- 268 名前:無名画座@リバイバル上映中 mailto:sage [2005/07/01(金) 14:16:29 ID:3Y9k9LlG]
- グレムリン1はある意味人種問題を扱ったとも読めるな。
増殖した凶悪な方のグレムリンをみると、顔(眉間のあたり) や仕草がアメリカの黒人を思わせるものがある。 特にバーに集まってゲームしたりブレイクダンス?したりしてるところみると分かりやすいか。 白人のキリスト教徒達の大事な日のクリスマスがグレムリン達にメチャクチャにされるあたり、 昔の黒人奴隷の反乱への恐怖と嫌悪のパロディー版ともいえる。 これを白人がつくると悪意に満ちた差別映画と言われかねないが、 実際の製作はスピルバーグ率いるアンブリンで、ユダヤ人がつくっている。 ユダヤ人にとっては白人キリスト教徒や黒人のことは、ある意味よそ事だから 第三者の冷めた目でつくれるといえ、黒人への差別などする道理がないから、 もし批判されてもそんなこと言う方がおかしいとやり返せる。 そんな目で見ていくと、中華街の店主がギズモを迎えに来たときの言葉「あんたらはいつもそうやって、 自然をねじ曲げてでも歓びを得ようとする。」とか、 ラストの「もし家の洗濯機の調子がおかしくなったら、貴方の所にもグレムリンがいるのかも知れないよ・・」 という言葉が別の意味を持って聞こえる。 こう言うことで、キリスト教徒たちが、自分の問題は棚に上げて、キリスト教が支配する地上を乱されてはなるまい とばかりに、異物(異端とか異教徒とか)探しと抹殺に血道を上げるさまを強烈に皮肉ってるともいえる。 特に散々迫害されてきたユダヤ人としてはどうしてもこれを言っておきたい、ということではないだろうか。 一見コメディータッチで楽しくつくってるように見えて、実は考え抜かれた巧妙さでメッセージが埋め込んであり、 読み方によってはそのメッセージを見いだすこともできる。 そう言う意味では2より1の方がよく練られていると思う。 多分向こうでは、この「巧妙さ」が成功してる場合は、埋め込んだメッセージ自体は過激でも、 表立って批判はされないという不文律があるんだろう。
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