- 37 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい mailto:sage [2005/04/23(土) 00:11:56 ID:MKrhkHAY0]
- 「東京vs大阪」は、実は「三河vs尾張」なのかも…
大阪のお花見も、造幣局の「通り抜け」が19日で終わり、幕を閉じた。今年は自転車に乗って 大阪城公園を巡ったが、桜そのものより、春の景色に映える城郭の姿が心に残った。 現在の天守閣は昭和6年に建てられた鉄筋コンクリート製。石垣など、ほとんどの建造物が 徳川時代のものだったのに「大坂夏の陣」の屏風絵に描かれた豊臣氏の天守閣を模した。大阪 では昔から「太閤さん」の人気が高く、家康は「意地の悪いタヌキおやじ」なのである。 秀吉が尾張人を引き連れて礎を築いたこの町には、彼らの“DNA”が色濃く残った。「冒険的で 投機的な商人気質」は、江戸時代も町人が中心となって物事を決めたことで、さらに濃縮された のだ。人口の1割しか武士がいなかったこともあり、よくも悪くも「お上(将軍)がなんぼのもんや」 という気風が育った。 その一方で、三河人・家康は江戸を作り上げた。「保守的で忍従性の強い農民気質」で、幕府を 260年も維持。それが明治以降も、東京や国家の性質に残った。境川で分けられる尾張地方 (名古屋市、犬山市など)と三河地方(豊橋市、豊田市、岡崎市など)は、現在も異なる意識や 文化がある。例えば三河人に「名古屋出身?」と問うと、本気で嫌な顔をされる。「東京vs大阪」は、 実は「三河vs尾張」なのかもしれない。 秀吉と家康が戦った長久手に「愛・地球博」の日本館が建っているのも何かの因果か。今年は 万博のおかげで「愛知の年」と言われているが、江戸時代も尾張&三河出身者が殿様(10万石 以上)の3分の2を占めていた。他の地方出身者が思っている以上に、日本における中京の 影響は大きい。
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