- 498 名前:名無しさん@一本勝ち [2020/09/09(水) 11:24:51 ID:o7CKG4fv0.net]
- 天心流が主張する伊賀越えで時沢弥兵衛が活躍して士林団を結成したってエピソード、伊賀組の話と全く同じじゃん。これが元ネタか?
>伊賀組(いがぐみ)は江戸幕府における百人組の一つ。百人組は同心百人が配属されたことから鉄砲百人組とも称される。長は組頭と称した。伊賀組は神君伊賀越えの際道中を警護した伊賀忍者の子孫から構成され、江戸城大手三門の警備を担当し、甲賀組、根来組、二十五騎組とともに百人番所に詰めた。組頭は服部仲など。組屋敷は四谷仲町、後に伊賀町に与えられていた。 >半蔵門は江戸城の正門である大手門の反対に開かれる江戸城の搦手門であるため、将軍の身にもしも何かあった際には、将軍はこの半蔵門から外に出て甲州街道を抜け、幕府の直轄地(天領とも)・甲府へ逃れるという想定でした。 >そのもしもの時には将軍をお守りしながら同行するために服部半蔵がこの地に住んでいたというのが定説です そもそも江戸城内に詰め所があったら記録に残ってると思うんだが。
|
|