- 745 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2016/06/08(水) 07:55:36.46 ID:+YY/Wx00.net]
- 古代中国では、宮殿につながる坂、今で言う階段の如きところを「陛」と言い、この坂道すら上るのも憚られる至上の存在として、御内裏様を陛下と呼んだ。
この坂(いわゆる階段)を上り、宮殿の前まで近づける存在として、一段格下の人物について殿下と呼んだ。 宮殿地区には楼閣があり、ここまで近づける更に格下の人物について閣下と呼んだ。 その様な経緯から、上町台地でも最も高台のエリアは難波宮跡地でもあった事から、又、神話の御代から平安の世までの即位大礼、八十島祭の地でもあった事から、この一帯は「小坂」と呼ばれた。 (小坂から見える国生みの地、淡路島を眺望しながら儀式は行われた) 番組では単純に、「小さい坂が大坂城周辺にいくつもあったから」と言っていたが、この意味での「小」は修飾的な意味合いだと思う。 聖徳太子の様に実際に政治を行うのは「摂政」であり、大阪地方は嘗て「摂津國」だった。 「小」の被せには、この「摂」と同じような意味があって、「京」では無いが、事実上の「京」という意味があったのだと思う。 「小高い」「小ぎれい」に代表される様に、「なんとなく」の意味を持ち、なんとなくな宮殿(実際の首都だった時期も数年間あったが)に続く坂道だったという事だ。 この小坂地域でも最も高いところに太閤秀吉は城を築き、「大坂城」と名乗ったのだった。 この時、のちに全国統一を成し遂げる太閤秀吉が、大文字の五山の送り火を参考に、ここから「大」の字を拝借したと思わざるを得ないのである。 びくびくするような、みやこの象徴である、あの「大」の字を、この小坂につくった、それが大坂城では無かったか。 この様に、大坂そのものが「中心」、事実上の政所(まんどころ)なる意味をもつので、江戸地域は「坂東」(東の大坂)とも言われていた。 現在の「東の京」(東の中心都市)の意味と同じである。
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