- 450 名前:名無的発言者 [2013/11/10(日) 19:04:47.30 .net]
- アヘン戦争以降、西欧列強のアジア進出に拍車がかかり琉球にもその手が伸びつつあった
幕府も島津もその危険を知りながら西欧列強に対抗する力がなかったので、琉球に通商することは許した 琉球を独立国として西欧列強が認めたのは彼らに下心があったから アヘンを売る権利で戦争を始める時代だから幕府も島津もうやむやにするしかなかっただけ 琉球に独立を認めてはいないし琉球も求めていない 遠隔地であり西欧列強に対する恐怖から支配が緩みつけこまれかけたが、明治新政府が中央集権化する廃藩置県の一環としてその支配を確実にした 17世紀(薩摩の琉球入り)には多少の組織的抵抗があったが、明治期(琉球処分)には組織的抵抗は無く、藩王尚泰は他の日本の藩主同様華族に列せられた 17世紀初頭以来、琉球は日本の支配下にあり、尖閣も沖縄も日本固有の領土である
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