- 48 名前:43 [04/04/19 18:36 ID:e3Pv2y6Q]
- >>46の内容は、「社会学上の見地から同現象の考察」のためと「再発の予防に関しての研究のため」に訪問する人に対して、
「件の惨状を現し切る」ために「事件の理解に必須な物証」として必要である、旨主張していますね。しかしこの主張では、 肝心のこげんたの魂の尊厳を全く無視しています。人間の場合の殺人事件を理解するのと同じで、このこげんたの件で 「事件の理解に必須な物証」としての「写真」は全く必要がありません。そこをあえて晒すということは、その理由として 「漠然と一体感を得たいから」「見た人間の反応を想像して楽しみたいから」といった「野次馬」のような動機を感じます。 こげんたの魂を人魂とおなじく悼み「黙祷」するのに、「惨殺されたこげんた」の写真は全く必要ありません。 亡くなった故人に「黙祷」するのに「故人の死体」や「惨殺された」写真は不要なばかりか、かえって故人を冒涜(特に家族は)することになります。 人魂と同じように、こげんたの魂に「黙祷」しているのに、「写真」の扱いは「人」ではなく「猫」なりに扱うよ、ということですか。 こういった点が「黙祷ごっこ」であると申しているのです。
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