- 499 名前:名無的発言者 [2013/11/20(水) 05:50:23.40 .net]
- >>495
これは根拠の無い大嘘、琉球処分は武力併合ではない。 1879年の琉球処分では組織的抵抗は無く、武力衝突無しで、廃藩置県は執行された。 藩王尚泰は亡命も独立運動もせず、その他の藩主と同じく日本の華族に列せられた。 大人しく中世封建領主が近代国家の貴族になったに過ぎない。 この近代日本(明治政府)の琉球支配に異議申し立てたものはいない。 組織的抵抗は無く、武力衝突も存在せず、琉球処分は武力併合ではない。 琉球の組織的抵抗(武力衝突)は1609年の島津の琉球入り(武力侵攻)で終わっている。 薩摩軍に首里を武力制圧され、藩王尚寧は捕らえられて薩摩(鹿児島)に連行された。 翌年には江戸(東京)まで連れて行かれて、尚寧は将軍に領土の一部(奄美群島)を割譲させられている。 さらにその翌年には琉球は薩摩の従属国であるという文書を提出した。 最大の財源である貿易は薩摩の監督下にあるという文書も提出している。 これ以降の琉球では日本の支配に対する組織的抵抗(独立運動)は無く、琉球は独立を求めていない。 琉球が17世紀から日本の支配下にあることを疑う余地は無い。 琉球は17世紀から日本の支配下にあり、尖閣も沖縄も日本固有の領土である。
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