち平安末期。
後の江戸城辺りとみられる場所に江戸重継が居館を構える。 江戸郷の開発はこの時に始まると謂う。 一方でそれ以前から日枝神社領の荘園が成立していて重継はその荘官として地歩を築いたとの説もある。 十五世紀半ば、即ち戦国初期。 太田道灌、江戸城を築く。 この前後から水陸交通の要衝として江戸湊は殷賑を極めていたとの記録が残る。 更に城の南西に開発された広大な農地も大いに収穫を上げていた。 千駄ヶ谷の名は道灌時代に千駄の稲が獲れたことに由来すると伝える。 【参考文献】 「武蔵の武士団−その成立と故地をさぐる−」安田元久著 有隣堂刊 「決戦〜豊島一族と太田道灌の闘い」葛城明彦著 風早書林刊 「太田道灌と長尾景春」黒田基樹著 戎光祥出版刊
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