- 673 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2020/10/18(日) 15:56:01.63 ID:UjRVdrsd.net]
- そもそも横浜はそれほど農業が盛んな土地だったのか?
開港以前の横浜は半農半漁の寒村で、人口も数百人というまことにささやかな村だった。だが、1859年(安政6年)の開港以後は外国の受け入れ口となり、多くの外国人や外国の風物を迎えることになった。 そんな中でとくにヨーロッパ人が日本の野菜を所望したという。日本の野菜を西洋人に持っていけば売れるので、地元農家も野菜作りに精を出したが、同時に西洋野菜も輸入されるなど、作物の多様化が始まった。 横浜といえば他県の人の多くは港や外国人、あるいは中華街といった異国情緒あふれたイメージを抱くが、実はれっきとした農業都市でもあったのである。 「特産物としてはコマツナが挙げられます。それから横浜のナシである“ハマナシ”。これは昭和40年代から収益性の高い作物として知られています。そのほかにカリフラワーやキャベツなど、多くの作物が横浜では作られています」
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