- 63 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい [2006/11/09(木) 19:54:25 ID:FQchDiiH0]
- 最初、ものごとのうわっつらや表面しか見れずに批判していた主人公町蔵は様々な人との出会いやその側面に触れることによって人間的に成長していく、というお話。
それはそれでぜんぜん中身もあるししっかりと描かれていて面白かったんですが、じゃあ町蔵が最初、一巻のころ、物書きと巷にあふれているあらゆる物語を嫌悪しながらも 人知れずしながらまでも描きたかったという、あの『なにか』は一体何処にいってしまったのか?町蔵が後半になってはじめて気づく坂井先生の『ただの万人向けのマンガではなかった深さ』を そのころから知っていたはずの鉄男が「坂井大蔵の臭いがする。・・だけれどそれよりもずっと優しい・・」とまで言ったその『なにか』は、それも結局はただの若さだったというのだろうか? もちろん解釈によっては「それはそれで良いものだったのだけれど、『誰にでもわかる作品を描くのが一番難しいのよ』ほどのものではなかった」とも考えられる。 だけどだ。「あーあーあー。かわいそうになぁ。気づいちゃったんだよなぁ。誰も行き急げなんて行ってくれないことに」 オレのような読み手をこんな“もうひとつの意味にもとれる”思わせぶりなセリフで期待させておいてああいう正当な(マンガとしては新しいのかもしれないけれど)人間的成長の収束の仕方で本当にいいのだろうか? 学ぶべきところはあるが、この作品は現実には、皆が本当はもうとっくに知っていることを確かな形にして共有させるという役割を果たしただけに収束してしまった。(それはそれでもちろん価値はある) 坂井大蔵を超える・・つまりそうした本当の世界すら塗りつぶしてしまうような本物の“若さ”を期待していたのに、『坂井大蔵の世界』に気づくまでの道のりにすぎなかったのか。 『まるで遺書のような血の通ったネーム』があるとしたら、それを思わせぶりなエピローグではなく作中で表現してほしかった。 ・・・以上、某所でのG戦三巻のレビューより抜粋しました。
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