- 477 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県) [2017/06/21(水) 23:23:03.45 ID:2diRHyTy.net]
- ■時代は江戸末期
吉田新田完成後も入海だった現在の横浜中華街あたりは、 横浜新田に、現在の横浜スタジアムや市役所は太田屋新田として埋め立てられ、 当初の入海はほぼ陸地となった 時代とともに横浜の人口も増え、水田ではなく町が拡大していく そんな中、鎖国していた日本に砲艦外交で迫ってきた米国のペリー提督 1回目の上陸は、横須賀の久里浜 2回目は、江戸により近い場所を求めるペリーに対して、 幕府が提示したのが寒村の横浜だった 現在の象の鼻パークあたりに久里浜から移設した建物を設け、 横浜は外交交渉の場となった 結果として、その外交交渉の場を提供できたのは、 吉田新田をはじめとする新田開発があったからこそと言える
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